先日、
ふと、
駅前のパン屋さんに行ったのです。
本当は、
ただの通りすがりでした。
夕方の、
まだ少し明るい時間のことです。
お腹は、
そこまで空いていませんでした。
むしろ、
晩ご飯のことを考えていたのです。
今日は、
お魚にしようとか。
そんなことを、
ぼんやりと考えていました。
でも、
そこからすべてが始まったのです。
風に乗って、
あいつがやってきました。
そう、
『焼きたてパンの匂い』
です。
これは、
本当に強力です。
人によっては、
それ以上の意味を、
持っているのです。
あんなの、
絶対に勝てません。
勝てるわけがないのです。
では、
いったい、
あの匂いの正体は何なのでしょうか。
それは、
小麦の香ばしさであり、
バターの甘い誘惑であり、
人間の本能を直撃する、
恐ろしい化学物質なのだと思います。
ようするに、
人間の理性を一瞬で粉々にする、
最強の武器なのです。
たとえば、
ダイエット中だったとします。
絶対に、
炭水化物は控える。
そう、
固く心に誓っていたとします。
でも、
あの匂いを嗅いだ瞬間、
脳内で何かがプツンと切れるのです。
「今日は特別だ」
という謎の免罪符が、
勝手に発行されます。
本当は、
特別でも何でもありません。
ただ、
お腹が空いただけです。
でも、
脳はそう解釈してくれません。
これは、
生きるための本能なのだと思います。
人類が、
何万年も前から持っている、
サバイバルの記憶です。
美味しい匂いのする方へ向かう。
それは、
生物として、
ごく自然なことなのです。
だから、
パン屋さんの前で足が止まるのは、
自分の意志が弱いからではありません。
遺伝子の問題なのです。
そう考えると、
少し気が楽になりませんか。
私は悪くない。
悪いのは、
あの、
『悪魔的な香り』
なのだと。
少し、
話しは変わりますが、
私たちの周りには、
誘惑があふれています。
コンビニのレジ横の、
ホットスナック。
スーパーの総菜コーナーから漂う、
揚げたての匂い。
夜中に見てしまう、
グルメ番組。
どれもこれも、
人間の心を狂わせるものばかりです。
では、
なぜ私たちは、
それに惹かれてしまうのでしょうか。
ここで、
一つの疑問が浮かびます。
いったい、
人間にとって「食べる」とは、
どういうことなのでしょうか。
ただの栄養補給ではないはずです。
生きるためだけなら、
味気ない栄養剤でもいいはずなのです。
でも、
私たちはそうしません。
あたたかくて、
いい匂いがして、
見た目も美味しそうなものを、
わざわざ選ぶのです。
そこには、
単なる生存競争を超えた、
何か別の意味があるのではないでしょうか。
考えてみれば、
香りを嗅いで「美味しそう」と思う瞬間。
その時、
私たちの心は、
一瞬で過去の記憶と結びつきます。
子供の頃に食べた、
お母さんの味。
学校帰りに友達と食べた、
買い食いの思い出。
楽しかった記憶が、
香りと一緒に、
一気に蘇ってくるのです。
つまり、
焼きたてパンの匂いとは、
『過去の記憶のスイッチ』
でもあるのです。
あの匂いを嗅いだ瞬間、
私たちは大人としての理性を失い、
純粋な子供の頃の感覚に戻ってしまう。
だから、
抗えないのです。
だって、
子供は目の前にある美味しいものを、
我慢できませんから。
そう考えると、
あのパン屋さんの前で負けてしまう自分も、
なんだか愛おしく思えてきます。
少し大げさかもしれませんが、
これは、
人間が人間らしく生きている証拠なのだと、
私は本気で思っているのです。
合理性だけを追求するなら、
あんな寄り道は無駄でしかありません。
お金もかかるし、
カロリーだってオーバーします。
でも、
その無駄の中にこそ、
人生の豊かさがあるのではないでしょうか。
効率よく生きることだけが、
すべてではありません。
たまには、
焼きたてパンの匂いに負けて、
ふらっと店に入ってしまう。
そして、
予定にもなかった、
クリームパンを一つ買って、
帰り道にこっそり食べる。
そんな寄り道が、
私たちの殺伐とした日常を、
救ってくれることもあるのです。
本当に、
スゴイことだと思います。
ただのパンの匂いが、
