東日本大震災において被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます
この度の東日本大震災において、
被災された皆様並びにご関係者の皆様に、
心よりお見舞い申し上げます。
わたしたち『あわわ』は、全国のタウン誌が集まった[タウン情報全国ネットワーク](東京本部)に加盟しています。
そんな仲間のタウン誌の中で、『アキュート』(岩手)、『せんだい』、『あきた』、『ふくしま』、『こおりやま』(福島)、『いわき』(福島)、『もんみや』(栃木)という多くの出版社が大地震の被害に遭われました。
幸いスタッフの皆さんは無事ということでしたが、ご家族に連絡の取れない方がいたり、編集部内は荒れ果ててしまい次号の発行が危ぶまれるという被害を受けられました。
この度の大地震で被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げるとともに、犠牲になられた方々とご遺族の皆様に対し、深くお悔やみを申し上げます。 被災地におかれましては、一日も早く普段の生活に戻れますよう心よりお祈り申し上げます。
歴代編集長リレーコラム 8代目編集長 平井和哉
●タウン誌あわわ連載中
【歴代編集長リレーコラム】
※あわわ30周年を記念して歴代編集長に当時の苦労話や、
今だからこそ言える告白など、当時の思い出を綴るコーナーです。
2011年3月号(2月25日発行)掲載
◎タウン誌あわわ
8代目編集長/平井和哉
編集長任期/2001年5月~2002年4月
八代目編集長の平井です。前任・ハラダくんから「酒でも呑みながらどうぞ」というバトンを受けましたので、そのようにさせていただきます。
姉妹誌アーサの編集長をしばらくしていたものですから、仕事自体は慣れていたつもりでしたが、やっぱし大変だったのはキャラ作り。そのころはもうすっかりオッサンになっていましたので、どうやったら高校生たちのヒーローになるかということを悩みましたね。
でもまあおかげさまで、サトーくん、ゴリ、やまちゃん、ゆみちゃん、のりこ、エリナちゃん、よしむらっち、岡さん、ぎゃるどといったキャラが立っているスタッフに囲まれていたので、ボクはぼんやり酒を呑んでいるだけで大丈夫でした。しかも誌面は前任・ハラダくんがほぼ完璧なものにしてくれていたので、ボクは誌面づくりはほぼ何もせず(笑)、スタッフたちのキャラの活かし方を考えるだけで済みました。
中でも最も楽しかったのは「出張阿波おどり」。文字通り県内のあちこちに出向いてボクたちが阿波おどりを教え、然るべきところで披露してもらうというもの。もちろんその様子はモノクロ2Pでレポートさせていただきました。上那賀町の婦人会(だったかな?)、徳島北高の文化祭(だったかな?)、あと藍住の美容室さんのスタッフ(だったかな?)などなど。何屋やねーん!という話なのですが、まあ、おもしろかった。そして、どこに行っても本当に愛を持って受け入れられたのも嬉しかったなあ。
そう。そもそも「あわわ連」が誕生したのも、この年でした。ぎゃるど連長のスパルタ指導の甲斐あって、初年度から大成功! 今もなお「あわわ連」は連続出場しております。ボクは3年踊って引退しましたが(酒の回りが早くなったため)、ぎゃるどは今でも夏になると指導に来てくれているようです。
このことでボクは、タウン誌の可能性というか、あわわという会社のポテンシャルを改めて感じましたね。で、以降、「Summer BANG!」や「パラソルショップ」などのイベントも積極的に仕掛けていくことになります。あ、もちろんボクはただの酔っぱらいなので、何もしてませんが。。。
ということで、酔いどれ編集長はわずか一年で退任。石井町イチのカワイコちゃん・山根静さんにバトンタッチしました。しずさん!ホメときましたで!
●『あわわ』3月号・2月25日発売号に掲載しました。
特集=・とくしまバーガー大発進 ・とくしま新生活本2011
→ http://bit.ly/676L3f
またまた…足りなかった昔の本を譲ってくれましたーーー
オドロキのお知らせです。
「あわわバックナンバーフェア」開催のとき
「創刊号から揃えてみたら足りない号が、13号分ありました。」
…と、メールやブログやツイッターで呼びかけたところ
Mさんという男性が来社されて
3冊、譲ってくれましたーーー!!!
そ、そしてまた…、
今度は鳴門のMさん「渦っ子」さんが
3冊、譲ってくれたんです!!
ありがとうございます~!!!
