塵も積もれば山となる? | てざわりの記憶

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目で、手で、耳で、時には舌で触れる日々の手触り。

その記憶。

小さな事の積み重ねが、やがて大きな事を成すと言う意味の、お馴染みの言葉です。
これ、子供の頃から妙に違和感があることわざでした。
だってそうでしょう。
毎日の小さな努力の積み重ねを、どうしてわざわざチリなんぞに例えるのでしょうか。
塵なんぞ、いくら積もって山になろうとも、所詮は塵の山。
これが仮に貴方の部屋での出来事だったとして、一体、何が素晴らしいと言うのでしょう!?
ああ!只でさえ掃除なんて億劫だと言うのに、知らない間にこんな所にチリの山が出来ている!
これがコンセントなどに積もろうものなら、塵はその身を火種に変えて我々の生命、財産を根こそぎ奪う気なのです!
恐るべし塵の山。
掃除機で吸おうとすれば飛び散るし、まして箒なんぞで掃こう物なら、彼奴等はまた雑菌満載のその見を空気中に散々に舞い上がらせ、我等の体を内側から破壊しようと企んでいるのです。
そんな人類に牙を向く闇よりの刺客を称え、塵も積もれば山となる、でもないでしょう!
どうして塵が出来上がるのか?と言う事に付いては、おおよその想像は出来るとしても、はて、塵の存在とは何か?と言う事に付いて考える時、めんどくさがりの私としては、只々無言にて降り積もる悪意、云われ無き憎しみの果てに人類に報いを求める亡者の情念を感じずには居られないのです。
そうです。
塵を積もらせて、山などにしてはならないのです!

友人S「部屋、片付いた?」
私  「ええと・・・。ちょっと。」
友人S「片付けなよ・・・。また体調崩すよ・・。」
私  「えへへ・・・。」

ああ、果てしない塵との戦いよ!

塵も積もれば山となる。
それはきっと、そんな事になる前に手を打ちなさい、と言う先達の思いが込められているのでしょう。
とりあえずは、手近な所から片付けましょうか・・・。
塵も積もれば、山となるのでしょうから。