ダークマターの土佐日記
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 私が見て歩いた、高知県の四季と風土とお祭りや文化そして
星空などを自由気ままに記憶する映像日記です。
消えゆく文化・美しい瞬間を、動画や写真などで残しています。

2026年7月 高知市にて
『虫送り~交通安全を願って』

山間に響く鉦と太鼓 ― 高知市土佐山高川の百万遍(大数珠繰り)と虫送り

集落の坂道で出会った、ひとつの祈りの形

高知市の中心部から鏡川をさかのぼり、山あいへと分け入っていくと、土佐山地区・高川の集落に着く。

人口わずかな山里だが、ここには何百年と受け継がれてきたであろう、ひとつの行事が息づいている。

「土佐山高川百万遍(ひゃくまんべん)」

大きな数珠を大勢で送り合いながら念仏を唱えるこの行事は、もとをたどれば京都・知恩寺に由来するといわれる。

かつて後醍醐天皇の御代、京都で大地震と疫病が相次いだ際、知恩寺の空円上人が七日七夜にわたり念仏を百万回称え、悪疫退散を祈願した。

それが治まったことから天皇より「百万遍」の号と大念珠が下賜され、以来「念仏を大勢で唱えれば、その功徳は互いに融通し合い、莫大なものになる」という考えのもと、大きな数珠を車座になって送り回す「数珠繰り」が各地に広まっていったとされる。