人の心をこんなにも揺さぶるのですから。
地球の裏側では、
もっと難しい問題が山積みです。
政治のこととか、
経済のこととか、
宇宙のこととか。
私にはよく分かりません。
でも、
目の前にある、
焼きたてパンの誘惑に勝てるかどうかも、
同じくらい重大な問題なのです。
少なくとも、
私の今日の機嫌は、
それで左右されました。
だから、
もし次に、
あの甘い香りが漂ってきたときは、
無理に我慢しなくてもいいのではないでしょうか。
負けたっていいのです。
人間だもの。
そんなふうに、
自分を甘やかして生きるのも、
悪くないと思うのです。
明日もまた、
私はきっと、
あのパン屋さんの前で、
匂いをクンクン嗅いでしまうことでしょう。
そして、
また負けるのです。
でも、
それでいいのです。
それが、
私の生きる道なのですから。
おしまい。
そう考えると、
人生というものも、
なんだか少し、
似ているのかもしれません。
私たちは、
いつも何かと戦っています。
仕事のこととか、
人間関係のこととか、
将来の不安とか。
大きな問題が、
次から次へとやってきます。
では、いったい、
どうしたらいいのでしょうか?
強い人間にならなければいけない。
そう思っていませんか。
誘惑に負けてはいけない。
流されてはいけない。
いつもシャキッとしていなければいけない。
そんなふうに、
自分を追い込んでしまうことはありませんか。
でも、
ちょっと待ってください。
本当に、
それだけが正解なのでしょうか。
ここで、
少し、話しは変わりますが、
私の部屋にある、
小さな観葉植物(かんようしょくぶつ)の話をさせてください。
名前は、
たしかポトスという種類だったと思います。
ずいぶん前にお祝いでいただいたものです。
最初は、
葉っぱもツヤツヤしていて、
ピンと上を向いていました。
いかにも元気そうな姿でした。
ところが、
ある時期から、
少し様子が変わってきたのです。
葉っぱが、
だらんと垂れ下がってきました。
水が足りないのかなと思いました。
だから、
慌てて水をやりました。
でも、
あまり変わりません。
日当たりが悪いのかもしれない。
そう思って、
窓辺に移動させてみました。
それでも、
元気がないのです。
なんだか、
ぐったりしていました。
私は心配になりました。
枯れてしまうのではないかと、
少し焦りました。
毎日、
「がんばれ」
と声をかけました。
意味はなかったかもしれませんが、
そうせずにはいられませんでした。
でも、
植物は言葉を話しません。
ただ、
そこに静かに佇んでいるだけです。
では、いったい、
どうすればよかったのでしょうか。
正解は、
何もしないことでした。
実は、
その時期、
私は水をやりすぎていたのです。
植物にとって、
それは過保護でした。
よかれと思ってやったことが、
かえって負担になっていたのです。
根腐れ(ねぐされ)という状態だったのかもしれません。
土の中がずっと湿っていて、
息ができなかったのです。
それに気づいたとき、
私はハッとしました。
人間関係も、
これと全く同じではないでしょうか。
そう、
『過剰な介入』
という問題です。
相手のためを思って、
あれこれ口出しする。
心配だからといって、
先回りして全部やってあげる。
それは、
愛情のつもりかもしれません。
でも、
相手の呼吸を止めているとしたらどうでしょう。
相手の成長するスペースを、
奪っているとしたらどうでしょう。
そう考えると、
少し怖くなります。
私たちは、
自分のことで精一杯なのに、
他人のことまでコントロールしようとします。
でも、
植物の根元を見てください。
見えないところで、
必死に生きようとしています。
人間も、
それと同じです。
見えないところで、
それぞれの人生を、
それぞれのやり方で、
生きているのです。
ここで、
問題になるのが、
『境界線』
というものです。
自分と他人の境界線です。
私たちは、
ついついその境界線を越えてしまいます。
相手の領域に踏み込んでいってしまいます。
まるで、
自分の庭のように、
他人の心を踏み荒らしてしまうのです。
悪気はないのです。
ただ、
