昨日、
わたしは、
朝ごはんを食べました。
これは、
決して、
大げさな話ではありません。
ごく普通の、
白いご飯と、
お味噌汁です。
それから、
卵焼きを、
食べました。
朝ごはんです。
みなさんは、
今朝、
何を食べたでしょうか。
パンを食べた人も、
いるかもしれません。
あるいは、
コーヒーだけで、
済ませてしまった人も、
いることでしょう。
忙しい朝に、
ごはんを食べるのは、
本当に、
大変なことです。
時間もありません。
ねむい目をこすりながら、
やっとの思いで、
起きてくる。
それが、
現代人の、
朝というものではないでしょうか。
では、いったい、
どうして、
わたしが朝ごはんを食べたのか。
それは、
お腹がすいたからです。
あまりにも、
単純な理由です。
けれど、
この単純な理由が、
とんでもない事態を、
引き起こすことになりました。
ここで、
少し、
話しは変わりますが、
みなさんは、
「朝のエネルギー」
というものを、
考えたことがあるでしょうか。
朝に、
栄養を補給する。
それは、
車にガソリンを、
入れるようなものです。
ガソリンが入れば、
車は、
動きます。
それと同じように、
人間も、
ご飯を食べれば、
元気になる。
動けるようになる。
これは、
当たり前のことです。
そう。
あまりにも、
当たり前すぎて、
私たちは、
その恐ろしさに、
気づいていないのです。
問題は、
ここからなのです。
お味噌汁を、
一口、
飲みました。
あたたかい出汁が、
体に染み渡る。
そんな感覚が、
ありました。
「ああ、日本人でよかったな」
思わず、
そう、
つぶやいてしまいました。
卵焼きを、
口に入れます。
少し甘めの、
お母さんの味に、
似たような、
似ていないような、
そんな味でした。
美味しい。
本当に、
美味しいと思いました。
その瞬間です。
私のなかの、
何かが、
目覚めてしまったのです。
それは、
「体内エンジン」
のようなものです。
普段は、
スリープ状態になっている、
小さなエンジン。
それが、
朝ごはんという、
高カロリーな燃料によって、
強制的に、
起動させられたのです。
ブォン、と音が聞こえたような、
そんな気がしました。
ここで、
疑問が生まれます。
なぜ、
エンジンが起動すると、
いけないのでしょうか。
動くなら、
いいことではないか。
そう、
思うかもしれません。
けれど、
ここに大きな罠が、
あるのです。
想像してみてください。
長年、
眠っていたエンジンが、
突然、
フル回転を始めたら、
どうなるでしょうか。
車体は、
どうなってしまうでしょうか。
ボルトが外れ、
煙を吹き、
バラバラになってしまうかもしれません。
人間も、
それと同じなのです。
普段は、
省エネモードで、
ぼんやりと生きている、
この私という、
ポンコツな肉体。
そこに、
炭水化物が、
流れ込んだ。
タンパク質が、
注入された。
糖質が、
脳を直撃した。
その結果、
何が起きたか。
エネルギーが、
ありあまってしまったのです。
行き場を失ったエネルギーが、
体の中で、
大暴れを始めました。
「うおおお!」
心の中で、
そう叫びました。
じっとしていられません。
いつもなら、
テレビを見ながら、
ダラダラと過ごす、
朝のひととき。
それが、
まったく、
違って見えたのです。
床の汚れが、
やたらと、
気になり始めました。
あそこにも埃が、
ここにも髪の落ちているのが、
見える。
見えてしまうのです。
これは、
危険な兆候でした。
私たちは、
日々の生活の中で、
知らず知らずのうちに、
「サボる技術」
というものを、
身につけています。
めんどくさいことは、
後回しにする。
汚れていても、
見ないふりをする。
そうやって、
エネルギーを節約しながら、
バランスを保っているのです。
そこへ、
しっかりとした朝ごはんが、
入ってきた。
バランスが、
崩壊したのです。
サボるためのエネルギーさえ、
失われ、
すべてが、
「動け」という、
強制命令に変わってしまった。
そう考えると、
恐ろしいことです。
朝ごはんは、
エネルギーの塊。
つまり、
それは、
小さな、
「爆弾」
を抱え込むようなもの、
なのかもしれません。
では、いったい、