高川の百万遍も、こうした流れを汲む行事のひとつなのだろう。

鉦の音が告げる、行事の始まり

当日、まず地区の方が鉦を50回ほど打ち鳴らし、百万遍の始まりを地区に知らせる。

その音を合図に人々が集まり、やがてお坊さんが到着すると、お堂の中で大数珠送りが始まった。

お堂の中は決して広くないため、参加者はお堂の中と縁側に分かれて数珠を回す。

縁側、つまり外で数珠を送る人は、数珠を持ち上げながら隣へ送らねばならず、なかなか体力を使うのだと聞いた。

念仏を唱えながらの仏事はおよそ20分ほど続き、大きな数珠が一珠一珠、参加者の手から手へと静かに巡っていった。

数珠送りが終わると、地区の方々は昼食をとる。

そのあと、鉦と太鼓を打ち鳴らしながら軽トラックで地区を巡る。

急な坂を登ってはまた下り、下ってはまた登る。

かつては人の足でこの坂道を歩いて回っていたというが、住民の高齢化もあってか、今では軽トラックに乗って巡っている。

移動の手段は時代とともに変わっても、鉦と太鼓を鳴らし、地区の隅々まで祈りを届けるという行為そのものは、変わらず受け継がれている。

この巡行は、単なる百万遍の締めくくりではない。

もうひとつの大切な役割を担っている。

それが「虫送り」だ。田植えを終えたばかりの田んぼに虫がつかないように、豊かな実りを願う虫送りは、全国の稲作地帯に広く伝わる初夏の行事である。

多くの地域では、鉦や太鼓を打ち鳴らしながら村境まで練り歩き、そこで害虫や災いを集落の外へと送り出す。

高知県内でも、隣接する土佐町などに同様の伝承が残っており、稲を守るための素朴で力強い祈りの形として今も息づいている。

高川の百万遍もまた、この虫送りを兼ねた行事なのだろう。

竹の太刀と草履、地区の境へ

軽トラックには、竹で作った太刀と草履が載せられ、集落の中を回りながら、隣の地区との境目まで運ばれていく。

そして、そこに草履や太刀を飾るのだという。

写真に写っているのは、まさにその最後の場面だ。

写真では草履の陰になって見えないが、竹の先端にはもう2本、大きな半紙に「虫送り」「交通安全」と書かれたものを結わえた竹も立てられていた。

草履には雨風から守るために透明なビニールが丁寧に被せられている。

少しでも長く、この土地を見守ってくれるようにという願いが込められた工夫なのだろう。

二人の男性が慎重に位置を調整する。

傍らでは、麦わら帽子の女性や、腰に手を当てて見守る年配の男性が、静かにその作業を見つめている。

深い緑に包まれた山道の脇、道路との境界に静かに立てられていくその姿は、集落と外の世界とを結ぶ、ささやかな結界のようにも見える。

びわの葉が伝える、もうひとつの知恵

話は少し戻るが、お堂での仏事が終わったあと、参加者にはびわの葉が配られていた。

聞くところによると、ひとり二枚ずつ手渡され、田畑の境に立てた竹の先に挟んでおくと、虫が寄ってこないと言い伝えられているそうだ。

びわは古くから民間療法にも用いられてきた植物だが、それを虫除けのお守りとして畑の境に挟むという知恵は、この土地ならではの、暮らしに根ざした伝承なのかもしれない。

もうひとつの願い、交通安全

竹竿には太刀や草履とともに、「虫送り」「交通安全」と書かれた立札も飾られていた。

写真の奥に伸びる道路は、この先さらに山間部へと入っていく。

木々に囲まれた見通しの悪いカーブや、幅の狭い区間も少なくない。

稲の実りを願う祈りと同じように、道を行き交う人々の安全を願う気持ちもまた、この土地に生きる人々にとって欠かせないものなのだろう。

おわりに

高知市土佐山高川に伝わる百万遍と虫送り

それは、京都の知恩寺に由来する仏教行事と、稲作地帯に古くから伝わる虫送りの信仰とが、山里の暮らしの中でひとつに溶け合った、素朴で力強い祈りの形だ。

ネット上にはほとんど記録が残っていない、この小さな集落だけの行事かもしれない。

だからこそ、こうして写真に収め、言葉にして残しておくことには、大きな意味があるのだと思う。

鉦を50回鳴らして始まりを告げ、お堂と縁側で数珠を送り、坂道を上り下りしながら鉦と太鼓を鳴らし、竹の太刀と草履を境まで運び、びわの葉を畑に挟む

そうした一つひとつの所作の中に、この土地に生きてきた人々の、自然と共に生きる知恵と祈りが静かに息づいている。

※本記事は、現場で見聞きしたことをもとに構成しています。

記憶や伝聞による部分もあり、細部に誤りや勘違いが含まれる可能性がありますが、ご容赦ください。
 

2026年7月19日 高知競馬場にて
この日のメインレース
第23回トレノ賞 (ダノングッド賞)
優勝馬 
ニクソンテソーロ
父フェノーメノ  母アンクレット(母父Footstepsinthesand)

 

7月19日、高知競馬場。第6回高知競馬第2日に組まれた「高知さんさんテレビ杯 第23回トレノ賞[ダノングッド賞]」(3歳以上・1,300m)は、5番人気ニクソンテソーロ(多田羅誠也騎手)の劇的な追い込みで幕を閉じた。

レースは序盤からグランレザンドール(永森大智騎手)が先手を取り、プロテア(愛知・望月洵輝騎手)、断然の1番人気のミスズグランドオー(愛知・塚本征吾騎手)が続く展開。

ニクソンテソーロは中団の好位で脚をため、静かにその時を待っていた。

3コーナーを回ってミスズグランドオーが差を詰めにかかるも、グランレザンドールは踏ん張って先頭を譲らない。

そして迎えた最後の直線。逃げ切りを図るグランレザンドールに、ミスズグランドオーが懸命に食らいつく。

その攻防の外から、ニクソンテソーロが鋭く伸びてきた。

ゴール寸前で勢いを増した一完歩が、先を行く2頭を飲み込む。

まとめて差し切っての優勝だった。

この勝利は、ニクソンテソーロにとって約1年4カ月ぶりの重賞制覇となる。

前回の重賞制覇は2025年3月2日、高知・御厨人窟賞(みくろどしょう)。

当時は10番人気という低評価を覆し、大外から追い込んでメイショウウズマサと同着で優勝、初めて重賞のタイトルを手にしていた。

あれから約1年4カ月、鞍上を多田羅誠也騎手に替えての今回の勝利は、このコンビにとって初めての重賞制覇でもある。

そしてこのレースには、もうひとつの物語が重なる。

多田羅騎手は2022年、同じ「トレノ賞」(第19回)を、当時高知の看板馬だったダノングッドで制していた。

今回のレース名に冠された副称「ダノングッド賞」は、まさにその名馬に由来する。かつて自らが手綱を取った名馬の名を背負うレースで、多田羅騎手は再び優勝を飾ったことになる。

2026年7月 四国カルスト天狗高原にて
『夏空』

梅雨明けの澄んだ空気、新月がもたらす漆黒の夜、そして四国カルストの高原に咲くハンカイソウ。

この日、この場所でしか撮れない条件が、偶然にも重なり合いました。

四国カルスト・天狗高原。

放牧地一面に広がる黄色いハンカイソウの向こうに、天の川銀河が立ち上る。

そんな一枚を撮ることができました。

写真に写り込んだ四国カルストの自然と、その夜に重なった条件について。

 

 

四国カルスト・天狗高原とは

四国カルストは、愛媛県と高知県の県境に広がるカルスト台地で、山口県の秋吉台、福岡県の平尾台と並ぶ「日本三大カルスト」のひとつです。

3つの中で最も標高が高いことで知られ、その東端に位置する天狗高原は、標高1,485mの「天狗の森」を頂点として、なだらかに起伏した高原地帯が広がっています。

白い石灰岩(カレンフェルト)が点在する草原に牛が放牧される牧歌的な風景は「日本のスイス」と称されることもあり、天狗高原を含む一帯を東西に縦断する県道383号線は「天空の道」の愛称で親しまれています。

