小説「大後悔時代」 -10ページ目

小説「大後悔時代」

後悔は知らず知らずにそこにあるもの

0時53分


どこにでもある、チェーン店の居酒屋に女性と二人で酒を飲んでいた。


バーを出てから、どこに向かうともなく歩いている時にたまたま目に付いた居酒屋だった。


普段の自分であれば、初めてのデートなどはよく格好をつけ、オシャレで敷居も値段も高そうな店に連れ立って行ったものだが、突然の女性からの誘いと、酔いと、疑いで正直どうでもよくなり、何にも考えていなかった。


だが、店に入った後で気付いたことだったが、健全そうで安全そうな居酒屋に入れて少し安心している自分がいた。


いざ席に案内されると、狭い個室に2人で座らされ、目の前に座った女性を明るいライトの下で見たときに少し驚いた。


格別にと言うほどではないが、自分好みの割と美人なタイプであったからだ。


そして、そんな容姿とドラマのような展開のせいで、普段は営業トークを駆使して、物怖じしない性格の自分なのだが、かなり緊張していた。


実際、ようやく口を開いた言葉が「なぜ?」の一言だった。


だが、期待した答えどころか、「なんとなく」の一言で会話は止まり、お互い次の言葉が出てこなかった。


しばらくして、その店で頼んだ一杯のアルコールが飲み終わりそうになる頃、彼女は独り言のように呟いた。


「わたし、帰るとこないの・・」


その言葉が聞き間違いではないかと思った。


言葉の意味もそうだが、彼女の持ち物が小さいブランドバッグ一つだけだったからだ。


そして、なんて応えるのが正解なのか、はたまた何か言葉を掛けるべきなのか迷った。


自宅まで徒歩5分程度の店だったこともあるが、このまま居ても何をどうするべきか判断がつかなかったこともあり、自分はそろそろ帰るつもりだと言った。


どう言葉の意味を捉えてもらっても構わないつもりで。


それから約1時間後、自宅でシャワーを浴びていた。

21時55分。


誰もいないオフィスで一人残業をしている。


昼間は蒸し暑さの中汗水たらして歩き回り、書類ケースを持ちながら営業を繰り返していた。


夜になり、疲れ切ったカオルはそんな自分をまるで一匹の働きアリのように感じ、静かに少し笑ってしまう。


誰の為に働いているのか、何の為に働いているのか、そしてそんな答えが本当にあるのか。


世間は完全週休2日制になっているとはいえ、まだカオルの勤める会社は土曜日出勤が月に一回ある。


しかし、カオル自身は働くこと自体は嫌いではなかった。


やるべきことがあるというのは、やるべきことが無い人間からしてみれば幸せなことだと知っていたからだった。


とはいえ、月末月初の多忙さは体力と気力を確実に奪っていった。



23時12分


カオルは会社からの帰り道、一軒のバーが目に入った。


いつもと同じ道ではあったが、真っ直ぐ自宅に帰るのが少し気乗りしていなかったせいか、妙に興味が沸いた。


飛び込み営業もこなしているせいか、また疲れて判断能力が落ちているのか、ごく当たり前のように店の扉を開けた。


その店内は落ち着きのある、それでいて暗すぎず、静かすぎない、心地良いボリュームのポップミュージックが掛かっていた。


扉を閉め、中に進むと奥行きもそれほどなく、カウンター席がいくつかある以外は4人ほど座れるソファー席が一つある程度だった。


そのカウンターに座っている客が一人。それ以外に客らしい人間はおらず、店員らしき男性と女性の2人がカウンター越しに立ち、何か話をしていた。


女性の店員はカオルに気付くと、明るく声を掛けて、何を飲むか尋ねた。


ビールを頼み、ツマミとして出された小皿に入ったポップコーンを手に取った時、店員の二人とも自分より年下であるだろうと思った。


ふと見ると、その話相手の客も若い女性であることに気付いた。


常連らしき会話が聞こえたため、少し気まずく感じたが、もう少しだけいることにした。


その女性客がチラチラとカオルを見ている気がしたからだった。


特に何が起こるわけはないということはよく分かっていた。ただ、ここ最近感じていなかった懐かしい緊張感を楽しみたかった。


特に何かを話すわけでもなく、ビールを飲み終わり次にジントニックを頼み、これを飲み終えたら帰って寝ようと思っていた。


会計を済ませ、店を出ようとした時、女性客が突然話しかけてきた。


自分も出るからもう一軒行かないかと。


カオルは酔った頭で考えた。そして当然ながら疑った。


だが、すぐに何とかなるだろうと思い直し、付き合うことにした。


その女性に興味がないわけではないが、本音は日々の繰り返しに飽きを感じ、何かハプニングを求めていたのだ。


深夜1時58分。


蒸し暑い夜中。


高い場所から見る外の風景は車のテールランプがまばゆく光り、二本の線路を作り出しているようだ。


仕事帰りのどこかの会社の営業車や乗客探しで流しのタクシー。


まだ夏休み前のせいか、若者たちの悲鳴のような騒音は今日は聞こえてこない。


カオルはそんな季節が好きだった。


そんな夜にマルボロをくわえ、ロックグラスに入れたジャックダニエルを氷でカランと鳴らしながら、自宅のベランダから地上を見下ろすのが好きだった。


平日のど真ん中、仕事終わりの夜と仕事始めの朝の時間。


目を瞑るとこの合間がまるでずっと続くような錯覚を起こし、疲れと酔いのせいか生と死の狭間にいるようで、怖くもあった。




カオルの仕事は食品メーカーの営業マンだ。特に食品業界に興味があったわけではない。ただ、営業なら何でも良かった。


元々屋内で黙々と作業するのが得意な方ではなく、外に出られれば、いつでも好きな時に高い場所から地上を見下ろすことが出来ると思ったのが動機だった。


もちろん現実はそんな簡単な話ではなく、むしろ見下ろされる側に立っていることに嫌でも気付かされる。


雨上がりの道、傘を小わきに抱え、次のアポイントに間に合わせるために小走りをする。


片手に傘とビジネスバッグを持ち、上着が脱げない状況でもう一方の手はハンカチで吹き出る汗をぬぐおうとするが、すでにビショ濡れで吸い取ってくれる気配がない。


なぜこの仕事を選んだのか。


そんなことを誰かに訴えることができるわけもなく、売上数字を睨みながら四苦八苦する日々が続いていた。


そんな時にある出来事が起こった・・。