10年以上前のことですが、『藝州かやぶき紀行』という映画の存在を知ってから俄かに興味を覚え、広島県内を中心に茅葺の建屋を探し歩いたことがあります。

 

その都度住民の方に声を掛け、写真を撮らせてもらっておりましたが、ひと気のない農地の中にポツンとある納屋や公園などに移転保存されている民家も茅葺であれば軒並み訪ねて写真を撮り歩いたものです。

 

当時県内には100棟を超える茅葺建屋が残っていたように記憶しておりますが、今では殆ど消滅しているのが現状でしょうか。きょうはそんな茅葺建屋の中から、先日12年ぶりに再訪し、その傷み様に驚かされた「広島県指定重要文化財」の児玉家住宅を取り上げてみたいと思います。

 


児玉家住宅・安芸高田市甲田町浅塚(2012.9.28撮影)

 

12年前の児玉家住宅、このときはお隣の建屋に住んでいるご婦人に許しを頂いて左手にあるお庭の中に入れていただいたりしましたが、建屋の中へは鍵を県が保管しているそうで中に入ることは出来ませんでした。

 


現在の児玉家住宅(2024.3.27撮影)

 

カタクリの花を愛でに出かけた安芸高田市で、12年ぶりに訪ねてみようと思い立ち、大廻りして来たのですが、期待に反して何となくボロっちくなっていました。

 

前回にはなかった立て札には『危険! 瓦が落下するおそれがあります。この先には立ち入らないでください。』と書いてあり、同じような立て札が立てられて近づけなかった旧芸北町内にあった旧橋山小学校の建屋は、とうの昔に解体されてしまったので、こちらの建屋も同じ運命を辿ることになってしまうのでしょうか。

 

・広島県重要文化財指定民家 児玉家(屋号住屋すみや)

正徳年中(AD1711~1716)頭庄屋・玉屋太郎左エ門の父庄兵衛は三男新太郎を連れてこの地に隠居し、屋号を住屋と称し当児玉家の祖となった。この家は享保の頃(AD1716~1736)の建築と伝えられ爾来約二百八十年を経ている。途中数度の修理改造は行われたが殆ど当時の様式を残存している。広さは桁行き九間半、梁行き五間半の三通り造りで、中通りの天井の上には頑丈な避難室があり、弓銃等の発射口を設けその上には大太鼓を吊り危急を報知する備えがある。昭和四十八年四月三十日県重要文化財民家に指定

 

文化財って何だろう?と広島県のウェブサイトを覗いてみると、『各時代の遺品のうち製作がすぐれあるいは学術的価値が高く、わが国の歴史上貴重なもの』と書いてあります。

 

説明版に屋根裏にあるという避難室の銃眼から外の世界を見てみたいものだと微かな希望を持っているのですが、現状ではそんな希望は叶えられそうになく、自らが歴史上貴重なものと指定したにしては扱いがおそまつなのでは?と強く言いたいところですが、『それを言っちゃあおしまいよ。』と寅さんにおしかりを受けそうなので止めておきましょう。