空気が澄んだ夜には肉眼でもはっきりと天の川が見えるほどの星空スポットとしても知られ、天体観測や星景写真の名所となっています。

 

 

写真の前景を埋め尽くす黄色い花が「ハンカイソウ」です。

キク科の多年草で、四国カルストでは7月頃から放牧地の斜面一面に群生し、鮮やかな黄色い花畑をつくります。

天狗高原はハンカイソウの群生地として知られ、初夏のヒメユリと並んで、この高原の夏を象徴する花のひとつです。

星景写真、とりわけ天の川の撮影において最大の敵は「月明かり」です。

満月に近い夜は月光が空全体を明るくしてしまい、天の川のような淡い光は容易にかき消されてしまいます。

新月の夜は月が地平線の下(あるいは太陽とほぼ同じ方向)にあるため、月明かりの影響がほとんどありません。

人工光の少ない高原地帯でこの条件が重なると、空はより深い黒を保ち、天の川の淡い光やダストの陰影までも克明に写し出すことができます。

今回の撮影も、この「月明かりのない夜」があったからこそ、天の川の構造がここまで鮮明に浮かび上がったといえます。

撮影中、丘の斜面をわずかに這うように霧が流れていたとのことですが、これは高原地形でよく見られる「滑昇霧」と呼ばれる現象である可能性が高いです。

滑昇霧は、湿った空気が山の斜面に沿って強制的に上昇させられる際、断熱膨張によって冷却され、露点温度以下になることで発生します。

放射冷却による「放射霧」とは異なり、風による地形性の上昇が主な発生要因です。

四国カルストのようになだらかな斜面が続くカルスト地形は、湿った風がぶつかると空気が斜面を這い上がりやすく、こうした霧が発生しやすい条件が整っています。

梅雨明け直後は大気中の水蒸気量が多く残っていることもあり、夜間や早朝にこの手の霧が流れやすい時期でもあります。

霧が濃くなれば星は隠れてしまいますが、今回はその「切れ間」を縫うようにして天の川を捉えることができたようです。

霧越しの星空というのは、まさに条件が偶然に重なった瞬間ならではの一枚と言えるでしょう。

ハンカイソウの咲く放牧地、月のない漆黒の夜、斜面を流れる滑昇霧。

同じ場所に重なったからこそ生まれた一枚です。

 

 

四国カルスト・天狗高原は季節や天候、月齢によって全く異なる表情を見せる場所であり、こうした一期一会の条件を捉えられることこそ、この高原で星を撮る醍醐味だと言えるでしょう。

2025年2月 南国市にて

『早春の国分川に焔たつ!』

高知県南国市に早春を告げる。

国分川の芝焼き今年もあの季節がやってきた。

冬の間、枯れ草色に沈んでいた川岸が、一瞬にして炎と煙の舞台に変わる。

橙色の炎が数メートルの高さまで噴き上がり、乾いたススキやヨシの群れを舐めるように駆け抜けていく。

空は上から下まで白く塗りつぶされ、風下では煙が幾重にも折り重なりながら流れていく。

青空との境界がにじみ、まるで山際に雲が湧いたかのような光景だ。

この日は風が強く、炎の勢いはいつも以上だったという。

 

 

風にあおられた火柱は独特の渦を巻きながら立ち上がり、黒々とした煙の塊が次々と空へ吸い込まれていった。

作業にあたる人たちの姿が、燃え広がる枯れ草の向こうに小さく見える。

自然の力と人の手が拮抗する、緊張感のある瞬間である。

国分川の芝焼きは、南国市で毎年早春に行われている恒例行事だ。

地域の風物詩として親しまれており、地元紙も「春を呼ぶ風物詩」としてたびたび報じている。

炎と煙が流域を包み込む様子は、まるで春がすみのようだと表現される。

近年の報道では、流域約8キロにわたって土手から白煙がたなびいた年もあれば岡豊から久礼田にかけての約7キロで行われた年もあり、燃やされる範囲は気象条件や実施区間によって年ごとに幅がある。

実施にあたっては、南国市内の岡豊・国府・長岡・久礼田といった地区ごとに集合場所が設けられ、岡豊地区は岡豊橋南、国府地区は国府橋北100メートル西、長岡地区は国府橋南、久礼田地区はJA南国久礼田支所がそれぞれの集合拠点となっている

参加者にはごみ袋と軍手が集合場所で配られ、鎌などの清掃道具とマッチは各自持参する決まりになっており、ビニール素材の服は火が燃え移りやすいため着用を避けるよう呼びかけられている。