27年も昔の本なのに保存してくださっていたなんて…。感激です。
渦っ子さんのおかげで
・1984年10月号、11月号、
・1985年5月号
が揃いました。
あと、足りないのは7冊です。
・1981年12月号
・1982年1月号、12月号
・1983年1月号、2月号
・1984年9月号
・1994年4月号
他に…
も、持っている人、いませんかーーー。
下記の写真は、会社の会議室にズラリと並べた
バックナンバー約350冊です。
足りないバックナンバー、3冊ゲット!!!
本日から1月31日(月)まで
徳島駅前・小山助学館本店で
「あわわバックナンバーフェア」開催しています。
ぜひ、足を運んでくださいね。
ところで、
「創刊号から揃えてみたら足りない号が、13号分ありました。」
…と、先週末にメールやツイッターで呼びかけたところ
今日、Mさんという男性が来社されて
3冊、譲ってくれましたーーー!!!
ありがとうございます~!!!
こんなに早く反響があるなんて…。感激です。
Mさんのおかげで
・1982年4月号、6月号、
・1988年8月号
が揃いました。
あと、足りないのは10冊です。
・1981年12月号
・1982年1月号、12月号
・1983年1月号、2月号
・1984年9月号、10月号、11月号
・1994年4月号
も、持っている人、いませんかーーー。
自分が載ってるので、記念に置いてあるとか…。
まあ…古い号ばかりですけどね。。
もし譲っていただけるのなら、
1冊1000円で買いますので。
よろしくお願いいたします~。
足りないバックナンバー探してます!!
さて。
2011年1月25日(火)から31日(月)の、
徳島駅前・小山助学館本店での
「あわわバックナンバーフェア」の準備のために
創刊号から約350冊・・・揃えてみたら
足りない号が…
13号分ありました。
・1981年12月号
・1982年1月号、4月号、6月号、12月号
・1983年1月号、2月号
・1984年9月号、10月号、11月号
・1988年8月号
・1994年4月号
も、持っている人、いませんかーーー。
自分が載ってるので、記念に置いてあるとか…。
まあ…古い号ばかりですけどね。。
もし譲っていただけるのなら、
1冊1000円で買いますので。
よろしくお願いいたします~。
あわわが約350冊並んだ~圧巻!!!
本日、あわわ創刊号から約350冊の表紙が5階会議室に並びました---!!
圧巻です。
がんばってくれたスタッフさんと、応援してくれた徳島のみなさんの集大成ですね。
ありがとうございます。
タウン誌あわわは、2011年4月号(3月25日発売)で創刊30周年を迎えます。
これを記念して
『ありがとう徳島!あわわ創刊30周年記念プロジェクト【あわわのWA!】』
を続々発信しています。
1月から始まる主なイベントは下記の通りです。
お近くへ行かれることがありましたら、ぜひお立ち寄りください。
■あわわバックナンバーフェア&全国のタウン誌展開催
2011年1月25日(火)~31日(月)
場所 徳島駅前・小山助学館本店
時間 9:00~21:30
入場無料
①北海道から沖縄まで全国のタウン誌を展示します
②あわわ創刊号から今月号までの約300冊を展示します
③別冊[GO!GO!高校生アルバム2011“ソツアル”](1月22日発行)発売フェアを開催
■建てようネットフェスティバル[22×30展]開催
2011年1月29日(土)、30日(日)
場所 文化の森・徳島県立近代美術館ギャラリー
時間 10:00~17:00
入場無料
徳島を代表する建築家と県内登録工務店のパネル展
あわわが主宰する[建てようネット徳島]の面々が勢揃いする
[建てようネット]で建てた家、約80軒のお披露目や、建築家のリレートークもお楽しみに
■徳島の高校卒業アルバム『ソツアル2011』写真展開催
2011年1月22日(土)~3月31日(木)
場所 徳島駅クレメントプラザ4F
時間 10:00~20:00
入場無料
■あわわ創刊30周年記念史ブログ
過去から現在へ向かって更新中。
創刊時からの主な出来事、入社スタッフの紹介など。
http://ameblo.jp/awawa30th/
歴代編集長リレーコラム 7代目編集長/原田剛