心配なだけなのです。
でも、
それがお互いを苦しめることになります。
では、いったい、
どうすればいいのでしょうか。
それは、
『放っておく勇気』
を持つということです。
放置するのとは違います。
信頼して、
見守るということです。
「大丈夫だよ」
と心の中で思いながら、
ただそこにいる。
それだけでいいのです。
先ほどのパンの話に戻りましょう。
自分を甘やかすことも、
これと似ているような気がします。
私たちは、
自分に対して厳しすぎます。
少しのミスも許さない。
少しの妥協も許さない。
いつも完璧であれと命じます。
でも、
それでは心が疲れてしまいます。
植物の根腐れと同じように、
自分の心も腐ってしまうのです。
だからこそ、
時には、
自分を放っておいてあげることも必要なのです。
「今日はもう、がんばらなくていいよ」
そう言ってあげる。
クリームパンを食べる。
ダラダラとテレビを見る。
何もしない時間を過ごす。
それは、
怠けているのとは違います。
自分の心に、
新鮮な空気を送り込んでいるのです。
そう考えると、
日々の小さな寄り道も、
とても意味のあることに思えてきます。
無駄なことなんて、
本当はないのかもしれません。
すべてが、
今の自分を形作っているピースなのです。
遠回りをしたからこそ、
見つかる景色があります。
失敗したからこそ、
優しくなれる心があります。
完璧な人間なんて、
どこにもいません。
みんな、
どこか少しずつ欠けています。
そこから、
光が漏れているのです。
少し、
大きな話をしましょう。
この地球上には、
数え切れないほどの命が存在しています。
人間だけでなく、
動物も、
植物も、
虫たちも。
それぞれが、
それぞれの場所で、
精一杯生きています。
宇宙から見たら、
私たちはほんの小さな点のような存在です。
悩みなんて、
ちっぽけなものかもしれません。
でも、
そのちっぽけな私たちが、
今日も一生懸命悩んでいます。
「今日の夕飯は何にしようか」とか。
「あの人にどう思われただろうか」とか。
そんなことで、
一喜一憂しています。
笑ったり、
泣いたり、
怒ったり、
感動したりしています。
それって、
すごく愛おしいことだと思いませんか。
完璧ではないからこそ、
愛おしい。
弱いからこそ、
美しい。
そう、
私たちは、
ただそこに存在しているだけで、
すでに完璧なのです。
何かを達成しなければ価値がない。
そんなことはありません。
生きているだけで、
100点満点なのです。
だから、
もし今、
何かに行き詰まっている人がいたら。
もし今、
自分のことが嫌いになりそうな人がいたら。
こう伝えてあげたいのです。
「そんな日もあるよ」と。
「無理しなくていいんだよ」と。
パン屋さんの前で匂いを嗅いでしまうように、
本能の赴くままに生きてもいいのです。
自分を責めるのを、
少しだけやめてみませんか。
肩の力を抜いて、
深呼吸をしてみませんか。
風の匂いを感じてみませんか。
それだけで、
世界は少しだけ優しくなります。
自分の心が優しくなれば、
周りの世界も優しく変わっていきます。
それは、
決して魔法ではありません。
私たちが持っている、
本来の力なのです。
命の力なのです。
そう考えると、
明日が少し楽しみになってきます。
また新しい一日が始まります。
思い通りにいかないこともあるでしょう。
誘惑に負けてしまうこともあるでしょう。
でも、
それでいいのです。
それが、
私たち人間なのですから。
今日も、
明日も、
それぞれのペースで歩いていけばいいのです。
ゆっくりでいい。
止まってもいい。
自分の足で、
自分の人生を歩いていく。
それだけで、
十分すぎるほど、
素晴らしいことなのです。
だから今日も、
私は私の道をいきます。
寄り道をしながら、
たまには遠回りもしながら、
笑顔でいられたらいいなと思います。
さて、
そろそろ、
おしまいの時間が近づいてきました。
この長い独り言に、
付き合っていただき、
本当にありがとうございました。
あなたの今日という日が、
温かい香りに包まれた、
素敵な一日になりますように。
それでは、
またどこかで。