2019 年2 月5 日(火)江戸川学園取手中学校第3 回入試当日。車で行きたがった息子を説得し,妻は息子と電車で向かった。第1 回入試では長蛇の列だった取手駅も第3 回入試ではまったく混んでいなかったそうである。2 月5 日ともなれば,もう大抵の子どもは行き先が決まっているのだ。江戸取は「再チャレンジ」という制度があり,一度,難関大Jr.コースで合格した子どもが,再度受験して東大Jr.をめざすルートがある。その子どもたちもこの日の受験生に含まれている。それにしても受験生の数は少なかった。


 私は仕事だったので詳細はわからないが,帰宅後の息子の話を聞くと第3 回入試は難しかったそうである。
 

 巣鴨中が不合格であったことを踏まえ,■■中学に36 万円を振り込んだ。もし,江戸取に受かったら,払った36 万円を捨てて江戸取に入るか,そのまま■■中学に入学するか,結論を出さずにいた。


 翌日の2 月6 日(水)午前10 時。こっそりとスマホを覗いて,いつものように受験番号と生年月日を入力した。


 「残念ながら,不合格となりました」
 

 これで■■中学の入学がほぼ決定した。巣鴨の繰り上げ合格は算数選抜のせいでほとんど望みがなくなっていた。というのも,算数選抜の募集は20 名だったが,実際に合格を出したのは172 名である。例年のような繰り上げ合格を期待して待つような状況ではなかった。
 

 これで中学受験の全日程が終了した。長いようで,本当に長かった1 ヶ月間だった。親として気丈に振る舞ったつもりだが,支えてくれた家族や親の存在が大きかった。親について書いたFacebook の記事を紹介したい。


 今回,息子の中学受験について,一つ一つの結果を私の両親に伝えていた。
 おそらくそれは,表面的には初孫の行く末を心配している両親への情報公開,ともいえるが,実際には私自身の不安をシェアしていたことに他ならない。
 嬉しい報せならばよいが,8 回も連続して「残念ながら…」と伝えたのは良かったのだろうか,と途中で感じていた。なぜならば,私以上にどうすることもできない両親にとって,孫の不幸を知らせ続けるのはあまりに残酷に思えてきたからだった。
 不合格の報せに私は傷ついていたけど,両親は自ら何もできないからこそ,辛かったのでは無いだろうか。

 

 ふと,芥川龍之介の「杜子春」の一節が思い出される。
 〈以下引用〉
 「心配をおしでない。私たちはどうなっても,お前さえ仕合せになれるのなら,それより結構なことはないのだからね。大王が何と仰っしゃっても,言いたくないことは黙っておいで」
 それは確かに懐しい,母親の声に違いありません。杜子春は思わず,眼をあきました。そうして馬の一匹が,力なく地上に倒れたまま,悲しそうに彼の顔へ,じっと眼をやっているのを見ました。母親はこんな苦しみの中にも,息子の心を思いやって,鬼どもの鞭に打たれたことを,怨む気色さえも見せないのです。大金持になれば御世辞を言い,貧乏人になれば口も利かない世間の人たちに比べると,何という有難い志でしょう。何という健気な決心でしょう。杜子春は老人の戒めも忘れて,転ぶようにその側へ走りよると,両手に半死の馬の頸を抱いて,はらはらと涙を落しながら,「お母さん」と一声を叫びました。


 一昨日,併願校の合格を知らせると,直ぐに父からメールが来た。
 「おめでとうございます。嬉しい報せにお母さんは泣いています」
 その直ぐ後に,母からメールが来た。
 「(息子の名前)よく頑張りましたね。本当におめでとう。お父さんと泣きながら手を叩いて喜びました」
 そうか,泣いていたのは母だけではなかったんだなぁ。
 私は相当,両親に罪作りなことをしていたんだなぁ,と感じた。
 散々両親を「毒親」などとディスってきて,卒論のテーマにまでしてきた私だが,それはつまり不器用な両親の熱すぎる愛情に他ならなくて,もちろんその愛情に縛られて私自身がどう生きるかの自由を放棄する必要はないが,その愛情を都合よく利用している私自身の狡猾さを無いものとすることはできない。
 親って何だろう。
 我が子の進路だけでなく,孫の進路まで心配させている,親不孝な私。健気にエールを送り続けてくれている両親。
 色々と考えさせられる。
 2019/02/05 5:12


