膝の怪我は思ったより重症で、年内は自宅で大人しくしておかなければ後遺症が残りそうで、医者に言われるまま、どこにも行かずに本やビデオばかりの日々を過ごしています。

 

最近は何かに突き動かさるようにカメラを手に外に出て鳥や飛行機の撮影ばかりでしたから、自宅でゆっくり本を読んだりする時間を少しも持てずにおりました。

もっと忙しくしていた現役時代には、少ない時間の中でも週に1~2冊くらいは様々なジャンルの本を、教養を高めようと読んでおりましたから、今はあり余る時間を逆に持て余しているのかもしれません。

 

若い頃は映画館にもよく足を運んでおりました。昭和52年の角川映画「人間の証明」のキャッチコピー『読んでから見るか、見てから読むか』に影響を受けたわけではありませんが、映画を観たあとに原作を読んだり、原作を既読の映画が封切られると観に行ったりもよくしておりました。

 

マイクル・クライトンの作品などは軒並みで、『アンドロメダ病原体』、『ジュラシックパーク』、『ロストワールド』、『コンゴ』、『スフィア』がそうでした。

 

30~40代は海外のSF、パニック小説が主でしたが、50代になると好みが変わり日本人作家の時代小説を読むようになりました。池波正太郎さんの『鬼平犯科帳』、『仕掛人藤枝梅安』、『剣客商売』、笹沢左保さんの『木枯し紋次郎』はよく読みました。そしてそれら時代小説はテレビ局によって時代劇ドラマが制作されましたが、時が移り新作がほとんど作られなくなった今では、時代劇専門チャンネルなどのCSのテレビ局で再放送されるだけになっています。

 

身体が不自由な今は楽しみが少ないので、そんな再放送される時代劇を毎日観ているわけですが、その中の木枯し紋次郎、昨日観たのは『冥途の花嫁を討て』でした。この作品、作り手の本気度(ご苦労)がMAXであったか?と思える作品に思えたので昔のように原作の小説も併せて読んでみました。

 

きょうはその『冥途の花嫁を討て』の蘊蓄を少々載せてみたいと思います。

 


光文社版「木枯し紋次郎」第6巻、『冥途の花嫁を討て』はこの巻に収められています。原作では股旅物ゆえに紋次郎が歩く舞台の地名や土地土地の状況が、きっちり書き込まれているので、現代の地図で場所を探してみるとより興味が湧いたりします。

 


テレビ版第37話『冥途の花嫁を討て』で悪党・小平太を演じる蟹江敬三さん。

 

小平太が立っているのは周囲が霧氷だらけの雪山です。

 

原作が世に出たのは小説現代の1973年1月号、原作の設定は台風による大雨と土石流で小屋に閉じ込められた密室劇でしたが、テレビ版が放映されたのが2か月後の1973年3月24日でしたから、豪雨による川の増水の撮影は無理だったようで、大雪と雪崩で小屋に閉じ込められ、雪に押しつぶされる前に脱出してたどり着いた尾根で悪党と斬り合うという設定に変えられています。

 

その雪山での斬りあうシーンがこちら…。

 


雪崩でつぶされた小屋から脱出し、雪の急斜面を這い上る紋次郎

 



雪が積もった尾根上で激しく斬りあう紋次郎と小平太の子分たち

 

道路事情が現代とは比べようがない50年前に撮られた映像で、これを撮るのは作り手も役者もたいへんだったろうと感心するというか驚いてしまいます。

 

広島であれば、厳冬期の臥龍山山頂付近か掛頭山のスキー場のてっぺんあたりに行けば撮れるかもしれませんが、重たい撮影機材や小道具を持ち込んでの撮影で、現代のようにホッカイロもダウン着もない時代です。

 

当時びわこバレイのスキー場はすでに営業されていたようで、リフトで上がり近く(比良山系)のどこかで撮られたのかもしれませんがそれにしてもすごいです。

 

映画「七人の侍」ではラストの斬りあいシーンは、大雪の翌日に消防ポンプが降らせる大雨の中で行われ、菊千代を演じた三船敏郎さんは寝込んで1週間大学病院に入院したそうですが、雪山での撮影を終えた木枯し紋次郎のキャストの皆さんは大丈夫だったでしょうか。

 

それにしてもどのようにして撮影機材を持ち込み、撮影に何時間かけたのか、知りたいと思うところです。

 

原作を読むと物語の舞台は中山道の大久手宿と大井宿間の十三峠と書かれています。国土地理院の地図を見てみると旧中山道の一部で険しい山路のようですが、標高は500m内外でテレビドラマのような大雪や雪崩が起きるとは考えにくく、やはり木曽川の支流の増水で法師茶屋に閉じ込められるのが妥当と言ってよいでしょうか。

 

ただテレビ版のほうがビジュアル的には印象的であり、逆に原作で雪崩による密室劇が展開されていたら、左保さんは舞台をどこにして筆を進めただろうかと空想して楽しんだりしています。