金城霊澤 | みいのブログ

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小生の元にある一冊の本がある

”金沢の昔話と伝説”

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その本には”飴買い幽霊”の話や”弘法伝説”や”蓮如伝説”の話、そして

”芋掘り藤五郎”の話。

山で掘り出した芋を洗ったところ、土の中から金があらわれたので「金洗い沢」という伝説がある

時同じくして、長谷寺のパンフレットが手に入った

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そこには藤五郎に嫁いだお嫁さんの話が書いてあった

相互に同様の話があり、伝説と言いながら真実のような気がした。

それから30年近く、金城霊澤周辺を散策するたびに、このことを思いだすとともに

逆に違和感を感じるようになった。

ある意味非常に都合のいい場所に感じた

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金城霊澤の北には兼六園があり金沢城がある。南には県立歴史博物館(篠原出羽守屋敷跡)、西には石浦神社(旧金沢長谷寺)、西には辰巳用水と今でいうと観光名所、江戸時代で言うと加賀藩の重要な施設に囲まれている

本当にここで金がとれたのか?金洗い沢とと言いながら、”沢?”金洗いの泉といったほうがいいのではないだろうか?

金沢の地名の由来である金城霊澤をこの地に作り”聖域にて犯すべからず”というように周りに藩の重要施設を置く

まるで何かを守るため。(隠すため)

では、何を隠す必要があるのか?

金沢城には数多くの鉄砲狭間があり、辰巳用水の上流には土清水塩硝蔵(火薬工場)があるが、鉄砲を作ったという記録が見当たらない。

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もしかして隠していたのは、鉄砲の製造に関してではないだろうか?

これを一つの仮説とし、このことを、芋掘り藤五郎の伝説から解いてみようと思う

(6月19日金城霊澤の写真を追加)