地域住民が集まり、手分けをしながら安全に配慮して火を入れていく、住民参加型の行事であることがうかがえる。

芝焼きそのものは、日本各地で古くから行われてきた「野焼き」の一種で、田畑の畦や河川敷の枯れ草を焼く目的で早春に行われてきた慣習である。

枯れ草や落ち葉を焼くことで害虫対策や景観の維持につなげる一方、近年は苦情の増加や火災の危険、野焼きと害虫発生の因果関係がはっきりしないことなどを理由に、実施を取りやめる地域も出てきているという指摘もあり、各地の芝焼き・野焼きは伝統と安全管理のバランスの上に成り立っている行事だと言える。

国分川の芝焼きも、そうした背景を踏まえながら地域ぐるみで安全に配慮して続けられてきた行事のひとつだ。

南国市は北部が四国山地の南端に位置して市域の約半分が山林となっており、南部には高知平野が広がって太平洋に面している。

国分川は市の中央部を流れ、舟入川と合流しながら高知市へと入り、浦戸湾に注いでいる。

写真に写る鉄塔や住宅は、そうした平野部の生活と川がすぐ隣り合っていることを静かに物語っている。

炎と煙が視界を覆うこの光景は、ともすれば非日常的で不穏にも映るかもしれない。

しかし、この日、川岸に立っていた人々にとっては、冬の終わりと春の始まりを告げる、毎年繰り返されてきた見慣れた景色だ。

焼け跡から立ち上る新しい草の芽吹きを待つ、静かな期待がそこにはある。

炎が風にあおられ荒々しく踊る一方で、その先には、青々とした新芽に彩られるはずの土手の未来が待っている。

強い風の中で燃え広がる炎の記録は、自然の厳しさと、それでも続いていく季節の巡りの両方を、この一枚に刻みつけている。

 

 

 

 

 

『陰の主役』

写真に写っているのは、高知県吾川郡仁淀川町の別枝地区で毎年開催される「秋葉まつり」に登場する油売りという道化役です。

赤い頭巾、白いふさふさの顎ひげ、そして愛嬌のある丸顔の面。

じっと見つめてくる大きな黒目と、開いた口が印象的なこの面は、祭りの主役である神輿や鳥毛ひねりの陰で、見物客の心を和ませる重要な役割を担っています。

 

 

 

秋葉まつりとは
土佐三大祭りの一つとされる秋葉まつりは、毎年2月11日に開催されます。

秋葉神社は火産霊命(ほぶすなのみこと)を祀り、防火の信仰を集める神社です。

祭りの起源は古く、平家一門に随行していた佐藤清岩という人物が、遠州(現在の静岡県)の秋葉神社の御祭神を分霊し、仁淀川町の岩屋神社裏に祀ったのが始まりと伝えられています。

その後、御祭神は関所番を務めていた市川家に祀られ、寛政六年(1794年)に地区全体の氏神として現在の秋葉神社に遷されました。

祭りの最終日には、本村・霧之窪・沢渡の3つの集落から集まった総勢約200人の奉納組が、岩屋神社、市川家、大石家前、法泉寺、中越家、秋葉神社の順に巡り、各所で奉納を行います。

行列の先頭を進むのは、総采配役である鼻高(天狗の面をつけた役)で、花形である鳥毛役や神輿、太刀踊りの一行が、笛や太鼓、鉦のお囃子とともに約3kmの山道を練り歩きます。

