充足感と満足
他人から見たら
「え?そんなんで満足なの?」と
思われるようなことでも
自分自身に充足感があるのが
何より大事だと思っています。
それがその人にとっての正解で
「充足感」は自分軸にあって
他人軸を基準に動いてないもの。
自分の場合であれば
好きなスポーツをやったり
無我夢中で何かに取り組んで
得られてきていること。
それが何よりの充足感で、
その他の嗜好品などで満たせない
何かがあります。
全然興味・趣味の違う人からは
「え!?それがあなたの満足?
もっと世の中楽しいことあるでしょ」
みたいに言われることもある。
酒もタバコも嗜むこともなく、
人付き合いは不器用の極みで
何の面白みのない人に
おそらく思われるんですよね。
でも
それでいい。
それが自分の得られる充足感。
本質的に見れば達成感以外の
泥臭い欲求もあるかもしれませんが…
長期にやり続けられているものには
ただ欲求という以外の
何かが自分の中にある。
そんな自分軸の充足感。
一時の感情で終わることなく、
更新し続けられるものだからこそ
エネルギーが枯渇することもなく
続いているのだと思います。
充足感に少し似た感情に
「幸せ」という感情もあって、
同じく満たされそうですが…
似て非なるところは
幸せは海の波のように押し寄せて
すぐにサッと引いていく。
続くほど満たされる充足感と違い
瞬発的で大きな感情だけど
永続的に長く続くことはない。
それに…
幸せになりたいと人が求める時は
他人軸になっていることが多い。
他人の幸せそうに見える状況とか
人が持っている何かを見た時
それがスイッチになってしまい
無性にその現実が欲しくなったり、
他人の良くない状況などを見て
自分の方がマシと安心したり、
他人の評価や点数などと比べ
それで自分の価値を決めたり、
他人軸にある幸福コンセプトを
自分の追い求めるものと勘違いする。
いざ手に入れた時には
「求めてたのとなんか違う」となる
ケースは多いのかなと思います。
日によって
目標がコロコロと変わるとか
旬が過ぎたら好みが変わるとか
もしそうなる場合は
本当は求めていないものの
可能性が高い。
だからこそ、
他人基準で作られた幸せでなく、
自分の中で得られる充足感。
「そんなんで満足なの?」と
他人からは言われるけど
自分自身が満たされること。
他の人はやりたがらないことでも
自分は心から楽しんでいられること。
それが本当の資産であり、
見失わないことが大切と思っています。