久しぶりにまとまった時間ができたので、富山の遊園跡地の調査に行ってきました。数回に分けてそれぞれブログで紹介します。今回は大川寺遊園の現在についてです。

 大川寺遊園が閉園したのは1997年(平成9年)3月31日なので今から29年前です。40代前後以上の富山に住んでいる(いた)方には思い出の遊園地だと思います。関東圏で言うと小山ゆうえんちや横浜ドリームランド的な存在でしょうか。

 大川寺遊園についての歴史は私のホームページでも簡単に紹介しているので重複しますが、そもそものきっかけは富山県営鉄道(現在の富山地方鉄道不二越・上滝線)が1921年(大正10年)に南富山から上滝まで開通したことで沿線開発が始まり、大川寺にスキー場が設置されたことに遡ります。その後、大川寺のスキー場は上滝公園として整備されていき、桜の植樹、ゴルフ場、野球場の建設と続いて施設は拡充していきます。戦時中は食糧増産のために農園となってしまいますが、戦後に遊園地として再整備されることになり、1961年(昭和36年)に「大川寺遊園」となり、ジェットコースターや飛行塔などの大型遊具が導入されます。最寄りの駅名も1967年(昭和42年)には大川寺遊園駅と改められ、富山地方鉄道となっていた不二越・上滝線は大川寺遊園線という愛称がつけられました。1980年代に入って魚沼市にミラージュランド、射水市に太閤山ランド、富山市呉羽山に富山市ファミリーパークが相次いで開園した事で客足が遠のき、経営が悪化、再起を図りますが、1997年に閉園となります。この歴史のくだりはwikipediaの情報が詳しいです。八ヶ山遊園も同じく詳しいので調査された方が書き込んだのだと思います。

 

 ネットで「大川寺遊園」と検索すると廃墟遊園地や心霊スポットとしても紹介されていて、体験談や個人で探検(?)しにいったブログ、動画もちらほらあり、思い出の遊園地というだけでなく、違う意味でも有名になっているようです。私としては遊園地がどんな場所にあったか、周りがどういう風景なのかという事を体感したかったので、以前行った小舟渡遊園や手取遊園跡地は車で移動しましたが、今回は電車で向かいました。

 地鉄電車にゆられて40分ほどでたどり着いた大川寺駅は思ったより明るくて(ちょうど日差しが強かった)廃墟感はそこまで感じられませんでした。ネット上で確認できる写真はかなりおどろおどろしい感じに思えたんですが、駅の待合室におじさん2人組(たぶん鉄道好きか廃墟マニアの方だと思います)が周りをうろうろしていました。カメラを持った別の男性も駅の外にいて、たまたまなのか、割とマニア(?)が多い印象です。駅前の謎の記念碑を通り過ぎて、踏切を渡って遊園地があった山の方へ向かいます。

 

 

 途中にGoogleマップにも載っていない坂道があり、ここが正面入口かと思って登って行きますが、かなり急な坂で、途中木が倒れていたり、近年ほとんど人が通った形跡がなく、登り切ったら目の前に柵があってそれ以上は進めないので引き返します。もう少し先のマップに書かれている道を登って行くと他の方のブログにも載っている建物があり、その先は封鎖されています。ここはたぶん通用門だったところだと思います。ここから横道をそれて行くと奥に和風の2階建ての建物もありますが、遊園地の当時の地図に当てはめるて考えると休憩所だった場所かもしれません。

 その後、大川寺にお参りして次の目的地に行こうと思い、遠まりして参道から入ります。参道の左手側には広い駐車場があり、富山平野と立山が望めます。大川寺のある場所は線路脇から急に切り立った丘陵がある印象で、スキー施設が造られた理由もわかります。右手の大川寺は立派な大きな建物で、敷地の手入れも非常に行き届いている場所でした。ご挨拶を終えて駅に向かおうと思ったところ、奥の方に気になった場所があり、向かってみると立て看板がありました。

 

 

 

 この看板の右側には当時の池がそのまま残っていて、更に奥は鬱蒼と茂った木々。薄暗い雰囲気の中で得体の知れない何かと出会いそうな予感がしますが、立ち入り禁止なのでそれ以上は進みません。駅に戻る途中で碑文を発見。ここはどうやら弘法大師によって永久に湧水が枯渇するとされた地だったようで、苦労の末に昭和32年に湧水が出たとのことです。隣には浄水施設がありました。

 


 

 上滝の読み方が「かみだき」と知ったのは地鉄の車内アナウンスで、イントネーションも関東風にずっと語頭を高くしてよんでましたが、アナウンスでは「かみたき」も「だいせんじ」も全部平たく読んでいて、やはり現地に来ないとわらないこともあるなと実感しました。

 常願寺川にかかる橋から眺めは晴れた空の下で気持ちの良い景色でした。