どうして、
そんな危険なものを、
私たちは、
毎日、
平然と食べているのでしょうか。
健康のため。
美容のため。
体力づくりのため。
世間は、
そう言います。
朝食は、
一日の元気の源です、と。
テレビのコメンテーターが、
笑顔で語っています。
けれど、
本当に、
そうなのでしょうか。
もしかしたら、
あれは、
人類をコントロールするための、
恐ろしい、
陰謀なのではないか。
そんな、
馬鹿げた考えすら、
頭をよぎりました。
エネルギーが、
あふれ出た私は、
まず、
掃除機をかけました。
普段は、
週末にしかやらない掃除機を、
朝の八時から、
全力でかけました。
ブイーーーン。
掃除機の音が、
部屋中に響き渡る。
ゴミを吸い取る。
ホコリを吸い取る。
私の心の中の、
淀みまで、
吸い取っていくような、
そんな勢いでした。
でも、
それだけでは、
エネルギーは、
収まりません。
まだ、
体の中に、
余力が残っているのです。
恐ろしいことです。
次は、
洗濯物を、
畳み始めました。
いつもなら、
椅子の上に放置されている、
山のようになった洗濯物。
それを、
一枚ずつ、
丁寧に、
畳んでいく。
靴下も、
丸める。
Tシャツも、
きれいに、
四角くする。
こんな几帳面な自分、
今までに見たことがありません。
怖くなりました。
私は、
誰なんだろう。
本当の私は、
もっと、
だらしない人間のはずなのに。
朝ごはんを、
食べたという、
ただそれだけのことで、
人格まで、
改造されてしまったような、
そんな恐怖感がありました。
ここで、
さらに、
大きな問題に、
ぶつかります。
このあふれ出たエネルギーは、
家の中の家事だけで、
消費しきれるものなのでしょうか。
答えは、
「ノー」です。
家の中が、
あまりにも、
綺麗になりすぎてしまいました。
もう、
やることが、
ありません。
床はピカピカです。
洗濯物も、
すべて、
タンスに収まりました。
皿も、
洗って、
水切りカゴに、
整然と並んでいます。
ピンと張りつめた空気。
静まり返った部屋。
そこに取り残された、
エネルギーの塊である、
私。
行き場を失ったエネルギーは、
次に、
どこに向かうでしょうか。
それは、
外の世界です。
外の世界へ、
飛び出さなければならない。
そう、
私の細胞が、
叫んでいるのです。
外に出よう。
走り出そう。
何か、
新しいことを始めよう。
朝ごはん、
恐るべし、
です。
たかが、
ご飯とお味噌汁と卵焼き。
それだけのものが、
人間を、
ここまで変えてしまう。
私は、
コートを羽織り、
玄関のドアを、
開けました。
外の空気が、
冷たくて、
気持ちいい。
いつもなら、
「寒っ」と言って、
すぐに部屋に戻るところです。
でも、
違いました。
「空気が、
おいしい!!」
そう叫びたい衝動に、
駆られました。
足が勝手に、
動き出します。
歩くのではありません。
小走りです。
スキップすら、
できそうな勢いでした。
近所の公園に向かって、
私は、
走り出しました。
朝の静かな街並み。
通勤途中の人たちが、
眠そうな顔をして、
歩いています。
その横を、
私は、
すごい勢いで、
通り過ぎていく。
周りの人たちは、
きっと、
こう思ったことでしょう。
「あの人、
朝から、
どうしたんだろう」
「何か、
いいことでも、
あったのかな」
いいえ、
違います。
私は、
ただ、
朝ごはんを、
食べただけなのです。
それだけなのに、
まるで、
世界を救う戦士のような、
謎の使命感に、
包まれていました。
公園のベンチに座り、
深呼吸をしました。
スーハー、
スーハーと、
何度も、
息を吸い込む。
肺の奥まで、
新鮮な酸素が、
行き渡る。
これもすべて、
あの卵焼きのせい、
なのかもしれません。
そう考えると、
食べ物の力というのは、
本当に、
スゴイことだと思います。
私たちは、
毎日、
何気なく、
口に物を運んでいます。
お腹を満たすため。
生きるため。
それは、
当たり前のことです。
でも、
その一口一口が、
自分という人間の、
スイッチを、
押している。
そう思うと、
食べるという行為が、
とても、
神聖なものに、
見えてきます。
いや、
神聖というよりは、
むしろ、
