久しぶりに母に電話(正確にはLINE通話)した。
母は明るく、色んなことを話した。
自分の友人のこと、伯母のこと、趣味のこと、買い物に行った話、体調のこと、などなど。
3月27日に日本から戻って、それから一度しかLINE通話をしていなかった。しかもその時は彼女が出かける直前だったのでたった8分。
私は日本から色々引きずって持って帰ってきたもの(思い)があった上に、色んなことが重なり、4月は落ち込む一方。「忙しい」を理由にろくに連絡をしていなかった。
今のような精神状態の時に母の話に付き合うのは難しいし、“元気”に振る舞うのも辛かったからだ。
今日は…さすがに申し訳ない気持ちが頂点に達して、そして…自分の中に“ひょっとしたら母に何か話せるかもしれない”と期待して電話したのだった。
結果は約1時間の通話で98%母の話に「うん、うん」「よかったね」「それで?」「ああ、そう」と頷くだけだった。
私のこと…悩んでいる何かを話したら、きっと母は聴くだろう。そして困ってしまうだろう。心配をかけてしまうだろう。そう思うと言い出せなかった。年を取った母親に聞かせる話でもない。
だから…差しさわりのない話…仕事のシフトが変わる話とか、一人同僚が辞めたので忙しかった話、などにとどめておいた。
でも話が出来て良かったと思う。
母と私の共通点は「未亡人」であることだ。
けれどあまりにも状況は違う。
彼女には子供がいる。私にはいない。
彼女には親しく付き合う兄や姉がいる。私には兄がいるが彼女と比べるとあっさりしたものだ。一緒に暮らした期間も短い。
そして彼女は何といっても私の父と50年以上連れ添った。
年齢が年齢だけに、私よりあっさりしている点もあるし、半世紀以上、という月日は私たち夫婦よりも“深い”何かがある(と思う)
誰かが書いていた。30代で奥様を亡くした人、だったと思う。
「若くして配偶者と死に別れるというのは、普通の人が想像できないくらい壮絶な痛みがある」と。
そう。
壮絶な痛み。
これはわからないと思う。夫を亡くした母にもわからないと思う。
私は母の立場じゃないからわからないけれど、
長年連れ添った父と母の別れが「重く鈍い痛み」だとすると
若年死別者の痛みは「切り裂かれたような痛み」だろうか。
何を書きたいのかよくわからなくなってきた。
とりあえず…母に電話できて、安心させることが出来て、良かった。
そう思う。
「頑張って!お母さんも頑張る!」
うん、ありがとう、お母さん。お母さんも色々辛いと思う。ごめんね親不孝ばっかりして。頑張ってくれてありがと。
けどね。もう、ちょっと、頑張るの疲れたんだよ。キャパはとっくに超えてるんだよ、私もともとが少ないから。
どれだけ頑張れば周囲は納得してくれるんだろう。
まだ頑張り足りないのかなあ。
精一杯なんだけどなあ。
きっとみんなはもっともっと頑張ってるんだろうなあ…。
そう感じて、気が遠くなる。
「Geminiだけじゃない、同じ経験をしている人はたくさんいる」
そういわれたことを思いだす。そういわれると何も言えなくなる。辛い、と言えなくなる。
それでも今日は…母に「元気だよ」と言えることが出来て…よかった。
それでよしとしよう…。