小生の元にある一冊の本がある
”金沢の昔話と伝説”
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20191014/22/awamurakaoru/26/ec/j/o1152086414614829890.jpg?caw=800)
その本には”飴買い幽霊”の話や”弘法伝説”や”蓮如伝説”の話、そして
”芋掘り藤五郎”の話。
山で掘り出した芋を洗ったところ、土の中から金があらわれたので「金洗い沢」という伝説がある
時同じくして、長谷寺のパンフレットが手に入った
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20191014/22/awamurakaoru/d0/6f/j/o1152086414614829896.jpg?caw=800)
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20191014/22/awamurakaoru/6e/a9/j/o1152086414614829906.jpg?caw=800)
そこには藤五郎に嫁いだお嫁さんの話が書いてあった
相互に同様の話があり、伝説と言いながら真実のような気がした。
それから30年近く、金城霊澤周辺を散策するたびに、このことを思いだすとともに
逆に違和感を感じるようになった。
ある意味非常に都合のいい場所に感じた
![イメージ 7](https://stat.ameba.jp/user_images/20191014/22/awamurakaoru/63/cc/j/o1383103714614829920.jpg?caw=800)
![イメージ 8](https://stat.ameba.jp/user_images/20191014/22/awamurakaoru/7c/69/j/o1383103714614829932.jpg?caw=800)
金城霊澤の北には兼六園があり金沢城がある。南には県立歴史博物館(篠原出羽守屋敷跡)、西には石浦神社(旧金沢長谷寺)、西には辰巳用水と今でいうと観光名所、江戸時代で言うと加賀藩の重要な施設に囲まれている
本当にここで金がとれたのか?金洗い沢とと言いながら、”沢?”金洗いの泉といったほうがいいのではないだろうか?
金沢の地名の由来である金城霊澤をこの地に作り”聖域にて犯すべからず”というように周りに藩の重要施設を置く
まるで何かを守るため。(隠すため)
では、何を隠す必要があるのか?
金沢城には数多くの鉄砲狭間があり、辰巳用水の上流には土清水塩硝蔵(火薬工場)があるが、鉄砲を作ったという記録が見当たらない。
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20191014/22/awamurakaoru/9c/59/j/o1200090014614829946.jpg?caw=800)
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20191014/22/awamurakaoru/09/a9/j/o1200090014614829956.jpg?caw=800)
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20191014/22/awamurakaoru/b3/64/j/o1152086414614829964.jpg?caw=800)
もしかして隠していたのは、鉄砲の製造に関してではないだろうか?
これを一つの仮説とし、このことを、芋掘り藤五郎の伝説から解いてみようと思う
(6月19日金城霊澤の写真を追加)