引退 | akariのブログ  けやきハイツ102
image

※画像は2014年・夏の帰省時のものです。



昨年の大晦日をもって、実家の商店が店をたたんだ。



とはいっても私は離れている為、
今も実感がわいていないのが事実だ。


本来ならば、最後の日は会って花束でも手渡したかったが、
それが出来ないがために気持ちだけでも伝えたく、

暮れも押し迫った我が家のインフルエンザ明けに、
労いのお酒(日本酒とスコッチ)と手紙を送った。


後からわかった話しだが、父はこの正月、朝からそのお酒を飲んでは寝て、
飲んでは寝てを繰り返し、2日間ずっと酔っぱらい続けて大顰蹙だったようで、
送り主として責任を感じるし、何とも後味が悪かったのは後の祭りでしかない。








image

近年がどうだったかは不明だが、私が知ってる実家の商店には、
イージーライダーのポスターが貼られ、謎の置き物がディスプレイされていたように思う。
彼の独特な汚部屋、またはチンドン屋を彷彿とさせるカオスな店構えだった。


私が札幌に住んでいたもっと若い頃、たまに
小遣い稼ぎのアルバイトをさせてもらっていたこともあった。


簡単な野菜の計量及び袋詰めや、金庫と電話番をしてる風でいて、
対面の店番をしてるおばさんの似顔絵を描いて遊んでいた。

ハッキリ言って何の即戦力にもならなかったと思うが、
私が行くと、父がちょっと嬉しそうだったことが記憶の断片に残っている。








image

彼が本当になりたかったのは、小説家だったか詩人だったかで、
全くもって商売人向きのタイプではない。

よって勿論、商売上手ではなかった。

機嫌不機嫌、人の好みをお客さんの前でも隠せないし、
利益不利益を読めないのか、度々新種の珍野菜を仕入れ、
案の定売れ残り、腐らせることもよくあったそうだ。

しかも、看板商品である野菜があまり好きではなかった。

今でこそ人間ドックで引っかかり、体の為に食べるようになったらしいが、
玉ねぎと長ネギ以外の野菜を美味しそうに食べていたイメージがない。
私の記憶の断片によると、人参は排除していた。








image

それでも、前の晩どんなに深酒して
トイレや犬のマットの上で寝ていても、朝四時には起きて出勤していた。

数時間前にあられもない姿でいびきを掻いていたのが夢だったかのように
こつ然と姿を消すさまは、まるで忍法のようだった。









image

夏に帰省した時、肩を脱臼したことから
養成ギブスみたいな変な物を装着していた父。

たまに来るからだとは思うが、
いつになく子供達と沢山遊んでくれて嬉しかった思い出。








image



彼がどういった心情で前職を辞め、家業を後継し、
ひたすら市場で働いていたのかの詳細については知る由もないけれど、
家族を養うために、大雪の日も極寒の日も
37年間、毎日同じ事を続けることだけでも修行に近い行いだと思う。

どんなに酒に飲まれても、家族に当たったり絡んだりすることは一度も無かった。

それだけでも、今の私になってみたら、凄いなと尊敬する。


表向きどんな夫でも、どんな妻でも、どんな父でも母でも、
その夫婦にしか、その家族にしかわからないことがある。

だから、夫婦や家族の本当の本当のことは、
他人がとやかく言えることでは無かったりする。

我が両親のことも、どっちがどうだとかは、実はよくわからない。

一方の話しの一部を聞いたとしても、
逆に話をしたとしても、表面上の予想しか出来ない。

一緒に毎日暮らしてないとわからない事が沢山ある。
もっと深かったり意外と浅かったり、様々だろう。



出る言葉とは裏腹に、身も心もすり減らしながら、
時にがむしゃらに、内で外でと働いていた影の大黒柱である母と、
掴み所がないながらに真面目であることは確かな父に、
声を大にして、お疲れさまでしたと言いたい。








image