写真の面が体現しているのが、この行列における道化役「油売り」です。

油売りはひょっとこやおかめの面をつけた道化役で、ユーモラスな仕草によって祭りを盛り上げる存在です。

道中では、けがれを払うお守りを売り歩く役目も担っています。

具体的には"サイハラ"と呼ばれる、房のついた清めの神具のような小さな竹の棒を売り歩きます。

このサイハラは、細かな紙の細工を手作業で時間をかけて作られたお守りです。

人々はこれを防火のお守りとして買い求めます。

油売りの立ち位置には、他の役にはない特権があります。

総采配役である鼻高より先に進むことは、本来誰にも許されていませんが、油売りだけは鼻高を追い越して先へ進むことができます。

同様に、各集落に2名ずついる計6名の「悪魔」(赤い鬼の面をつけた集落ごとの采配役)を追い越せるのも油売りだけです。

この特権の裏には、過酷な役目があります。

油売りは、自分の属する集落の踊りや鳥毛ひねりがまだ終わらないうちにその場を離れ、先回りして沿道で行列を待つ観客を退屈させないようにする役割を担っています。

そのため常に高い声で話し続けなければならず、普通の声で話すことは許されません。

地元の人によれば、総采配役の鼻高よりもきつい役回りだと言われています。

実際、市川家など各所に先に到着した油売りは、待っている観客を飽きさせないようコミカルな動きと高い声で場を盛り上げます。

油売りの面は、単なる仮装ではなく、「行列の到着を待つ人々を退屈させない」という明確な使命を持った役です。

派手な鳥毛ひねりや神輿渡御が祭りの表の顔だとすれば、油売りはその裏で祭り全体の空気をつなぎ続ける、いわば"つなぎ役"。

声を張り続け、駆け回り、お守りを売りながら場を温める。

その姿こそが、200年以上続く秋葉まつりを支える縁の下の力持ちなのです。

『日輪に導かれて!』

冬の山里に差し込む朝日。

枝を大きく広げた市川家のしだれ桜の隙間から降り注ぐ日輪は、まるで神々の道を照らすかのように石垣と山道を包み込んでいる。

その光の中を、一人の「鼻高」がゆっくりと歩みを進める。

ここは、高知県吾川郡仁淀川町別枝地区で毎年2月11日に執り行われる秋葉まつり。

その行列が、祭礼の重要な舞台である市川家へ入っていく瞬間を捉えた一枚である。

祭りは華やかな場面ばかりが注目されがちだ。

しかし、この写真が写しているのは、神事が静かに次の舞台へ移ろうとする、厳かな時間である。

神々を導く先頭役「鼻高」

秋葉まつりの行列の先頭を務めるのが「鼻高(はなたか)」である。

赤い面に高く伸びた鼻、鮮やかな赤い前掛け、縞模様の装束。

その独特な姿は強烈な存在感を放ちながらも、決して祭りを賑やかに演出するだけの役ではない。

鼻高は神幸行列を先導し、神々の世界と人々の世界をつなぐ重要な役割を担う存在として受け継がれている。

長い年月受け継がれてきた祭礼だからこそ、一歩にも意味が宿っているように感じられる。

秋葉まつりは、秋葉神社だけで行われる祭りではない。

祭礼は、岩屋神社、市川家、法泉寺、中越家などを巡りながら進行するという大きな特徴を持つ。

その中でも市川家は、古くから祭礼の重要な舞台の一つとして受け継がれてきた場所であり、多くの神事や芸能が奉納される。

この写真は、その市川家へ鼻高を先頭に神幸行列が入ってくる、まさに祭礼の流れを象徴する場面である。

背景では裃姿の関係者が静かに続き、その後ろには祭りを支える人々の姿が見える。

誰一人として主役ではない。

行列全体が一つとなって祭礼を紡いでいることが、この写真から自然に伝わってくる。

光が生み出した神秘性

この作品でまず目を奪われるのは、画面左上から差し込む冬の太陽である。

逆光によって生まれた光芒とレンズフレアは、偶然ではなく、この場の神聖さを強く印象づけている。

木々の間に張られた注連縄と紙垂(しで)は、ここが神域であることを静かに物語る。

鼻高は、その神域へ導かれるように歩みを進めている。

画面中央へ自然に視線を集める構図と、逆光によって浮かび上がる装束の赤。

黒い面の力強い表情。

そして石垣に囲まれた山里。

派手な演出は一切ない。

だからこそ、この土地で何百年も受け継がれてきた祭礼の空気が、そのまま写し込まれている。

山里だからこそ残った祭礼の姿

 

 

 

