「ねぇねぇ、今日の夜中って、ペルセウス座流星群が見れるんだってよ!」

「ペ・・・・・ペル・・・・・何だそれ?」

「だからぁ、『ペルセウス座流星群』! 要するに流れ星の集団に遭遇できるってコトだよ!」

 いつになく興奮気味なねこおうじが、得意の占星術関係の記事を新聞から引っ張ってきて熱弁を振るっていた。

俺はそういうのに大して興味もないし、細かいことは理解出来ないから、ねこおうじが流星群とは何かということについてそのへんにいたメンバーを捕まえて講釈を垂れている間に、こっそりと部屋を出た。

 最近は夜になっても気温が下がらず、熱帯夜とかいう寝苦しい日々が続いている。おかげでいつも眠りは浅く、適度に酒を引っ掛けて帰ってもどうにも熟睡できた気がしない。

 眠れないとさ、余計なこと考えちまうだろ?

 だから俺は基本的に、夏は好きじゃない。

 

 廊下の角を曲がった時、危うく誰かと鉢合わせしそうになった。

 当たりそうになったことを謝ろうとして目を上げると、相手はうさばっちだった。

 見ると彼女は、手のひらに大事そうに何かを乗せている。

 紙で出来た・・・鳥のような形の小さな何かだった。

 「それって、何?」

 なぜだか俺は反射的に尋ねていた。だってあまりにもうさばっちが、それを大事そうに運んでいたものだから。

 「これですか?これは、『折り鶴』ですよ」

 「おり・・・・ずる・・・?」

 俺の顔をみてクスッと笑ってからうさばっちは言った。

 「そうです。折り紙で折った鶴です。平和祈念だとか、病気平癒だとか、そういうことを願って作ることから始まった手遊びですよ」

 「ふーーーーん・・・・」

 「・・・・どうぞ」

 めずらしく折り鶴とやらに興味を示した俺に、うさばっちは自分の手に持っていたものを差し出した。

 「え・・・?」

 「どうぞ。じゅりいぬさんに差し上げます」

 「え、いいのか・・・?」

 「はい♪」

 にっこり笑って、うさばっちは答えた。

 俺はなんだか大事なものをもらってしまったような気がして、どうしたらいいかオロオロしていた。

 するとうさばっちは、そんな俺の心情を見透かしたかのようにこう言った。

 「簡単に作れるんですよ。よかったらじゅりいぬさんにもお教えして差し上げましょうか?」

 真っ白い耳を片方ちょこんと曲げて、うさばっちは俺を見た。今や自分の手のひらの上に移った、紙で出来た鳥のようなものをしげしげと眺めながら、これはとても俺には作れないだろうと思った。

 「あ・・・いや、いいや。たぶん俺、こんな繊細なの作れねーと思うし」

 そう言いつつ、手に余った折り鶴をうさばっちに返してしまった。

 半ば押し付けられたように返された折り鶴を受け取りながら、ほんの少し残念そうにうさばっちは言った。

 「そうですか?本当に簡単なんですよ?」

 そして手のひらに戻ってきた鶴の頭と思われる部分を、人差し指でそっと撫でた。

 「千羽鶴って聞いたことあります?これと同じものを、千羽折って、繋げて作るんです」

 「千羽!?」

 「はい、千羽です。千回もこれと同じものを折らなきゃならないからとっても大変な作業ですが、千回分の思いが込められているでしょう?だから願ったり、思ったり祈ったりする気持ちも、この一羽の鶴なんかより、よっぽど強いんだと私は信じてます」

 手のひらに乗せた鶴を、自分の目の高さに掲げてうさばっちは言った。まるで紙で出来たその鶴に向かって『飛べ』とでも念じているかのように、折り鶴をじっと見つめていた。俺は何故だかその姿から目を背けることができなかった。

 神々しいような何かが彼女を、包み込んでいたような気がしたから。

 

 「そうそう、そんなことはともかく、今日の夜中にペルセウス座流星群がピークを迎えるらしいですね。じゅりいぬさん、見に行きますか?」

 さっきまで鶴の話をしていたのに、いきなり放課後の女子高生風情な明るさに満ち溢れながら、お前まで流星群の話をするのかと、若干被害妄想的な何かに襲われそうになりながら俺は答えた。

