日本には“既婚”というステータスしかないが、カナダにはコモンロー(Common-low)という制度がある。
Common-low
これは最低1年以上、婚姻同然の関係でパートナーと同居しているカップルが申請できる、婚姻とは別のステータスだ。
日本の「内縁関係」とは違い、法的にも公的にも婚姻関係と同等の権利が与えられている。ハッキリ言って婚姻関係に等しく、また責任も生じる。そのため手続きにはやはり膨大な資料や手順を踏む、ということが必要となる。
じゃあ結婚でいいじゃないか…なぜこういうものがあるのか…。
カナダでは結婚するためにはウェディングセレモニーを行わなければいけないそうで、中には家族親族、宗教上の理由やら、同性婚などでセレモニーを行えない人もいる。そういった理由で結婚という手続きが出来なかった、あるいは敢えてしなかった人にも平等な権利を認めよう、という考え方だそうだ。
カナダでは離婚するにもコモンローを解消するにもまた手間がかかる。
「結婚」という一つの形しか持たない日本のほうがよっぽど“紙一枚”で結婚も離婚も簡単に行えるのだ…。
さて。
結婚。あるいはコモンロー。
今日ひとりでぼんやりとブルーベリースコーンを外で食べていた。
ふっと頭の中に浮かんできた言葉があった。
「国が滅びたのに 王だけ生きてるなんて滑稽だわ」
この言葉は聞いたことがある人も多いと思う。
宮崎駿監督の古いアニメ「天空の城ラピュタ」で少女シータが言った言葉だ。
ふとこの言葉が頭をよぎったのだった。
結婚って。二人で創り上げる王国なんだ。King & Queenなんだ。もちろんそこにはPrinceやPrincessがいる王国もあるが…とりあえずうちの場合はKing & Queen。
そこには独自の文化があり、習慣がある。そして独自の価値観が存在し、独自の言語もある。二人の間でしかわからない言葉…きっと“夫婦”をやった人ならわかるだろう。合言葉もそうかもしれないし、共通の想い出にまつわる言葉。他の人にはわからなくてもその言葉を言えば他の人にはわからなくてもお互いには同じシーンが思い浮かんだり同じことを連想して即座に笑いあったりできるのだ。
日々、王国をちまちまと建設し、そして外交もあったりする。セレモニーもあったりする。
その王国は一朝一夕で出来上がるものではなく、話し合ったり妥協したり衝突したり折衝したりを繰り返して、ああでもないこうでもない、と創っていくのだ。
ふたりの相性以前に、「その長ったらしい過程に我慢できない人」というのは密接な人間関係、パートナーシップが築けないのかもしれない。
そう。ウチも二人でちまちまと毎日を積み重ねてきた。王様と女王様。この場合どちらかが上位、ということはないので「王様と王妃」でもないし「女王と王配」でもない。
「王様と女王様」なのだ。
ある日王様が死んだ。
女王は一人となり8年間踏ん張った。踏ん張ったけれど…王が死んだとき一瞬にして荒れ果ててしまった王国は決して元には戻らなかった。そこで女王はふと気づいてしまった。
「国が滅びたのに 王だけ生きてるなんて滑稽だわ」
女王は自分の愚かさに笑いと涙が込み上げてきたのだった。
頑張れ頑張れ、と無意味に励まされ、頑張らなきゃ頑張らなきゃと意味もないのに踏ん張ってきた。
何の意味があるんだろう。頑張ることに何の意味があるんだろう。対象が存在しないのに。
今私は「対象」…「生きる理由」を探すのに躍起になっている。
知人のひとりは言った「生きるのに理由なんてないよ。ただ、生きる」
彼は生きる意欲を失ったことがないのだろう。全部足元から崩れ去ってしまったことがないのだろう。
理由がないと生きられないなんて、想像もしたことないんだろうな…。
最後の最後のプライドで、王冠をつけ顎をあげていたけれど、それにももう疲れてしまった。
本当はもう王冠を外し、玉座に投げつけてしまいたい。
そんなことをうすぼんやりと考えていたらブルーベリーが白いスカートに落ちてしまった…。
カウンセリングの予約は入っている。
どうせ生きなきゃいけないのならもう少し楽に生きたいと思うから。