危険な儀式に、
近いのかもしれません。
スイッチが、
入ってしまう。
強制的に、
目覚めさせられてしまう。
そして、
普段は隠している、
「やる気」という名のモンスターが、
外に引っ張り出されてしまう。
もしも、
これが、
毎日続いたら、
どうなるでしょうか。
私は、
一年後には、
家事を完璧にこなし、
朝からジョギングをし、
誰よりも健康な、
超人になってしまっているかもしれません。
それは、
果たして、
幸せなことなのでしょうか。
それとも、
恐ろしいことなのでしょうか。
少し、
話しは戻りますが、
今日の朝ごはんは、
本当に、
美味しかったです。
後悔は、
していません。
むしろ、
「よく食べた自分を褒めてあげたい」
そんな気持ちすら、
あります。
でも、
明日も同じように、
朝ごはんを食べるべきか、
どうか。
それは、
少し、
考えてしまいます。
また、
あの謎のエネルギーに、
支配されてしまうかもしれない。
部屋が綺麗になりすぎて、
やることがなくなってしまうかもしれない。
そんな贅沢な悩みです。
世の中には、
色々な問題があります。
政治のこと。
経済のこと。
地球の未来のこと。
どれも、
大切なことなのだと思います。
けれど、
私たちの一日を、
一番大きく左右しているのは、
もしかしたら、
そんな壮大な話ではなく、
「今朝、何を食べたか」
ということなのかもしれません。
朝に、
何を食べるか。
それが、
その日の自分の、
運命を決める。
大げさではなく、
本当に、
そうだと思うのです。
だから、
明日、
目覚めたとき、
私は、
少しだけ、
迷うことでしょう。
冷蔵庫を開けて、
お米を見る。
卵を見る。
そして、
心の中で、
つぶやくのです。
「今日は、
エンジンを、
かけてもいいのだろうか」
と。
答えは、
出ないかもしれません。
それでも、
お腹は、
すくのです。
生きている限り、
私たちは、
食べ続けなければならない。
食べることで、
エネルギーを補給し、
動かされていく。
そうやって、
人間は、
今日も、
明日も、
生きていくのです。
たかが朝ごはん。
されど朝ごはん。
みなさんも、
明日の朝、
ご飯を口にするとき、
少しだけ、
思い出してみてください。
その一口が、
あなたの世界を、
ひっくり返す、
引き金になるかもしれないということを。
そして、
部屋がピカピカになったとしても、
それは、
朝ごはんのせいなのだと、
あきらめてほしいのです。
本当に、
スゴイことだと思います。
朝ごはんって、
やつは。
では、
少し、
話しは変わりますが、
みなさんは、
日々の生活の中で、
『当たり前』
だと思っていることは、
ありませんか。
朝が来ること。
お腹がすくこと。
そして、
ご飯を食べること。
すべてが、
当たり前のように、
繰り返されています。
でも、
本当に、
そうなのでしょうか。
実は、
当たり前のことなど、
この世界には、
一つもないのです。
そう考えると、
私たちの日常は、
奇跡の連続だと言えます。
奇跡の上に、
今日の私たちが、
存在している。
大げさではなく、
本当に、
そうなのです。
朝ごはんを食べるという、
小さな行動。
そこには、
太陽の光があり、
大地の恵みがあり、
誰かの労働があります。
数え切れないほどの縁(えん)が、
目の前の一皿に、
集まっている。
要するに、
朝ごはんを食べることは、
宇宙とつながることなのです。
ちょっと、
大げさすぎたでしょうか。
でも、
私は、
本気でそう思っています。
だからこそ、
食べるという行為は、
尊いのです。
生きるとは、
食べることであり、
食べることは、
未来をつくることです。
明日も、
明後日も、
私たちは、
食べ続けます。
そして、
世界を、
ちょっとずつ、
動かしていく。
自分の手で、
自分の人生を、
変えていく。
すべては、
明日の朝、
何口目のご飯を、
どうやって口に運ぶかから、
始まるのかもしれません。
次に箸(はし)を持つとき、
ふと、
そんなことを、
思い出してみてください。
もしかすると、
いつものお米が、
いつもとは違った輝きを、
放ち始めるかもしれません。
本当に、
スゴイことです。
食べるって、
やっぱり、
素晴らしい。