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松ケン、遅すぎた再生!
「以仁王の令旨」を知った松ケン(清盛)は、激昂し、以仁王を滅ぼし、福原への遷都を強行する。
その強硬な態度に溜まりに溜まった平家への不満が、岡田将生(頼朝)を決起へと駆り立てる。
岡田将生の決起を知った松ケンは、「武士の魂」を呼び起こされる。

松ケン、生き返った!
◎あらすじ(ネタバレあり)
「以仁王の令旨」を受け取った頼朝(岡田将生)は戦支度を始めた。
一方、福原(神戸)で遷都の準備を行なっていた清盛(松山ケンイチ)は、「以仁王の令旨」の存在を知り激昂する。
そして、その矛先は平家一門の配下でありながら、平家に反旗を翻した源頼政(宇梶剛士)へと向けられる。
平家の武力の前に、以仁王(柿澤勇人)が討ち死にし、頼政は自害する。
乱を鎮圧して、勢いづいた清盛は遷都を強行し、その対応には平家一門内にも不安を抱かせ、高倉上皇(千葉雄大)に無力感を抱かせ、頼朝に決起の決意を呼び起こさせる。
福原で孤独の中にいた清盛は、頼朝の決起を知り、再び武士としての魂を取り戻す。
◎みどころ
松ケン、遅すぎた再生!
◯おもしろポイント
松ケン、遅すぎた再生!
ここのところ暴君ぶりを発揮していた松ケン(清盛)。
歯向かうものを片っ端から否定していく。
「平家追討」である「以仁王の令旨」を出した柿澤勇人(以仁王)と、それに与した宇梶剛士(源頼政)の死をご満悦顔で眺め、
遷都への異を唱える西島隆弘(弟・敦盛)を怒鳴り倒し、
現在の愛人・木村多江(仏御前)のために昔の愛人に「舞え」と命令し、
暴挙を諭した若き日からの友人・藤木直人(西行)にも「お前にはわからん」と言い放ち、
「自分に逆らうものは死ね!」と叫び、
恐怖におののく愛人・木村多江を殺そうとする(が、昔の母の姿がダブって見えてすんでのところで木村多江は助かる)。
そう、その木村多江を殺そうとしたその場面こそが、かつて「愛人だった自分の母・吹石一恵(舞子)を殺した実父・伊東四朗(白河院)」の姿を見て、殺害をためらったところに上川隆也(盛国)が現れて、木村多江は完全に助かる。

愛人・木村多江を殺そうとする松ケン

脳裏に過ぎるのは母・吹石一恵を殺した、実の父・伊東四朗の姿
そして、殺害を命じようとして固まったままの松ケンは迷走して、へたりこみ、唸ったあとに自分の苦悩を語りだす。
「助けてくれ。誰か助けてくれ。暗闇ばかりじゃ。”ここからの眺め”は果てしない暗闇。手に入れても手に入れても、光は光には、届かぬ」
と。

迷走して「死んだ」ような状態の松ケン
そこにやってきたのは、使者。岡田将生(頼朝)の挙兵を知らせる。
松ケンはその知らせに、地面を這いつくばって、上座にあった父・中井貴一(忠盛)から授かった刀に近寄り、刀を手繰り寄せ、泣きじゃくる。赤子か子供のように泣きじゃくる。
そして、泣きながらも、刀を握りしめ次第に目に魂を込め、「武士の魂」を呼び起こされる。

「再生」した松ケン
老いて、凋落して、暴走した松ケンが再び再生した。
結果は史実のとおりなんだけど、それでも再び「生きる」松ケンが、勢いのついた岡田将生とどう戦うのか、現実の「老い」との葛藤をどう描くのかが楽しみ。
◯ツッコミポイント
迷走してキレた松ケン
松ケン(清盛)の強引な福原への遷都に不満が続出した。
摂関家はもとより、とうとう自分の娘婿である千葉雄大(高倉上皇)までもが不満を形に出した。
「上皇が政治の権限を藤原摂関家に託した」と言う伝令を聞く松ケン。
すると、荒れ狂った松ケンは
「わしに逆らうものは皆死罪と心得よ!」と叫び、臣下も誰もいない宮殿内をうろつきながら「ここはわしの世じゃ!わしの目にしか見えないわしの国を作るのじゃ。すべてを手に入れ、復讐するのじゃー!」と叫んで狂ったように笑い出す。
(で、ビビっで後ずさった木村多江を殺そうとする)
いや、そういうの「裸の王様」って言うんです。

