「お友達ばっかり」の教育再生実行会議~学問の自由や表現の自由が保障されず国家権力が直接介入の危険 | 渾沌から湧きあがるもの

 

 

 

前川喜平 前事務次官が語る

「思想的には相容れない、加戸守行さんのこと」

http://bunshun.jp/articles/-/7862

 

 

 

 

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◆中川昭一さんから直接電話がかかってきた

 

――90年代後半には、日本会議や新しい歴史教科書をつくる会といった団体もできています。そういったものが前川さん自身のお仕事に影響してくることはありましたか。

 

前川 私自身は直接関わる担当でもありませんでしたが、あれはいつ頃だったかな、95年より後のことだと思いますが、中川昭一さんからいろんな働きかけを受けました。中川さんは教科書議連で安倍晋三さんとも親しかったでしょう。「慰安婦問題を中学校の教科書に書くなんてとんでもない」と、散々言っていましたよね。私に電話までかかってきましたから。そういうプレッシャーはだんだん強くなってきている空気はありました。

 

――右側からの影響力を感じはじめたのは、90年代後半ということですか。

 

前川 文部行政に対する右側からの圧力みたいなものは常にあったんです。ただ、圧力があって

も、教育政策が決定的に右に振れることはなくて、自民党の中にもそれを真ん中の方に戻す力は

あったんです。ところが私の感覚でいうと森喜朗内閣、2000年の教育改革国民会議のあたりから強く右に行きはじめる。つまり、教育基本法の改正だとか、道徳の教科化というものが打ち出される時期ですね。

 

――教育改革国民会議の報告を読むと、結構過激なことが書かれていますよね。

 

前川 18歳になったらみんな奉仕活動させろとかですね。修身や教育勅語の復活を唱えるような、教育を戦前回帰させる動きというのは戦後、間欠的に表に出てくるんですね。中曽根さんの臨教審だって、ご本人としては教育基本法改正のための布石だったでしょうし、森さんの教育改革国民会議だって同じ。

 

――その流れは2006年に発足した第1次安倍内閣の教育再生会議にもつながっていくと思いますが、こうした教育をめぐる動きが右から吹き上がっていく状態をどのように感じていましたか

 

前川 これは危ないなと思っていました。森内閣の教育改革国民会議もそうですが、教育再生会議は閣議決定で作った機関なんです。総理に近い人ばかりで構成されている。そこで中央教育審議会の頭越しに議論が行われるようになってしまった。中教審はそれなりにさまざまな分野の委員から構成されているので、極端な方向へ行くことはありません。しかし、教育再生会議には政治家の意がストレートに反映されるので、学問の自由や表現の自由が保障されず、国家権力がそこに直入できてしまう。文科省の行政というのは、人間の精神的自由権に関わることが多いわけで、これでは学問の自由や教育の自主性が危うくなると危機感を強く持ちました。

 

 

 

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安保法制反対デモに参加した事務次官 

前川喜平が語る「安倍政権下の“苦痛な仕事”」

http://bunshun.jp/articles/-/7863

 

 

 

◆教育基本法を改正したいとは思っていませんでした

 

――教育行政について安倍内閣は政治色の強い打ち出し方をしています。

たとえば、2006年の第1次安倍内閣時の教育基本法の改正。この時はどんな仕事をされたので

しょうか。

 

前川 官房総務課長として大臣の伊吹文明さんに仕えていました。総務課長というのは、大臣の

そばにいるのも役目の一つなんですが、伊吹さんから言われたのは「お前は国会に行ってチョロ

チョロするな。俺の側におれ」と。ただ、そうもいかないんです。国会対策の根回しに、色々と動かなければなりませんからね。

 

――教育基本法の改正の動きには、どう対応されていたのでしょうか。

 

前川 生涯学習政策局が担当していましたが、国会に提出する前に、自民・公明で長いこと与党

協議をやっていたはずです。今から考えると公明党が相当なストッパー役を担い、決定的に国家

主義とか全体主義にいかないよう、歯止めをかけてくれたと思います。私自身は1947年のオリジナルの教育基本法が良い法律だと思っていましたから、改正したいとは思っていませんでした。

 

――決定的な国家主義ではないにせよ、改正された教育基本法には「道徳心を培う」だとか、「我が国と郷土を愛する(…)態度を養う」といった方向性が盛り込まれました。

 

前川 旧法にあった大事な言葉「教育は国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきもの」という文言がバッサリ削られてしまったのは大きかった。この文言の「直接」というのは、すなわち教育と国民との間に政治権力は介在しない、ということを言っているわけです。あくまで教育とは、教育する側と国民との直接の関係ですよと。これが改正法では「この法律及び他の法律の定めるところにより」という言葉に置き換わってしまい、法律の根拠さえあれば政治は教育にどんどん介入できるという書きぶりになってしまった。

 

――なるほど。

 

前川 ただ、その前にあった言葉は残っているんです。「教育は、不当な支配に服することなく」。これを残したのは公明党だと思います。

 

 

◆2009年の政権交代で文部省は「勝ち組」と言われた

 

――その後、2009年9月に政権交代があり民主党政権が誕生します。官僚はああした大きな環境

の変化をどう受け止めるものなのでしょうか。

 

前川 まぁ、人によってはえらいことだ、どうしようってオロオロしたんでしょうが。私はチャンスだと思いましたね。

 

――チャンスと言いますのは?

