オットが病気を発病したのはちょうど8年前の5月末だった。

最初は風邪だと思っていた。クリニックのドクターも「インフルエンザも陰性だし、風邪ですね」と言った。

それからかなり経って、膠原病の一つである成人性スティル病“の疑い”そして合併症である間質性肺炎、と診断されたのだった。

入院したのが6月6日。それから1か月半ほど経ったある日、オットと私は小さな面談室に呼ばれた。私の母も「私も行く」と言って聞かなかったので同席させた。

「スティル病にしろ間質性肺炎にしろ、同じ薬を使っての治療になるのですが…。スティル病はともかく、間質性肺炎の進行が非常に速い。そして薬がほとんど効果を見せていません。このまま効かないと…。最期をどうするかご家族で話し合って決めてください。延命治療をどうするか、ということです」

私は「何を言ってるんだ?この人」としか考えられなかった。

最期…?

延命治療…?

オットは冷静に言った。

「つまりこのままでは僕は命を落とす、ということですね?ちなみに延命治療、というのは…?」

「人工呼吸器の装着等、ということです」

「僕はねえ…こいつ(私)のばーちゃんの最期を見た時に…寝たきりで管につながれて呼吸器で無理に息をさせられて、“これは違うな”と思ったんですよ。僕はこうはなりたくない、と。先生はどうお考えですか?」

ドクターは言葉を慎重に選びながら

「このまま肺炎が進むと、呼吸が出来なくなります」

オットはこの時点では鼻にカニューレを挿入して酸素を取り込んでいた。

「カニューレでは間に合わなくなるので、酸素マスクの着用になります。かなり苦しいです。その苦しみを和らげるためにモルヒネを投与します。それによって呼吸が楽になり、徐々に薬の量を増やし、眠るように、となるでしょう。人工呼吸器の装着、というのもあるのですが…。肺炎が進むと肺の壁がもろくなり…要するに人工呼吸器と言うのは無理に酸素を送り込むわけで、その圧に肺の壁が耐えられないでしょう。却って悪化させます。ですからこれはあまりお勧めできません」

オットはなぜか穏やかな笑みまで浮かべて

「僕も苦しいのは嫌ですねえ。じゃあ、そうしてください。人工呼吸器は使いません。最期どうしても苦しい状態になったらモルヒネを投与、ということで」

そんなわけでオットの延命治療、という選択はここでなくなった。

 

その「このままでは死にます」という宣告を受けてからもオットはわりと元気だった。もちろん薬で発熱を抑えられている日に限ったけれど。

それでも毎日仕事が終わってから病院に行くと、大体ご飯を食べている時間で、そして少し話をして、帰りはエレベーターホールまで見送ってくれた。

ところがある日、出勤したばかりの私に病院から電話がかかってきた。

「ご主人、容態が悪化したんです。今落ち着いてますけど、すぐ来てください。今大丈夫ですからね、気を付けてきてください」

とうとう肺の壁がもろくなり縦隔気腫を起こしたのだった。

内臓と言うのは各内臓だけでなく、いくつかのグループで場所が分かれている。心臓,大血管,これをおおう心膜,食道、気管などが収まっているそれを縦隔、という。間質性肺炎が進行したオットの肺はもろくなり、本来なら行くべきでない縦隔に空気が漏れだしたのだった。

自分ですべて聞き、判断し、納得しないと気が済まないタイプのオットには、ドクターからすべてお話してもらうよう頼んであった。オットはそれまで治療のすべて、解熱剤が変わっただけでも必ず自分で聞き、確認した。

が。その時に言われた「漏れた空気が心臓を圧迫し、突然心停止する恐れがあります。24時間の付き添いに入ってください」はオットに最期まで言わなかった。言えなかった。

 

縦隔気腫を起こしたことにより、オットはすべての活動を禁止された。歩くことはおろか、食事、寝返りも禁止、排せつもベッドの上で、と言われた。オットが動かしても良いとされたのは腕と首だけだった。

その日からオットは酸素マスクを装着、栄養を点滴で受けた。

「オレ、具合が悪くなったの、朝飯食う前やったんやー。あー…食っときゃよかったー」

おどけてそんなこと言うオットだった。

 

さて。点滴だけの栄養ではとてもじゃないけれど足りない。ドクターはもっと高濃度の栄養を取るために喉と言うか胸の上部に穴をあけ、そこからもっとドロッとしたものを食餌として送ることを提案した。

「穴は…普通にご飯が食べられるようになったら塞がるんですよね?」

私はそのまま食べられなくなるんじゃないか、そのまま胃ろうなどになるんじゃないか、と不安だったのだ。

私がそう聞くとドクターは言った。

「もちろんです。肺の穴が塞がって、食事を口からとれるようになったら塞ぎます」

オットに迷いはなかった。生きるための必須。生きるために必死だった。

その処置は病室でされたのだが、ドクターが「奥さんは見ないほうがいいです」と言い、病室を出された。

しばらくして廊下で待つ私に看護師さんが声をかけた。急いで中に入るとオットは顔を真っ赤にして息も絶え絶えの状態になっているではないか。私の目からたちまち涙があふれ出て、オットに駆け寄った。

「Tさん、Tさん!!!」

声を絞り出すように、大丈夫や、と答えるオットだったがどう見ても大丈夫ではない。ドクターが言った。

「本当に申し訳ありません。処置の最中に誤って血管に空気が入ってしまったんです。Tさん、本当に申し訳ありません。苦しいですよね。本当にすみません」

なんてことだ…血管に空気…。ただでさえ呼吸ができない状態のオットがそんなことになったら呼吸困難になるに決まっているではないか!

けれどオットはドクターに対しても、いや大丈夫です、と答えた。

私はオットの泣きながらオットの名を呼んだ。何度も何度も呼んだ。他に言葉が出ない。

オットは肩で息をしている。肩で息をしながらオットは…オットは私に向かって微笑んでこう言った。

 

「これでまた頑張れる」

 

私はその瞬間、号泣した。

なんて人だろう。なんて強い人なんだろう。なんて…立派な人なんだろう。

だけど。立派じゃなくていいの。泣き言を言ってもいいの。「ドクター、なんちゅうことしてくれるんや!」って文句を言ってもいいの。「辛い」「しんどい」って言ってもいいの。だけど言わない。

私はこの言葉が本当に忘れられない。この言葉、この時の表情、この時の声のトーン。この時の眼差し。全部。

だからこそ。

どうしてこの人だったんだろう、と思わずにはいられないのだ。

私自身だったらもっと納得がいくのに。どうしてこの人なんだろう。

もっともっと悪い奴だって、どうでもいい奴だっているのに。本当に世の中って不公平だ。真面目に必死に生きてきた人間にこの仕打ちはあんまりだ。

 

オットは延命治療を受けなかった。

が。この栄養の太い管は最期まで取れることはなかった。