北海道で医師の仕事をしながら、
美瑛で「Dr.Junko の山歩き&雑穀サロン」を主宰、
My mission✨💖✨
「命を最高に輝かせて今に生きる人を増やす」
私は、登山が大好きです。
帯広にある、「植村直己記念館」を訪れ
わたしの登山の原点について考えさせられました。
わたしの登山の原点とは?
と考えたとき、真っ先に目に浮かぶのは
「父」の姿。
自然が大好きだった「父」。
私の幼少期は、海外遠征の中継(?)を
ときどきテレビでやっていて、父はよく見ていました。
日の丸の旗を掲げて登山している姿を
テレビで父の横で見ていたのを覚えています。
そして、もうひとり
「おじさん」の姿が目にうかびます。
私がはじめて登った山は、
生まれ育った、静岡県沼津市にある「香貫山」。
おじさんが一緒に連れて行ってくれました。
そして、小学生の頃
「植村直巳物語」の映画を見に連れて行ってくれたのもおじさん。
幼いながらも、犬ぞりや、氷河の景色をみて
すごいなぁ~~~!!!!!
と心うたれたことを覚えています。
極地への憧れも抱きました。
まさか、その後
自分が、
植村直巳さんが消息をたった、
マッキンリー(=デナリ)(アラスカ、北米最高峰)に登るとは、当時は想像もしていませんでしたが、、、。
デナリは、
私が本格的な海外登山をした初めての山。
とてもとても思い出深く、大好きな山です。
今までの私の登山人生で最も印象に残っている山でもあります。
2002年 3月
医師国家試験を終えて、合格発表まで1ヶ月、時間がある!
私は迷いなく、デナリ登山にでかけることを決めました。
この時期はまだまだ気温が低く
デナリ登山に入っている人はいない(ベストシーズンは5~6月)。
マイナス40℃の世界。
氷がかたすぎて、アイゼンもピッケルもささらない...
ただただ、氷の上に乗っているだけ...という感覚。
その状況下で
急斜面を登って降りる。
今までの私の登山人生の中で、最も過酷でした。
登頂できなかったけれど、、、
今思いかえすと、本当に貴重な経験、素晴らしかった!!!!!
その登山中、思いました。
「植村直巳さんは、2月にデナリに登頂している。その後、消息を絶ってしまったけれど...。
想像を絶する過酷な状況だったに違いない...」
実際に(3~4月ではあったけれど)
私自身、同じところを登山したからこそ、
2月だったら、どれほど厳しい状況だったか...
実感としてとらえることができました。
今でも
「デナリ」は、私の大好きな山。
きっときっと
また登りに行きます!!!!!
御希望の方は、お早目のお申込みをお願いします。