 

前川 私は元々、文部省に入ったときから組織に違和感を持っていたわけですから、よしこれで文科省もいよいよ変われるチャンスかなと思ったりしてました。特に民主党は高校無償化ってすでに政策で掲げていましたでしょう。

 

――一方で民主党政権は政治主導を強く掲げて「事業仕分け」が行われました。例の蓮舫さんの

「2位じゃダメなんですか」発言。あれは文科省のスパコン研究が対象にされたものでしたけれども、どう思いましたか?

 

前川 あれはもう、困りましたよ(笑)。とにかく無茶苦茶言われるのには往生しました。でも、民主党政権では「文科省は勝ち組」と言われていたんですよ。

 

――どういうことですか?

 

前川 あのとき「コンクリートから人へ」ってスローガンで民主党はやっていたでしょう。前原(誠司)国土交通大臣が八ッ場ダム工事を中止したり、公共事業をバッサリ減らしましたよね。それで、人といったら、やはり教育や文化行政なんですよ。だから高校無償化が一番の目玉政策だったわけで、そのために4000億円の財源をひねり出してくれた。

 

――ちなみにこれは財務省出身の方から聞いたんですけれど、「2位じゃダメなんですか」のときのように、文科省は攻撃されるとノーベル賞受賞者や金メダリスト、宇宙飛行士という「国民の英雄」を前面に立たせて国民の支持を得て、予算獲得のための組織戦をしてくると(笑)。だから文科省は財務省にとって意外と手強いというのですが……。

 

前川 ハハハ。私は主に教育行政をやっていたので、華々しい国民的英雄があまりいない分野で

したが、文化・スポーツ・科学の分野ではそれができるかもしれない。

 

 

 

 

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◆「お友達ばっかり」の教育再生実行会議

 

――第2次安倍内閣の教育再生実行会議については、どのように思ってらっしゃいましたか?

 

前川 メンバーは安倍さんと下村(博文)さんのお友達ばっかり。教育政策を審議する場としての専門性も客観性、中立性も全くないですよね。狙いは第1次安倍内閣の教育再生会議の提言を実に移そうとするものですが、安倍さんが言う教育再生とは戦前回帰、明治20年代から昭和20年けての50年余りしか通用しなかったイデオロギーを復活させようという考え方ですから。

 

――2015年の9月18日には安保関連法案が参院で可決、成立しました。この時、前川さんは国会前のデモに足を運ばれたそうですが……。

 

前川 ええ、行きましたよ。参院本会議でいよいよ決まってしまうという最後の夜。私としては、一市民、一個人としての表現の自由を行使したいと思って参加しました。デモしたって何かが変わるわけじゃないって分かっていますよ。でも、私の心のバランスを保つ上でも「こんな法律は嫌だ」という言葉をどこかで発したいと思ったんです。

 

――一市民という言葉が出ましたが、ツイッターに「右傾化を深く憂慮する一市民」という名前の@brahmslover(ブラームス・ラバー)というアカウントがあるんです。前川さんはクラシック音楽でブラームスがお好きと伺いましたが、これは前川さんのアカウントではないかという噂もあるんです。

 

前川 ああ、それ私ですよ(笑)。

 

――「右傾化を憂う」という意味では、次官をお辞めになってから行った名古屋の中学校での講演をめぐって、文科省から市の教育委員会に執拗な問い合わせがあった件。JC(日本青年会議所)出身の文教族議員からの介入があったなどし、前川さんもこれに批判をされていたと思います。JCという団体については、今どのように考えていらっしゃいますか

 

前川 日本をファシズムに引きずり込む危険性があると思っています。もともと私は30代の頃、JCの人たちとはよく付き合っていたんです。教育に対しても非常に熱心な人が多かった。ところがいつの頃からか、単なる右翼団体になってしまったでしょう。右翼に乗っ取られたと言ってもいいかもしれない。

 

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前川喜平 前事務次官“初告白”「完全に右翼だった軍歌少年時代」

http://bunshun.jp/articles/-/7861

 

前川喜平 前事務次官が語る「思想的には相容れない、加戸守行さんのこと」

http://bunshun.jp/articles/-/7862

 

前文部科学事務次官いわく、ネトウヨは「教育の失敗」

http://bunshun.jp/articles/-/5004

 

 

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こういう内部の様子を聞くと、安倍たちの目指す教育方針に籠池さんはドンピシャな存在だった

んだろうな、と。

「教育勅語」に「がんばれ安倍総理」、これでもかというくらいのネトウヨ文化人による講演、私人昭恵の後押し。そりゃ、するわな、何しろ安倍晋三を掲げるモデル校第1号(笑)

当時の籠池さんが「安倍晋三記念小学校」と命名したいのは当然でしょうね。