左右(さう)極限を知らなければ
中道(ちゅうどう)へは入れない。

これ自体元々は仏教か何かの
教えだったかと思いますが…


両極端の経験をしていくと
自分にとって最適な道である
中道に入れるようになれるという。




お坊さんのように極限まで
欲を抑えた質素な生活。

そして

自分の欲望を限りなく満たす
贅沢三昧の生活。


その両極面を経験していけば

健康面、経済面、人間関係への影響、
様々な面でのメリット、デメリットを
知ることになる。

それによって自分の欲との
上手な向き合い方、距離感、
バランスを取る力が身につき、
中道へ入ることができる。




ネットで検索するとおそらくは
経済面の話中心に出てきますが…


中道(自分軸)に入ることは
自分が道を外しそうになった時に
修正して最適化する力。

どんなことにも通じるかと思います。


何か目標を達成する時に
極端な体験を通ることで
役立ったことは何度かあります。


アクロバットという経験は
スケートだけやっていた時は
自分にとって未知であり極限。


どの辺り極限だったかといえば…

全力でやらなければ
取り返しのつかない怪我をする
可能性がある。

力の使い方を知らない段階は
力のロスが大きくなるため、
とにかく全力の中の全力でやる。

でないと
頭から落ちて首をやったり、
顔面から落ちて歯が折れたりとか、

安全にやれる環境であっても
そんな連想は出てくるので
初めての素人にとって極限。

そして、
その極限の状態で見つかる

・自分の勝ちパターン
・自分の負けパターン


その両方を発見する瞬間に
出くわす。


全力で跳ぶと真っ直ぐ跳べない。
軸が歪み始める。

自分の負けパターン。


これが「なんでなのかな?」
というのが分かった時もやはり
極限に追い詰められた状態だった。


跳ぶときは後ろに腕を引いて
上に伸び上がる動作がありますが…

その引く動作と引き上げる動作が
左右対象に
どうしてもなれなかった。

自分では左右対象のつもりが
全然左右対象には程遠く、
分かってもしばらく出来なかった。


その原因は…

左より右の力が強すぎる
自分の体に昔から染み付いた
性質が引き起こしたもの。


腕の引く力や振り上げかる力や
可動域がとにかく左より右の方が
常に強くてモーションが大きい。

テニスのテークバックの癖、
水泳のクロールでの息継ぎの癖

それにより腕の引くときは
僅かに体はいつも無意識に右に捻れる。

右側に捻れた勢いそのままに
引き上げも右側が勢いが強くなるため、
いつも左寄りに上がる。

しかもツイストがかかりながら。


右に常に軸を作るスケートなら
左寄りにズレるのは致命的な癖。


真っ直ぐ跳ぶだけなら
大した影響は出ないけれど…

それがバク宙、バク転、連バク、

更に高度な技になればなるほど
着地ポイントが大きくズレていき、
危ない回転になる。

あまりに危なすぎるので
直さざるを得ない状況。

それが過去のスポーツ経験から
十数年続いていた癖。

極限の何かを知らなければ
直す必要性にも気づけなかった。

癖の重大さにも気づかなかった。


アクロバットで出ている癖は
当然スケートでも知らぬ内に出ている。

極限に追い詰めた時に
見ることができた負けパターン。


これに修正をかけるためには

左腕は今まで通り全力で。

そして右腕の引きの幅、
伸び上がりの強さを
今までの70%弱めに抑える。


それぐらいの意識でようやく
再現度の高い真っ直ぐに。


形が歪だったバク転は
綺麗にコンスタントに
出来始めたのもここが始まり。

そこをクリアしたら
次は勝ちパターン分析。


バク転ができている時は
「あっ!このタメから
戻るときの反発力は
ルッツの上手く入った時と似てる」

とか

バク宙ができている時は
「上がる感覚とまとめる感覚は
フリップの回転リズムに使える」

とか



今まで頭で理解はできても
体ではよくわかっていなかった
脳に霧がかかっていた様々な感覚。



それがクリアになる瞬間が
自分の中で生まれ始める。

神経感覚の変化なので
言葉に直しても訳わかりませんが…

明らかに今までなかった感覚に
芽生える瞬間が訪れた。


こういうのとは逆に
あえて何もやらない。

何の取り組みもしないという
極限の選択もあり。

思考や体の癖が一度リセットされて
何も努力しないでも事が上手く運ぶ
という場合がある。

自分で自分を複雑にしていたり、
空回りしている時は特に有効。



「左右(さう)極限を知り
中道へ入る」


極端すぎることするのは時として
勇気が必要なことはあるけど、

様々な場面で体験することは多い。