●タウン誌あわわ連載中
【歴代編集長リレーコラム】
※あわわ30周年を記念して歴代編集長に当時の苦労話や、
今だからこそ言える告白など、当時の思い出を綴るコーナーです。
2011年2月号(1月22日発行)掲載
◎タウン誌あわわ
7代目編集長/原田剛
編集長任期/1999年4月~2001年5月
7代目あわわ編集長になったのは今から12年前。26歳の夏でした。
今でも、ありがたいことに“徳島ラーメンの名付け親”として、麺関係のオファーをいただきますが、徳島ラーメンブームの裏話については、あと5000文字くらい必要なので割愛しますね。
12年前の僕が目指したことはズバリ《タウン誌の現代化》です。当時あわわ社員歴が3年しかなかったワカゾーは、全国のタウン誌業界で活躍していた名物編集者たちに「タウン誌の未来について?」ムリヤリ出張を入れては聞いて回りました。
そこで解ったことは《タウン誌は80年代から進化していない》という現実(これも詳しく書くと1万字は必要なので割愛!)。
夏に編集長に就任し、秋に本格的に取り掛かった《あわわ現代化》作業を簡略に分けると以下の5つです。
①「街ネタ」という新しい概念の導入 ②県民「撮りまくり」の開始 ③サマバン等の頻繁なイベント実施
④「徳島ラーメン」のような地域の文化を育てるムーブメント ⑤WEBと誌面の連動・・・大きく分けると以上の5つです。
実は①「街ネタ」という概念は、それまでのタウン誌にはなかったんです。
情報トピックス的なページはどこにもありましたが、あまりメインではありませんでした。タウン誌の進化よりも、街や人やネットの変化が速い・・・それをフォローするため巻頭に街や人の動きを大幅に持ってきました。
「街ネタ」という言葉は今ではいろんな媒体が使ってますが、西日本で初めて「街ネタ」という呼称を取り入れたのは、あわわだと思います。②の「撮りまくり」というのも、それまでタウン誌に載るのは特別な人だけ(可愛い子、カッコイイ子、何かで優勝した子など)でしたが、普通の子だって特別じゃ!ということで、成人式やら入学式やら、とにかくカメラ持って東奔西走しました。③はサマバンの他、夜のクラブ系イベント「ナイハン」など、とにかく編集者が街へ出よう!と、社内の部署を問わず、誌面を飛び出したイベントをやってました。
①②③に関して、今でも続いているのは、元編集長として嬉しいですね。
残りの2つも詳しく書きたいのですが、スペースがないので、④&⑤の合わせ技として『あわわ的住民投票』を挙げておきます。
これは全国ニュースでも話題となり、中学社会『公民』の教科書にも載っています。
教科書に載ったタウン誌なんて、あわわくらいでっせ!! では来月は8代目・平井さん、酒飲みながらどうぞ~。
歴代編集長リレーコラム 6代目編集長/澤田美紀
●タウン誌あわわ連載中
【歴代編集長リレーコラム】
※あわわ30周年を記念して歴代編集長に当時の苦労話や、
今だからこそ言える告白など、当時の思い出を綴るコーナーです。
◎タウン誌あわわ
6代目編集長/澤田美紀
※あわわ編集長任期/1997年10月~1999年3月
下記は、2011年1月号(12月25日発行)掲載
前任のセクシー系ARさんとは真逆も真逆、がちゃがちゃと騒がしく会話に擬音が多い6代目編集長サワダです。
それまで姉妹誌『アーサ』のボンクラスタッフとして誌面をつくっていたのに、降って湧いた社内の花形商品『あわわ』の編集長就任の話に、「いつも遊び心を忘れないあわわらしい社長も巻きこんだどっきり!? それとも新しい罰ゲーム? 現実なら無理ゲー過ぎる!」って脳内パニック。
無駄な地団駄を踏んでみたりしましたが、気がつけば個性豊かで愛に溢れた仲間やブレーンに囲まれて素敵な体験をさせていただきました。
さて就任期間中ちょうど明石海峡大橋が開通し徳島と本州が陸路で直結されたということもあってレジャー系の特集では四国だけじゃなく関西圏の情報もどんどん取り込んで内容もますます豊富に。
けどやっぱりメインは“トクシマ”。局地的流行でプーマのジャージがハヤってると知るや否や街頭インタビューに出掛け、メーカー(ドイツ本社じゃくて当時日本の販売事業をしていた会社)には電話で突撃取材を敢行して「トクシマプーマ伝説」と題して特集を組んだこともありました。