秋葉まつりの魅力は、豪華さではない。

山里という自然の中で、人々が世代を超えて守り続けてきたことにある。

石垣。

古木。

冬の柔らかな陽射し。

注連縄。

そのすべてが、祭礼の舞台装置ではなく、この土地の日常そのものだ。

その日常の中へ神々が訪れ、人々が迎え入れる。

だから秋葉まつりは、観光のための祭りではなく、「地域が今も生きていること」を伝える祭りなのである。

この写真は、その本質を雄弁に語っている。

鼻高の歩みは決して速くない。

しかし、その一歩一歩には、地域の歴史、信仰、そして人々の祈りが積み重なっている。

冬の太陽に包まれながら市川家へ入っていくその姿は、祭礼が今も変わることなく受け継がれている証そのものであり、山里に息づく日本の原風景を静かに映し出している。

『さあ、舞い上がれ!』

空へ舞う直前、静止した一瞬

高知県吾川郡 仁淀川町「秋葉まつり」鳥毛ひねり

黄金色に光る一本の長い竿が縦断している。

見上げるようなアングルで撮られたこの竿こそ、これから宙を舞うことになる「鳥毛(とりげ)」だ。

竿を支えるのは黒装束に身を包んだ若者。

赤い鉢巻を締め、着物の内側には金地に赤や紫の華やかな裂地がのぞく。

彼は体を大きく反らし、片手を高く竿に伸ばし、竿を離すまいと支えている。

砂利敷きの地面をしっかりと踏みしめている。

この姿勢こそが「鳥毛ひねり」特有の見せ場だ。

長さ7メートルにもなる重い竿を、地面すれすれまで体を反らせながら操り、次の瞬間には相手に向かって豪快に投げ渡す。

写真はまさに、竿が最高潮の緊張をたたえたまま静止した「投げる直前」の刹那を切り取っている。

背景には黒紋付き袴に白手袋という正装の関係者たちがずらりと並び、緊張した面持ちでこの瞬間を見守っている。

奥の建物の窓からも、地域の人々が身を乗り出すようにして見つめている。

左奥には色とりどりの衣装をまとった子どもたちや、赤い天狗面をつけた「鼻高(はなたか)」らしき姿も見える。

静と動、日常と非日常が交錯する、祭りならではの緊張感に満ちた一枚だ。

 

 

「秋葉まつり」とは
秋葉まつりは、高知県吾川郡仁淀川町の別枝(べっし)地区で毎年2月11日に行われる、200年以上の歴史を持つ祭りだ。「土佐三大祭り」の一つに数えられ、高知県の保護無形民俗文化財にも指定されている。

祭りの主役は、火防(ひぶせ)の神である火産霊命(ほむすびのみこと)を祀る秋葉神社だ。

伝承によれば、平家の落武者・佐藤清岩が遠州(現在の静岡県)の秋葉山からこの神を勧請し、はじめは岩屋の岩窟に祀ったのが始まりとされる。

その後、法泉寺、関所番を務めた市川家と祀られる場所を移し、寛政6年(1794)に現在の秋葉神社へ遷座されて以降、毎年、ゆかりの深い岩屋神社・市川家・法泉寺・中越家へ神様を巡らせる「ご神幸」が行われるようになった。これが現在の秋葉まつりの原型となっている。

祭り当日は、本村・霧之窪・沢渡の三つの集落から集まった総勢およそ200人が、天狗の面をつけた「鼻高」を先頭に、笛・太鼓・鉦の囃子にのせて神輿を担ぎ、山あいの約3キロの道のりを早朝から夕方にかけてゆっくりと練り歩く。道中では、ひょうきんな面をつけた「油売り」が、厄除けのお守り「サイハラ」を売り歩く姿も見どころの一つだ。

祭りの見せ場が、行列の中で繰り広げられる「鳥毛ひねり」だ。

長さ約7メートルの竹竿(鳥毛)を、10メートルほど離れて向き合う若者二人が力強く投げ合う、勇壮かつ華麗な演目である。狭い道や集落の要所ごとに披露される。

この竿を宙に投げるには、まず体を大きくしならせて助走をつける必要があり、写真に写る「竿にしがみつき、身をのけぞらせる」瞬間こそが、その助走・タメの局面にあたる。見る者をはらはらさせながらも目を離せなくさせる、この祭りならではの華なのである。

『雪の小歩危峡を渡る』

小歩危展望台から見た「四国まんなか千年ものがたり」

 

タイムラプスです、一応は(笑)

 

吉野川が刻んだ渓谷を見下ろす徳島県三好市山城町、小歩危展望台。冬のある日、うっすらと雪化粧をした岩肌とエメラルドブルーの川面の間を、鮮やかな観光列車がゆっくりと橋を渡っていった。

その名は「四国まんなか千年ものがたり」。

今日はこの一枚の写真に写り込んだ、二つの主役について書き記しておきたい。

小歩危展望台という場所

小歩危展望台は、徳島県三好市山城町重実にある展望スポットだ。

大歩危の下流およそ3kmに位置する小歩危峡は、結晶片岩が長い年月をかけて水に削られてできた渓谷で、大歩危に比べると規模は小さいものの、奇岩と「小歩危砂岩片岩」と呼ばれる独特の岩肌の美しさは引けを取らない。

2014年に大歩危が国の天然記念物に、翌2015年には国の名勝に指定され、2018年には小歩危も加えられて「大歩危小歩危」として国の名勝となった。

展望台からは谷底を流れる吉野川と、その脇を並走する国道32号、そしてJR土讃線の線路や鉄橋までを一望できる。

自然の峡谷に、人が通した道路と鉄路が重なって見えるという構図こそが、この展望台最大の見どころだと言っていい。

谷の上からは列車が橋を渡る様子も小さく見え、スケール感を実感できるポイントとしても知られている。

「四国まんなか千年ものがたり」という観光列車

この写真に写る列車は、JR四国が2017年4月1日から多度津駅~大歩危駅間で運行している臨時特急「四国まんなか千年ものがたり」である。

「伊予灘ものがたり」に続く、JR四国では2番目の本格的な観光列車として登場した。

列車名は、運行区間が四国山地を横断し地理的にも四国のちょうど「まんなか」にあたること、そして沿線に善通寺や金刀比羅宮、平家の落人伝説が残る祖谷など、千年を超える歴史や文化が息づいていることに由来する。

