きょうは怪我をして動けない今、とても気になっていることが一つあるので書き留めておきたいと思います。

 

それは芸備線の備後落合駅のすぐ近くにあった旅館の宿帳のことで、旅館の名は大原旅館、すでに営業は止めておられるので旧大原旅館ということになりますが、建屋はまったく昔のままの姿で駅横に建っています。

 

この旧大原旅館の宿帳がなぜ気がかりかと言うと、それはawakinが尊敬する民俗学者・宮本常一さんと作家の松本清張さんが宿泊された宿屋だからで、もし宿帳が残っていてお二人のサインが残っていれば、それは二つとない広島県のお宝ではなかろうかと思うのです。

 

松本清張さんはこの大原旅館に宿泊されたときに、同宿の出雲から来た夫婦が出雲弁で話しているのを聞き『砂の器』のヒントを得たと書き残しておられます。

『ある年の冬、広島から芸備線で奥に行ったことがある。(中略)備後落合という所に泊まった。汽車はここまでだった。小さな宿屋で谷の底のような場所である。一部屋に案内されたのではなく、八畳ばかりの間の真中に掘りこたつがあり、七八人の客が四方から足を突込んで寝るのだ。夫婦者もいれば見知らぬ娘も交る雑魚寝であった。朝の一番で木次線で行くという五十歳ばかりの夫婦が寝もやらずに話し合っている。出雲の言葉は東北弁を聞いているようだった。』( 芸備線の一夜 )

 

民俗学者宮本常一さんも備後落合へは家族で一泊しておられます。

『島根県八束半島には昭和31年11月にいった。10月31日、広島で中国新聞の座談会に出席し、その夕方郷里から来た母、妻、子供とおちあって、姫新線(芸備線?)にのり、備後落合で一泊した。落合は谷間のさびしいところであるが、ここから島根県宍道へいく汽車がわかれていて、宿屋もある。山中は夜がいちじるしく冷え、コタツも用意してあった。』(出雲への家族旅行・宮本常一著作集25「村里を行く」)

 


備後落合駅と旧大原旅館(左手の日本家屋)【 2023.10.30撮影】

 

5年前の秋に当駅を訪ねたとき、駅におられた地元の方にお願いして待合所の壁に掲示してある「ひとり旅・芸備線の一夜」のコピーを撮影させていただきました。

 

その方は後にNHK・BS『新日本風土記』に出演されたボランティアガイド永橋さんその人であったのですが、おろち号が終焉を迎える今秋10月末に備後落合駅を訪ねた際、再会することができました。

 

おろち号が駅に到着すると永橋さんは観光客へのガイドに立たれ、忙しくしておられましたが合間に時間をいただき、少しお話しさせていただきました。

 

お話しさせていただいたのは以下のことです。

 

①芸北樽床にあった旅館『峡北館』の宿帳が広島県立文書館に寄託されていること。

②その宿帳に書かれてある牧野富太郎さんや宮本常一さんなど著名人のサインや俳 

 句、俳画は、一般に公開されているので誰でも自由に閲覧できること。

③旧大原旅館に当時の宿帳が残されていたらそれはとても貴重な資料であること。

④もし宿帳が残っていたら峡北館同様に文書館に寄託することは出来ないか?

 

といった面倒なことをお願いしたのですが、永橋さんにご快諾いただき、近日中に大原さんと話をして回答しましょうと仰っていただいたのですが…。

 

おろち号が廃止になる11月23日の前日の22日に、備後落合駅を再訪して永橋さんに回答を伺えたらいいなと思っていたのですが、その前の20日に左膝に大怪我してしまい、以降まったく動けなくなったという顛末です。

 

半月板を痛めたことのある知人によると、『寒い時期じゃしリハビリもあるけえ1月いっぱいは動けんで。』だそうで、なかなか備後落合駅へは行けそうもありません。


身から出た錆とは言え詮無いことであります。