 「そうらしいな。さっきねこおうじが言ってた」

 俺の言葉を聞いて、うさばっちの顔色がさらに明るくなった。

 「私もねこおうじさんに教えてもらったんです。よかったらみんなで流星群、見に行きませんか?」

 キラキラした瞳で、うさばっちが俺を見る。

 「・・・・わりぃ。俺、そういうの興味ねーんだ」

 最後までうさばっちの言葉を聞かずに立ち去ろうとした俺の背中に、うさばっちは言った。

 「興味ないんですか?意外です。話によればじゅりいぬさんは、いつも屋根の上に登って天体観測をしてらっしゃるとか・・・」

 歩き去ろうとしていた俺は思わず立ち止まり、振り返った。

 「・・・それ、誰に聞いたんだ?」

 「むらいぬさんです」

 「・・・・ちっ。あいつ、誤解されるようなこと言いやがって・・・」

 俺があの屋根に登るのは、別に天体観測するためじゃねーっつーの。

 「・・・違うのですか?」

 首をかしげ、愛らしい表情を浮かべたうさばっちが尋ねる。

 否定しようかとも思ったが、なんだかめんどくさくなってしまった。

 「ちげーよ。ほっとけ」

 それだけ言うと、俺はその場を去った。

 

 その日の夜、妙な夢を見た。

 それはどこか遠い南の国で、遠くから銃声のようなものが聞こえていた。俺はじっとりと湿った地面に横たわり、その音を朦朧とした意識の中で聞いている。

 気づけば右の脇腹に激しい痛みがあった。生暖かいものが心臓の鼓動に合わせ、痛みを感じる部分から周囲に広がるように流れ出ているのがわかった。目を開けて周囲を見回したが、思うように首が動かず、ただ鬱蒼と茂った棕櫚の樹と、その枝葉の間から覗く真っ青な夏空だけが目に入った。あとは湿った土と苔のにおいと、鉄錆のような強烈な異臭が混じり合い鼻を衝く。さらに濃い硝煙のにおい・・・・。次第に呼吸が浅くなっていくのを自覚しつつ、俺はなんとなく理解した。