コンセプトは「おとなの遊山」。

かつて徳島の子どもたちが桃の節句に弁当を持って野山へ出かけた「遊山」という風習を、大人向けの上質な列車旅としてアレンジしたものだ。

多度津から大歩危へ向かう下り列車は緑色の車両を先頭にした「そらの郷紀行」、大歩危から多度津へ戻る上り列車は「しあわせの郷紀行」と名付けられている。

途中の琴平駅には専用の待合室「ラウンジ大樹」が設けられ、食事予約券を購入した乗客にはウェルカムドリンクなどのサービスも用意されている。

沿線には讃岐山脈を越える秘境・坪尻駅でのスイッチバック体験もあり、多度津から大歩危までおよそ2時間30分、吉野川沿いの渓谷美を車窓から楽しみながら走る。

写真の一両ごとに色が違う編成

赤とオレンジ、そして緑の車体は、四季をイメージしてデザインされたものだという。冬の雪景色の中を進む姿は、まさに「物語り」の一場面のようだった。

通り過ぎた後の静けさ

この日、展望台には列車の通過時刻に合わせて多くのカメラマンが集まっていた。

橋にさしかかる瞬間、シャッター音がいくつも重なった。

けれども列車が視界の奥へと消えていくと、潮が引くようにあっという間に人は減っていった。

数分前まであれほど賑わっていた展望台は、雪の残る静かな峡谷の景色だけを残して、また元の静けさを取り戻す。

一日に数える程度しか通過しない観光列車ならではの、独特の緊張感と余韻だった。

 

追伸

 この日は、と言っても2025年2月ですが、実は南国市国分の芝焼きを見たあと、北山を見ると雪化粧していましてそこで国道32号を通ってどこまで行けるのか(ノーマルタイヤ)でチャレンジしましたが、高松まで行けそうだったので良い意味でのリタイアしました、その帰りに小歩危展望へ、ここへ上がるまではさすがに雪があって少し足元をすくわれましたが何とか無事にたどりつきました。県外の写友曰く、地域の住民の方が来てくれる皆に喜んでもらえるために整備した展望台のようです。四季折々に多くの観光客が訪れるようです。この日は鉄道カメラマンばっかりでした。

 

 

中島フォトクラブ平和教室、第九回写真展「レンズの向こう側」

 

 

会場:高知県立牧野植物園 牧野富太郎記念館 本館(五台山ロビー) 

会期:2026年8月2日(日)~8月30日(日)    

   9:00~17:00    

   *最終8月30日は16:00まで    

   *写真展は無料ですが、植物園への入園料が必要です。    

 

   一般850円 (高校生以下無料)    団体750円 (20名以上)     

   年間入園券2,500円(1年間有効のフリーパス) 身体障がい者手帳、精神障がい者保健福祉手帳、療育手帳、

   戦傷病者手帳、被爆者健康手帳所持者と介護者1名および高知市・高知県長寿手帳所持者は無料 

 

 

いろいろな講座で知り合った写真仲間が研鑽を兼ねて集まりました。 

ジャンルを問わず いろいろなモチーフに挑みますが共通していることは 写真が好きという事だけかもしれませ 

牧野植物園様を散策がてらご覧いただけたら光栄です。 (案内ハガキから引用しました。) 

 

こんにちは私はいま。

 

 高知県立牧野植物園。牧野富太郎記念館本館、五台山ロビーにて開催されている、中島フォトクラブ平和教室、第九回写真展「レンズの向こう側」に伺いました。 

 

こちらは、高校の先輩や写真仲間、そしてSNSでつながる友人たちが出品している写真展です。 

 

普段なかなか目にすることのできない、皆さんの作品の数々。

 

 会場に足を踏み入れた瞬間から、学びの連続でした。 展示されている作品は、実にジャンル豊富。 

 

お祭りの熱気を切り取った一枚、夜空を彩る花火の輝き、スポーツの躍動感あふれる瞬間、雄大な風景、そして何気ない日常に潜む美しさ。 

 

それぞれの写真家が、独自の視点で世界を見つめています。 面白いのは、同じ被写体を撮っていても、作者によって視点や切り取り方がまったく異なるということ。 

 

ある人はダイナミックに、ある人は繊細に。 一枚一枚に、その人らしさが表れていて、見ているだけで新しい発見がありました。 

「レンズの向こう側」というタイトルの通り、写真の先にある、撮り手それぞれの想いや視点を感じることができる、貴重な展示会でした。 

 

普段なかなか見ることのできない、写友たちの作品世界。 

 

今回、この写真展を鑑賞できたことは、私にとって、とても貴重な学びの時間となりました。

 

