成功者気取りのやつはよく「自己肯定感高めろ」
と言っている。

成功の鍵は自己肯定感に依存するらしい。

人生においての成功とはやはり地位と充実であろうか。

そんなことはさておき、自己肯定感とはなにか。
その名の通り自分をいかに肯定しているか、ということである。例を上げるなら、

「○○な自分かっけえぇぇぇぇ!!!」

ということである。
〇に入るものは顔でも良いし運動ができるでも良い、勉強ができるでも良いだろう。

一件すると簡単そうである。特に顔に関しては人からどう思われてるかは知らないが、自分自身の顔というのは毎日見ているものなので多少不細工でも親しみを持っているはずである。鏡なんかは勝手に自分が一番映える顔に意識的につくる。

こんなことを聞くととても簡単そうに見える。

実際簡単であった。しかし落とし穴があるのである。

日々鏡と格闘している自分にとって、自分の顔は他人が見てるものより何倍もかっこよくみえる。

   まさに最高の自己肯定感だ。

しかしふとした時に自己肯定感なるものは崩れ去る。

他撮り、クラスの集合写真、身分証明書の顔写真。どれもこれも酷い顔だ。この間まで見ていた鏡のかっこいい私はどこだ。このように簡単に自己肯定感は消えてしまう。それどころか精神的に参ってしまうことすらあるのだ。

なんでこんな勉強できないんだろう、なんでこんななにもできない知らないんだろう、自分が大好きで仕方ないはずなのになぜこんなにネガティブな発送にしかならないのだろうか。

私は考えた。

そしてひとつの結論に至った。
私の好きな私とは、「フィルターのかかった」自分なのである。鏡の自分はなんかかっこよくみえるのも、勝手に脳が補正をかけているからであり、現実が嫌いなのは都合よく妄想を掻き立て現実を見ぬ振りをしているからである。

成功者の自己肯定感とはフィルターのない自分のことではないかと勝手ながら解釈している。