また『徳島テレビ祭』(03年まで年1回通算13回開催されていたイベント。唐沢寿明や中山美穂などビッグネームがゲストで来徳していた)のタレント候補生コンテストにコッソリ応募してグランプリを受賞したスタッフ・ゴリを表紙に起用、中面の記事では「かっこいい写真撮ってやるから筋肉さらせや!(考えなしに天然でパワハラ&セクハラのコンボ技くりだしてます)」とバックスタイルとはいえフルヌードを掲載したり、いい感じにはっちゃけていたと思います。
個人的には推理小説好きというのもあって、あわわ誌上初の本格ミステリー小説「鷲敷町役場連続殺人事件」は毎月校正をしながらワクドキしていたのを覚えていて、企画を出してくれたゴメっちと作者の根木屋さんには今さらながら感謝です。
そしてこの後いよいよ徳島ラーメンが20世紀最後のご当地ラーメンとしてセンセーショナルな全国デビューを飾るのですが、時を同じくして初代・住友さん以来久しぶりの漢(?!)編集長・たけぴーこと原田剛が誕生するわけです。
で、私は同じフロアの隅っこへ異動したのであります。
●『あわわ』1月号
100円温泉 ・ラーメンランキング&半額クーポン
歴代編集長リレーコラム 5代目編集長・三浦三重子
あわわ創刊30周年記念史ブログ
あわわ創刊30周年を記念して連載しているコーナー。
歴代編集長が当時の苦労話や、今だからこそ言える告白など、
当時の思い出を綴ります。
●タウン誌あわわ2010年12月号(11月25日発売)掲載
5代目編集長・三浦三重子 1995年~
あわわスタッフ・関係者各位には、ARとの愛称で呼ばれる、私、5代目編集長・三浦三重子と申します。
思い起こせば二十年前、当時乗ってたカワサキのバイク=ARのペンネームで、四コマギャグ漫画を本誌に投稿していた一読者の私でしたが、当該作品が編集部の目にとまり、誌面連載が決定。
読者投稿で構成する大喜利コーナー「あわわ侵略軍団」をスタートさせました。
その頃、漫画家を目指していた私は、夜は焼き肉屋のバイトに励み、残りの時間は全て原稿の執筆に費やす極貧の日々。
風呂なし長屋でのフリーター生活を見るに見かねた当時の編集長・ごんちゃんが、別冊の取材のバイトを勧めてくれたのが、正に人生の転機でした。
取材の面白さにハマり、「これぞ天職」との手応えを覚えた私は、雑誌作りの魅力にどっぷりのめりこみ、遂には正社員としてエディターの道を歩む事に。
ページを開いた読者をどんな仕掛けで楽しませるか、いつもドキドキわくわくしながら企画を練ってました。
徳島の仰天スクープを満載した「月刊トクスポ」、
体当たりチャレンジ企画「走れうなぎくん」、
徳島出身のプロレスラーを起用した「新崎人生相談」、
徳島版SMAP=「AWAP」の結成、
お笑い高校生の吉本進出計画等々、
娯楽性の高い誌面作りが編集者時代の持ち味で、
面白ネタを嗅ぎつけては東奔西走。
「沖洲海岸に巨大マンボウが浮いてる」、
「徳島そごうに馬の首を被った男がいる」
などと読者から通報があれば、速攻取材のフットワークでした。
連日、深夜の勤務も栄養ドリンク飲みながら楽しんでやってたな。
編集長となってからも、雑誌作りの気骨は変わらず、誌面を目にした読者が、「徳島って面白い!」と地元の良さを認識したり愛着を持ってくれたら、なんて想いで誌面作りに取り組んでました。“グルメ特集をすれば部数は稼げる”神話に対する反骨精神もあったかな。
県民性を前面に打ち出した特集や、「一宇村復興プロジェクト・スキー&湯けむりツアー」など、地域と連携したイベントも積極的に行ってました。
な~んてマジメな話を書き連ねてしまったけど、当時の私、らしくない編集長でありまして、プロレスラーの扮装でイベントに参加したり、半ばヘソ出しで新人研修したり、商工会でルーズソックスについて講演したりする、とんでもないヤツでした。
そんな私の後任は、当時人気だったタレント・篠原ともえ風トークのトンデモ編集長・澤田美紀ですう~。
そして私は別冊部編集長へとドロン!
●タウン誌あわわ2010年12月号96ページに掲載。
12月号=特集・とくしまうどんニュース72 ・女心とクリスマス
→ http://bit.ly/676L3f