2026年7月 南国市十市石土神社にて
『一刀両断』

高知県南国市十市の石土神社で行われるこの儀礼は、単なる地域行事として見るだけでは足りない。

石土神社は南国市の紹介ページで、「古来伊予の石槌神社を奥の院に、当社を前の宮と呼んでいます」と説明されている。

つまりこの神社は、地元の信仰の場であると同時に、石鎚信仰の広がりのなかで理解すべき重要な場所でもある。

写真の一場面は、その長い信仰の連なりが、いまも実際の作法として受け継がれていることを静かに、しかし力強く物語っている。

石鎚山のお山開きは、石鎚神社の公式ページによれば7月1日から7月10日に斎行され、御神像三体が成就社から頂上社へ奉遷される大祭である。

また石鎚登山ロープウェイの案内でも、同じく7月1日から7月10日の期間にお山開き祭典が行われるとされている。

これに対し、石土神社のお山開き案内でも、同様に7月1日から7月10日の期間が示されている。

写真に写っているのは、その石土神社お山開きのなかでも、火渡りの前に行われる大護摩祈願祭の法剣の儀。

石土神社お山開きの案内ページは、7月6日午後1時から大護摩祈願祭が執行され、火渡りは祭典の最後になると説明している。

つまり写真は、燃え盛る護摩や火渡りそのものではなく、火を迎える前に祭場を清め、結界を完成させる前行の緊張が最も高まる場面。

画面左には、青柴で覆われた護摩壇が大きく築かれている。

 

 

過去の動画ですがどうぞ。

 

白い紙垂が下がり、場がすでに聖別されていることを示している一方、壇にはまだ火が入っていない。中央には山伏姿の行者が立ち、鋭い刃の軌跡を残しながら刀を振るっている。

赤白幕の前で繰り広げられるこの所作は、祭礼写真としての華やかさを持ちながら、その本質は演技ではなく、場を祓い、祈りの火を迎えるための厳格な清めにある。

写真の迫力は、炎の大きさではなく、炎の前に置かれた精神の集中そのものから生まれている。

石土神社お山開きの案内では、大護摩に先立って、祭壇を清浄にするための複数の作法が順に行われるという。

まず法斧が四方から丁寧に魔物を取り除き、次いで錫杖の響きが邪を追い払い、さらに法弓が高いところから侵入しようとする魔を射祓う。

そして最後に、最も修行を積んだ法刀の所役が、なお微かに残る魔物を真剣で一つ一つ除祓すると記されている。

石土神社の案内にある法刀の説明と重ねると、この一振りは外の邪気だけでなく、祈る者自身の内に潜む乱れまでも断ち切る象徴的行為と読むことができる。

だからこそこの場面には、荒々しさだけではない、深い静けさが同居している。

激しく振るわれる刃のなかに、むしろ祈りの秩序が可視化されているのである。

石土神社そのものも、きわめて重層的な場所である。

南国市の案内によれば、石土神社は十市阿戸にあり、祭神は石土神・赤土神・底土神の三神。

さらに『続日本後紀』に「承和8年、土佐美良布神社・石土神社を官社にする」とあるという。

こうした古い由緒の上に、石鎚信仰の「前の宮」としての位置づけが重なり、お山開きの神事が今日まで続いている。

ひとつの祭礼の記録である以上に、土佐と伊予をまたぐ石鎚信仰の記憶が、現在の身体作法として現れている瞬間を捉えたものだといえる。

石鎚山のお山開きでは、御神像を頂上社へ奉遷し、全国からの登拝者を迎える十日間が続く。

石土神社でもまた、その同じ時期に神像を山上へ移し、祈りと祭礼を重ねていく。

この照応関係は、山を単なる自然ではなく、神霊の坐す場所として仰ぐ日本の山岳信仰の根幹を思い出させる。

写真の法剣の儀は、その信仰の入口にあたる。

火渡りの直前、場を整え、穢れを払い、神聖な火を迎える準備を完成させる。

ここで切られているのは竹でも柴でもなく、むしろ人と聖なるものを隔てる見えない境なのだろう。

祭りの派手さを写しているからではない。

火が上がる前の、最も張りつめた瞬間を写しているからである。

青柴の湿った命の色、紅白幕の晴れやかさ、土の祭場の生々しさ、そして白装束の行者が振るう真剣の軌跡。

そのすべてが、火渡りへ向かう前の時間を濃密にしている。

柴燈護摩の本質は炎の壮観だけではない。

その前に行われる清め、結界、祈念、そして身体を通して法を表す所作にこそある。

この一枚は、石土神社のお山開きがいまもなお生きた信仰として息づいていることを、雄弁に語っている。

法剣の儀
行者が振り下ろす剣によって東方、南方、西方、北方、中央の穢れを祓い、護摩供養の間、御本尊に結界内を守ってもらう