 さらに,「努力」について考えたことを紹介する。
 

 努力の話。
 第1 志望の学校の不合格が決まった息子は,フツーに凹んでいた。私としては,まぁ,あの程度の努力では仕方がないなぁ,と思っている。
 最近,私が気に入っている成長のモデルとして,3 層の同心円の図がある。一番内側は「comfort zone(コンフォート・ゾーン)」外側に「stretch zone(ストレッチ・ゾーン)」,一番外側に「panic zone(パニック・ゾーン)」成長するためには,心地よいコンフォート・ゾーンでもなければ,何が何だかわからないパニック・ゾーンでもなく,程よい負荷のかかったストレッチ・ゾーンにいる必要があるとされる。
 私の場合,パニック・ゾーンに限りなく近いエリアのストレッチ・ゾーンに身を置くことが多い。目標を達成した自分をデフォルトにして,達成できない,していない自分(現状を含む)をとことんディスることによって,自分を追い込んでいく。
 この方法は成功すれば大きなリターンがあるけれど,失敗した時に物凄いネガティブな感情の渦に飲み込まれる。さらに成功した場合においても,努力をしていないフツーの人にダメな自分の姿を投影してしまってディスりたくなる。
 一方,息子のような努力の場合,限りなくコンフォート・ゾーンに近いストレッチ・ゾーンに身を置いている。自分の限界を攻めていない分,辛くはないがリターンは大きくない。
 しかし,他人に対してディスったり,敵意を抱いたりすることはない。
 どちらの努力が良いとか悪いとかではなくて,おそらく生き方の問題なんだろうと思う。
 アドラーの考えを引っ張って来るまでもなく,私の生き方を決めるのは私であるから。
 2019/02/05 5:49

 

 さらに子育てについて書いた記事である。


 息子を見ていると,自分の生き方,考え方の間違いに気づく。
 息子がヘマをすると,親である自分を反省する。
 親として全然足りないのに,言う事を聞いて,慕ってくるんだから,子どもというのは健気な存在である。
 中学2年のときに,週一で必修だった論語の授業で次のようなのを習ったのを思い出した。


 曾子曰く,吾,日に三たび吾が身を省みる。
 人の為に謀りて忠ならざるか,
 朋友と交わりて信ならざるか,
 習わざるを伝うるか。
 (曾子がこうおっしゃいました。
 私は1日に3回我が身を振り返ります。1つ目は人のために真剣に物事を考えてあげただろうかということ。2つ目は友人と接するときに誠意を持っていられただろうかということ。そして3つ目はまだ自分がきちんと理解できていないことを,受け売りで人に教えはしなかっただろうかということです。)
 『論語』(学而第一より引用)


 対象を我が子にしても大いにあてはまる。
 日々是改善。
 元々の部分はそう変わらないけど,日々の小さな変化は,やがて大きな成長につながる。
 人間として,親として未熟なのに,子育てをしなくてはならないのだから,子どもにはすまないと思う謙虚さと同時に,私自身が高まっていかないといけないのだと心に誓ってきた。
 息子の中学受験を機会に,いろいろな事を考えたし,親として反省したり,苦しんだりしたけど,成長もできたかな,と思う。
 ただ,4 時過ぎに目が醒めてしまう状態が,しばらく続いているけど…。(^_^;)
 2019/02/08 5:30

 

 私にとって息子の中学受験は自分自身を振り返る旅であり,私の親が私にしてくれたこと,かけてくれた愛情を探す旅でもあった。今回のチャレンジは息子にとって人生の選択であったと同時に,私自身の成長の糧になったと強く感じた。

 最後に,全試験結果を一覧にして以下に示す。
 

1月 6日(日)●●中学校(第1回) 合格 第二種特待生
  13日(日)茗溪学園中学校(第1回) 不合格
  17日(木)江戸川学園取手中学校(第1回) 不合格
  23日(水)芝浦工業大学附属柏中学校(第1回) 不合格
  25日(金)江戸川学園取手中学校(第2回) 不合格
  26日(土)茗溪学園中学校(第2回) 不合格
2月 1日(金)巣鴨中学校(第Ⅰ期) 不合格
   1日(金)巣鴨中学校(算数選抜) 不合格
   2日(土)巣鴨中学校(第Ⅱ期) 不合格
   3日(日)■■中学校(第3回) 合格
   4日(月)巣鴨中学校(第Ⅲ期) 不合格
   5日(火)江戸川学園取手中学校(第3回) 不合格