オットは私に「この先お前が幸せだったらそれでいい」と言い残した。
けれど私にはまだその「幸せ」がなんなのか、わからない。
きっとオットがくれた幸せとは違う形、違う色なのだろう、とそれだけはわかる。
けれど、この先幸せと思えるように…いや、“幸せになりたい”と思える日が来るのだろうか。
このまま生きててこの先
「生きててよかったあ!」
「心底幸せ!」
と思う日が来るのかなあ、と思う。
何言ってるの!
仕事はあるし寝るところもあるしとりあえず健康だしお洋服を買う贅沢も出来るし一緒に出掛けるお友達もいるでしょ!
と言われそうである。
そう。
オットのいた頃はそういうささやかな「幸せ」が本当に幸せだった。
仕事はそれなりに大変なこともあるけれどお給料が入ったら二人で少し贅沢な食事に行こう。
寒い夜はオットにくっついて寝ると温かい。私がしがみつくから「動けんー」って言われたけど。
オットに丈夫で長持ちしてもらうために栄養を考えそれなりに手間暇かけた食事も作った。
二人で旅行の計画を立てたり
スーパーで今晩の鍋に入れる材料を選んだり
…楽しかったなあ…。
くだらない会話が楽しかった。平凡な毎日が嬉しかった。
今は
仕事で患者さんに喜んでもらうとそれはそれで嬉しい。
仕事で疲れて帰ってベッドに入るとホッとする。
友人と美味しいものを食べに行ってたまの贅沢を楽しんだりもする。
「楽しいね」「美味しいね」「面白いね」
だけど全部、フィルターがかかったみたい。
モノトーンなのだ。
いつも「そのとき一瞬だけ」
家でふと一人になれば真っ黒な孤独に包まれる。
今週末は3連休。きっとどれかの日に友人と会って食事をするだろう。少し飲むかもしれない。楽しいと思う。
けれどやっぱりモノトーンで。
心にふっと影を落とす。
これから先、生きていて本当に
「よかった!」
「幸せ!」
と満面の笑みで言える日がくるのだろうか。
いやその前に
「幸せになりたい!」と声に出せる日が来るのだろうか。
そして私は思う。もうそんなことが考えないほうがいいのだろう。
オットがいた頃100%、それ以上の幸せをもらった。
幸せの量はきっと…決まっているんだ。ひとりにつき100まで。私は既にもう100をオットから与えてもらったから。
幸せな人生だったなあ。
今なら『まだ』そう言って終えることが出来るから。と願う。
それとも…まだ人生には大どんでん返しが待っているんだろうか。笑っちゃう。