$書いたよ だってブログだもん-山田久志監督
どんでんの後を受けて、オリックスバファローズの新監督に就任が確実視される元阪急ブレーブスのエースにして、元中日ドラゴンズ監督の山田久志さん。
中日ドラゴンズで投手コーチ、ヘッドコーチ、一軍監督で1999年から2003年まで在籍され、投手コーチとしてはオリックスコーチ時代に輝かしい実績があり、ドラゴンズのコーチ監督としては、21世紀のドラゴンズ黄金期の土台作りに佐々木恭介ヘッドコーチと共に尽力された。
ぶっちゃけ、監督としては高木守道現監督と同じで「この人は天下は取れない」と言う線の細さがあった。
なんかねえ、2001年オフの秋季キャンプで選手に接してる姿も、新監督と言うより、「山田久志ヘッド兼投手コーチ」がブルペンを見てるような感覚だったよ。野手は佐々木恭介ヘッドコーチに任せてたし、作戦は二宮至コーチと言う優秀な人居たしね。なんか、2001年の陣容から星野仙一監督と島野ヘッドコーチが抜けただけみたいな。
でも、山田さんは「中日ドラゴンズが招聘したんじゃなくて、星野仙一監督が個人的に招聘した」人だったから、星野仙一が居なくなったら、ほら外国に置き去りにされてしまったようなもんよ。

正直、監督になっても「あの投手陣運営の手腕で大過無くやり遂げるかな」ぐらいに見てたら、本当にそんな感じだった。
ほんで、球団もあんまり補強してくれないのよ。「こいつに補強してもしゃーない」って感じで、まあミラーを獲得に動いたのと、谷繁をFAで獲ったのは凄いけど、ミラーはあれだったじゃんw。谷繁はメジャー行きがあかん時と言う奴で流動的だった。
ほんで、ミラーの代わりがゴメスに代わる四番の大砲としては「?」のアレックス。ほんで、以前阪神解雇されたクルーズ。何を獲りやがると思った。

でも、2003年開幕戦の「福留、井端、立浪、アレックス、クルーズ、谷繁、井上、荒木、川上」のオーダーは燃えたわ、久志さん。アレックスはレーザービーム披露するわホームラン打つ。クルーズも打つしね。
ところが、どうしても「コーチの感覚で監督やってる」みたいなって言うか、「コーチと言う器なら満杯に満たすけど、監督と言う器に入れると容量不足」って言うのが、人心掌握の面で露呈して、今ひとつ全幅の崇敬を選手から受けられなかったって感じ。どうしても投手に比重が傾いてしまうんすなあ。
ほんで、本人も言ってたけど、2003年も阪神の独走を許してはいるけど、2位か3位に位置して「山田ドラゴンズらしい安定と言うか小康」を維持してて、続投も内定しててオフの補強に関する話し合いも出てたんだよ。
ところが8月の終わりから9月頭にかけてバタバタっと負け出したの。訳わからんかった。
今思うと、チーム内で突如「山田久志イラネ」と言う空気が出だしたと言うか、「完全な外様監督でAクラス堅持」だけでは上層部が納得せんようになったんちゃうかな。

今でも、惨いと思うよ、あの更迭劇は。9月9日からの広島での3連戦の為に新幹線で広島入りした山田監督。ここで新聞に「山田久志監督休養」の記事。びっくりして監督は球団に電話で問い合わせたら真実。しかも
「これは新聞辞令ですか?」
「そう受け取って貰っていい」
と言われたと言う。哀れ、山田久志監督は新広島駅のホームで更迭されて、その日の指揮を執る事なく、上りの新幹線で帰名したのである。ああ、今書いててもかわいそうだ。

しかし、この時点で59勝61敗で5位に沈んでいたチームは、まさに新広島駅のホームで誕生した佐々木恭介監督代理(実質は佐々木監督、二宮至コーチ、立浪和義キャプテンのトロイカ)で鮮やかな快進撃を開始。残り21試合を15勝5敗1引分けで勝ち切り2位でゴールインしたのである。(あまりの快進撃に、落合博満監督の就任が内定してたが、佐々木恭介監督のままでいいのでは?と言う話が囁かれたぐらい)

この戦力にさらに磨きをかけて、巧みに駆使して落合博満監督は2004年に、特に後半は危なげなく独走で優勝する訳だが、落合博満が勝つ為の武器を用意したのが山田久志監督時代と言える。

ただ、後継の落合博満監督と比較する度に、
「ただ優秀なだけでは優勝には届かないものなのだなあ」
と指揮官の深い部分での資質の差を知ったのが、山田久志監督と落合博満監督の差だったよ。


それにしても、びっくりしたのは、いくら前監督でチーム事情に詳しいからって、あんな辞めさせられ方して、事もあろうに中日新聞色の濃いCBCの解説者をやってたのが凄いよな。外様監督故の悲哀を舐めさせられたのに、今度はまるで昔から中日ドラゴンズに居たかのように。
ほんで、解説者やってたら的確でズバズバ当たるんだわ。

ま、勝負事って外から眺めるのと内側で責任背負ってやるのとは違うんだなあ(まあ仕事ってそうなんだけど)と言うのも教えられた監督さんでした。