きのうは孫の運動会。

 

1年ぶりに訪ねた小学校は、awakinの亡き母が通っていたころは国民学校でしたが、戦後は小学校となり、awakinとそのこども3人、それから孫と、80年超の時を超えてわが家4世代の母校であります。

 

青空の下、多くの父兄が見守る中運動会は執り行われました。

 

老awakinが通ったのは昭和40~46年の間で今から約60年前ですが、小学校に上がる前、幼稚園児のawakinが小学校の運動会でかけっこしている写真が手元にあるので載せてみます。

 


昭和39年9月の運動会の一コマ、講堂は体育館に建替えられ、シンボルだった柳の木は平成3年の台風19号で斃れてしまいましたが、風景自体は60年経ってもそれほど変わっていないでしょうか。

 

今時分の運動会実施中の校内は、父兄が移動できる範囲は極めて限定されているのですが、フールのそばには近づくことが出来たので写真に撮ってみました。

 

 


60年前の自分が泳いでいる姿が見えるような気さえする懐かしいプール

 

下の写真の右手に写っている低学年用プールは、awakinのこども達が通学していた頃に造られたもので、それまではここに小さな池があり、ガマの穂がいっぱいあって様々の生きものがいてお気に入りの場所でした。

 

夏休みにこのプールへ町ごとに時間割が決められていて、同じ町内の友だちと誘い合って泳ぎに来ていたものです。水着をつけただけの、どこかで読んだ詩のとおりににわか雨が降って来てもへいちゃらの格好で歩いていたのが思い出されます。

 

みんなで社会見学に行ったこともある消防署にあった火の見櫓の上から撮ったと思われる、awakinが通っていたころの記憶通りの配置の小学校

 

自宅にある小学校創立50周年の記念誌から引用しました。

 

残念ながら好きだった池は写っておりません。ただ思い出すのは1、2年生を過ごした木造校舎で、当時使われていた石炭ストーブにくべる石炭を取りに行く石炭当番というのがあって、こども二人でバケツを手に鉄筋校舎の裏手にあった石炭置き場から石炭を持って帰る時、雪混じりの風に吹かれてとても寒かったのが思い出されます。