この旅の目的地の一つ、長崎にまで来た理由の一つに軍艦島(端島 以下、軍艦島って書きます。)があります。

軍艦島に行くには事前予約が必要なので、軍艦島コンシェルジュさんのツアーに参加しました。

結果は最高でした!

ガイドさんがとても素晴らしい!

建築学や歴史に精通されているし、現地調査にも参加されてますね。元住民の方ともヒアリングされてますね!

船はこのクルーザーです。速いです!揺れません!(その日は、、、)

軍艦島の名前の由来、軍艦土佐に見える!!!

なるほど軍艦島!

さて、軍艦島とは、と語り出すと長いので、以下は私の忘備録として書きます。


①良質な石炭がとれ、北九州市の製鉄所に運ばれ、日本の産業革命の一翼を担った。

②1970年頃、石炭を掘り尽くし、黒字経営のうちに閉山した。

③明治、大正、昭和しかも終戦後の高度経済成長期まで製鉄のため働き尽くした炭鉱

④当時の坑夫の給料は高く、当時三種の神器と言われたものの一つテレビの普及率は100パーセントだったとか。


⑤1916年、日本で最初の鉄筋コンクリートの共同住宅は、この軍艦島に建てられ、7階建のエレベーターなしだったとか。その後続々と鉄筋コンクリートの高層建物を建てた。どれもエレベーターなし


⑥軍艦島は1周約1500mほどのところに約5000人の人口があったという。人口密度が非常に高い。当時の東京都より人口密度17.5倍だとか。

⑦軍艦島は、24時間休むことのない不夜城であり、食住一体の島ゆえに、炭鉱と住宅以外に、スーパー、飲食店、病院、役場、学校、保育園、警察、神社、パチンコ屋さん等の娯楽施設などなどが揃っていた。

⑧島での炭鉱労働は、地下600mほどのところに採掘場があり、気温30度、湿度90パーセント超えの環境で8時間労働


⑨炭鉱事故はとても悲劇的ですが、軍艦島でも、220人ぐらいの方が、事故でお亡くなりなっているとのこと。


⑩仕事が終わった後のルーチンは、真っ黒な顔で仲間といっしょに風呂に入ること

そのときの笑顔たるや満足感に溢れているように見える。


最後

大変な労働環境の中でも、収入に裏打ちされた人間らしい生活があったし、この島のおかげで、今の日本はあるんだなぁと、英雄的でない普通の労働者の姿に感謝