火曜21時~
フジテレビ系
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◎あらすじ(ネタバレあり)
「時期総裁」と目されていた大物政治家の富樫(江守徹)が有罪判決を受けた。
カネの臭いを嗅ぎつけた古美門(堺雅人)は真知子(新垣結衣)を連れて富樫のもとを訪れる。
しかし、富樫から状況を説明された古美門は自分の「勝率100%」と報酬を両天秤にかけ、富樫に
「依頼を受けるかどうか考える時間がほしい」と言う。
富樫に用意された控訴期限は7日間。
その間にひとまず控訴審に備えた証拠集めに入る古美門。
情報収集の中で、真知子が偶然にも検察の証拠捏造の尻尾を掴んで来る。
真知子の証拠をもとに、検事の辰巳(津田寛治)にカマをかける古美門。
しかし、辰巳は捏造を否認するのだた。
なんとか証拠捏造を立証したい古美門。
すると、有罪判決を目前に自殺した富樫の部下の交際相手・めぐみ(春木みさよ)が浮かび上がってきた。
控訴審での立証を依頼する古美門に対しめぐみは「愛する交際相手を自殺させた富樫が憎い。富樫の謝罪があれば立証する」という。
富樫は謝罪し、古美門と真知子は控訴審の必要書類を作成する。
そこに富樫から電話がかかってきた。
富樫は部下への贖罪の念と、検察の証拠捏造という「相手の弱み」を武器に服役を決めたのだった。
◎みどころ
あまりない・・・
◯おもしろポイント
①江守徹が庭の鯉に餌をあげるシーン
ドラマ内で江守徹が飼っている鯉に餌をあげているシーンがあった。
「カネと権力をあてに群がる人間に嫌気がさし、飼ってる鯉にしか気を許せない」という設定。
かの田中角栄は鯉が好きらしく、人から頂いた沢山の鯉を「誰からもらった鯉か」を全て記憶していて、丹念に世話をしていたという逸話がある。
江守徹の鯉のシーンが角栄のエピソードの隠喩か皮肉か、その逸話を持ち出すあたりがちょっとシャレが効いてる。
②江守徹のモチーフ
江守徹のモチーフがホリエモンと小沢一郎なのは明白。
政治資金規正法違反で不起訴となったが、検察審査会制度で「起訴相当」と議決され強制起訴された小沢一郎。
実刑判決を受け服役中のホリエモン(しかし、出版活動などをしていて社会的に抹殺されたわけでもない)。
現実の人間をモチーフにしてるところを「ああ、これは小沢一郎とホリエモンをモチーフにしてるんだ」と視聴者がわかるようにデフォルメされているところがわかりやすくていい。
しかし、それ以外は残念ながら、なかった。
テンポも良いし、堺雅人もハマリ役だし、演出も小技が効いてる。
(あと、今回新垣結衣が番組冒頭で着ていた服が可愛いかった。白シャツに赤のカーディガン、茶ベースのチェックサルエルパンツ。アイテムの難易度も高くなく、一般人でも似合う参考になる衣装だった!)
でも、なぜか「面白い!」と言い切れない。
なぜか。後述する。
◯ツッコミポイント
セグウェイ堺雅人
自宅でセグウェイに乗っていた堺雅人。
日本では公道での走行が禁止されているセグウェイ。
しかし、乗ると非常に快感!(30分以上乗ると腹筋が痛くなるが)
自宅にそんなセグウェイ(とセグウェイを走行させられるスペース)があるなんて!羨ましすぎるぞ堺雅人!