 ここは・・・・戦場だ。

 俺は戦争に出兵した兵隊で、負傷しておそらく瀕死の状態だ。

 断続的に鳴り響く銃声に混じって、時々人の声が聞こえる。

 それは追い詰められた人間の怒号のようなもので、すぐ近くで戦闘が繰り広げられていることを示していた。俺は戦場の真っ只中で倒れているのだった。

 敵にやられ、重症を負った俺は、このままここに打ち捨てられるのだろう。

 戦況は恐らく不利だ。俺がここから、生きて本土に戻ることはない。

 そう思うと、自然と目尻を涙が伝った。

 あの日、故郷に残してきた者たちを思う。

 みんな無事だろうか。

 腹を空かせてはいないだろうか。

 そして何より、生きていてくれているだろうか。

 出征の時、涙を堪らえ手を振り見送ってくれたあの姿を思い出す。

 あれが今生の別れとなってしまった。

 できることなら、もう一度会いたかった。

 もう一度この手で、彼らをかき抱きたかった。

 せめて最後に一目だけでも、彼らの顔を見たかった。

 その願いはもはや、叶いそうにない。

 痛む脇腹を押さえ、生ぬるい拍動を感じながら俺は目を閉じた。

 意識が途絶えるその時を、静かに待った。

 だがその時、一人の男が駆け寄ってきて、俺の名を呼んだ。

 「おい!しっかりしろ!目を開けろ!!!」

 そして俺の頬をピシピシと叩いた。

 俺は目を開いた。ぼやける視界の中に必死の形相で俺を抱き起こそうとする男の姿があった。

 「立てるか?今のうちだ、撤退するぞ!」

 その男は俺の腕の下に自分の身体を滑り込ませ、立ち上がらせた。腹に激痛を感じながらも、俺はなんとか両足に力を込めて、重い自分の身体を支えた。

 むせ返るような土と硝煙と汗と血の臭い。夏の暑い日差しとまとわりつく湿度。そんなものたちの中を、俺は仲間に支えられ走った。

 敵から逃れるために。

 生き延びるために。

 明日という日を、迎えるために。

 夢中で、俺は走った。

 家族に再会できる、明日に向かって。

 だが、俺のその夢はあっけなく潰えた。

 眼の前に、一人の敵兵が立ちはだかったのだ。

 手には自動小銃を持っている。

 異国の言葉で何やら叫びながら、間合いをじりじりと詰めてくる。

 鳶色をしたその目には、敵意と憐れみの入り混じった感情が浮かんでいた。

 恐らく降伏を促しているのだろう。捕虜になれば生き残れる道はある。

 武器を捨て、両手を上げれば、生きて本土に帰れるかも知れないのだ。

 だが、俺の隣にいる男は、それを選択しなかった。

 俺を支える腕をほどき、数歩前へ出ると、近づいてきた敵の顔面に唾を吐きかけたのだ。

 敵兵の顔色が、一瞬にして変わった。

 それまでわずかながらに浮かんでいた憐れみの色が、鳶色の瞳から完全に消えた。

 憎しみで満たされた両目を剥いて、敵兵は男に向かって銃を構え、放った。

 血しぶきが飛び散り、男は倒れた。

 ひどい硝煙の臭いが鼻を突き、俺は思わず吐きそうになった。

 いやだ・・・・・死ぬのはいやだ・・・・誰かが死ぬのを見るのもいやだ・・・・・

 何故こんなことに?何故、誰のために、俺たちはこんなことを?

 痛みと吐き気に襲われながら、俺はがっくりと膝を折った。

 敵兵が何かを叫びながら、俺の目前へと迫った。

 殺される・・・・そう思った瞬間、俺の身体は反射的に動いていた。

 倒れている仲間の持っていた銃を、とっさに手にした。

 そして敵兵に向かって構えた。

 敵兵の目に一瞬驚きの表情が浮かぶ。

 銃を構え、睨み合う格好となった。

 だが、そうしている間にも傷口からの出血は続いている。吐き気と頭痛が酷い。目がかすみ、意識が朦朧としてくる。いやだ・・・・死にたくない・・・・俺はまだ、死にたくない・・・・・!

 ここで落ちたら負けだ。俺は確実に殺される。何度も目を瞬いて、意識を保った。

 敵兵は何かをつぶやいていた。俺を説得しようとしているのか、それとも祈りの言葉なのか。だがその目には確かに、先ほどとは違う怯えの色が宿っていた。

 俺は迷った。ここでこいつを殺さなければ、俺がやられる。だが、それを躊躇する自分がいる。

 この男にもきっと、家族があるのだろう。生きて帰れば家族と再会できるのかも知れない。そんな考えが頭に浮かんできてしまい、振り払おうとしても駄目だった。

 それに・・・・人を殺すなんて・・・・・・

 いやだ。死ぬのはいやだ。誰かが死ぬのを見るのもいやだ。そして、人を殺すのは・・・・

 もっといやだ。

 俺には殺せない。たとえ、戦場に来てまで何を言うかと将校に蹴り飛ばされ罵られたとしても、俺には人を殺すことはできない。

 鬼畜米英だとかいうラベルを無理矢理貼りつけ、感情を抱かせないようにしているが、そんなものはこけ脅しにすぎない。

 だってこの男は、今俺の目の前で生きている。口から生臭い息を吐き出して、額から汗を滴らせて。

 両目を見開き怯えながら、小刻みに震えている。

 俺が今引き金を引けば、この男は死ぬんだ。

 死んで、ただの屍となる。

 俺にはそんなことはできない。

 人の命を奪うなんて、そんなことはどうしてもできない。

 誰に強要されても無理だ。

 もうやめよう。

 やめて、それぞれの国に帰ろう。

 俺は思わず、そうつぶやいていた。

 だがそんなことが許されるはずもない。

 叶うはずもない。

 目の前の敵兵に、伝わるはずもない。

 それが証拠に、敵は今まさに俺を撃とうとしている。

 引き金にかけた指に、力が込められたのがわかった。

 迷っている暇はない。

 殺らなければ殺られるんだ・・・・

 まるで何かを吹っ切るかのような雄叫びを敵兵が上げた瞬間、俺もまた絶叫していた。

 そして手にした銃の引き金を引いて――――――――