「裸の王様」っぷりを炸裂させる松ケン
◎雑感
松ケン、遅すぎた再起!
岡田将生(頼朝)の決起で、暗闇から解放され、再起した松ケン(清盛)。
木村多江を殺そうとするくだりから再起までの流れは、松ケンの圧巻の演技に空いた口がふさがらなかった。(若いのにスゴいよ、松ケンさん)
・・・が、再生直前のシーンにヒイた。(悪い意味で)
この世の頂きに立った松ケンに、次々と湧いて出る不満の数々が襲いかかる。
頂きに立っても孤独であること、先(未来)が見えないこと、将来(若さ)が無いこと、で追い詰められまくった松ケンが、その苦しい胸の内を喋る。
「助けてくれ。誰か助けてくれ。暗闇ばかりじゃ。”ここからの眺め”は果てしない暗闇。手に入れても手に入れても、光は光には、届かぬ」
と。
”ここからの眺め”とは「この世の頂き」からの眺めを指し、第44話「そこからの眺め」(参考リンクはコチラ)と対になっている。(毎回見てる人は多分わかるはず)
でも、松ケンの苦悩を「セリフ」で言わせていいのか?
脚本は基本は3つの要素で成ってる。
「柱(はしら)」と「ト書き(とがき)」と「セリフ」の3つ。
「柱」とは、場所や時間を指す。このシーンだとおそらく「柱」は「福原の宮殿(夜)」とかである。
「ト書き」とは、「映像で目に見えるもの」のことである。このシーンだと、「清盛、座って唸り声を出しながら」とか、もっと簡単な例だと「清盛ご飯を食べる」とか。
「セリフ」とはそのまんま「セリフ」。
で、松ケンは「助けてくれ~云々」の苦悩をセリフで言っちゃってる。
これは、ホントは「ト書き」で書くべきところ。
「心理描写はト書きで書きにくいものの一つ」と言われるけど、そこを「ト書き」で書くのがプロの仕事。
「助けを求める姿」「光が見えずさまよう姿」を「視聴者にわかるように」書くのがプロの仕事。
ドラマの脚本って1話ずつ書くわけではない。最初に準備稿で全体図を出しておいて、そこから細かい分を埋めるように書いていく(勿論修正は何度も入る)。
で、46話の今回と対になってる44話を同時に書いて、打ち合わせで出した可能性は高い。
もっと大量の話数分を打ち合わせてる可能性も高い。
ここからは完全に憶測だけど、夏くらいにここ数話分の脚本を出して、この部分は直しを受けたのではなかろうか。
「最近、清盛の数字悪いし、ト書きの表現だけで清盛の苦悩が視聴者に伝わる?清盛にセリフで言わせたほうが視聴者に伝わるんじゃないの?」みたいな話の流れで。
「自分は支配者で、支配者の苦悩がある」ってのは、「自分は医師で夜勤明けで疲れてる」と言うのと同じ「説明ゼリフ」である。ここはプロならセリフではなくて「ト書き」で書くべき場所。
漫画などでもそうだが「説明ゼリフ」はどうしても時間のないドラマ(片平なぎさの2時間サスペンスの冒頭キャラ紹介シーンとか)の冒頭では「使ってもしょうがない」程度のもの。
でも、1年やってる大河の終盤で「説明ゼリフ」を使うのはマズい。
悲しいことに「息切れした感」がやたら伝わってくるのだけど、直す前の原稿が見たい。