◯つまらなポイント
細かい演出やテンポの良さが随一のこのドラマ。
初回を見たときは「ああ、今クールで頭ひとつ飛び抜けて面白い」と思ったのだけど、話数を重ねるごとになぜか「面白い!」と言えなくなった。
なのでその理由を考察してみた。
①「堺雅人と新垣結衣に変化がない」
銭ゲバ、性悪、拝金主義、偏屈の堺雅人。
熱血、周りが見えない、正義感の強い新垣結衣。
「対照的な二人がコンビを組み仕事をすることで、お互いの意外な一面を知り、二人の間に化学反応が起き、少しずつ変わっていく」というのが連続ドラマの定石であり、面白みである。
なぜか。
それは、現実の人はそうそう変わらないから、「ドラマ」では変化を期待するから。
(「変わらない」という現実を表現したい趣旨のドラマでもなさそうなので、変化がないのは痛い。)
しかし、堺雅人と新垣結衣の関係性は変わらない。
3話で堺雅人が新垣結衣に少し優しさを見せるシーンがあったが(3話では敗訴した新垣を「ご飯ご馳走してやろう」と慰める)、新垣結衣は変わらない。堺雅人への不信感を持ち、弁護方針に異を唱え、嫌々ながらも処理を進める。
後半から二人と二人の関係性に変化を持たせるのか、このまま対立させたまま終わらせるのか。
②「気づき」がない
対照的な堺雅人と新垣結衣。
毎回案件を受けるたびに対立し、新垣結衣は正義感からくる自分の意見を言い、堺雅人は「オトナの事情」的な解説をする。
また、時には依頼人や第三者が新垣結衣に「オトナの事情」を解説する。
今回は江守徹の解説があった。
「世の中には”先生”と言われる職業がある。教師、医師、弁護士、政治家などである。人は教師には知識を求め、医師には治療を求め、弁護士には自分を守ってもらい、政治家には儲けさせてもらうからだ」
というもの。
なぜ、わざわざこんな「オトナの事情」を新垣結衣に説明するのか。
(「新垣結衣に説明する」という形で視聴者に解説してる、という事が最たる理由だけど)
それは多少なりとも相手に期待をしているから。
期待しない相手には人はいちいち説明なんかしない。「君はそのままでいいよ~」とか言いながらアッサリ切っていくのが恐ろしいところ。
でも、新垣結衣には「気づき」がない。
脚本なのか、演出なのか、演技なのか、制作現場を見ないと判断できないが、なぜか新垣結衣には「気づき」がない。
「気づき」がないと話が続かないから、連続ドラマとしての意味が無い(単発で何回作ってもいい、という話になる)。
③アイロニーの弱さ
本ドラマの脚本のウリの1つは恐らく「徹底されたデフォルメと、ドラマの随所で見せる現実へのアイロニー(皮肉)のギャップ」
製作者の意図は
堺雅人を通して「現実の世知辛さ、世の中の複雑さ、表面とは違う実態があるという事実、物事(人)の二面性」
などを示唆し、
新垣結衣を通して「人間の内のどこかにある正義感(しかし正義感は時に狂気だ)、理屈で表現できない感情で動いてしまう部分」
を示唆している。
感情で動く新垣結衣にアイロニーをかぶせる堺雅人や出演者たち。
でも、そのアイロニーが弱い。アイロニーにかける時間が少ないのと、アイロニーが抽象的なところが原因と思われる。
例えば今回の堺雅人の政治についての解説シーン。
「カネと権力は表裏一体。カネを集めるものが力を持つ。人は金のあるところに集まるからだ。しかしこの国ではカネを集めるものは悪とされる。己はカネを求めるのに。そしてこうした愚民に媚びた政治家がクリーンな政治を標榜し、愚民がまたそれを支持する。その結果力のない何も出来ない政治家ばかりが増え、力のある政治家は検察によって抹殺される。そして日本の政治家はダメだと同じ国民が嘆くのだ。」
と。
しかし、カネと力と人(モノも)が三位一体なのは誰でも知ってる事だし、
何よりそのアイロニーを見せ場のシーンに持ってこない。
持ってこないのか、持ってこれないのかは曖昧だが。
そうは言っても堺雅人のプッツンぶりが見たくて見てしまうが。