広島カープの本拠地である野球場は、移転したあと権利を買った企業名つきの横文字で呼ばれておりますが、正式には『広島市民球場』であり、これは野球場が爆心地近くにあったときと変わりがありません。

 

『広島市民球場』、響きがよく、自然自分たちの球場と感じさせるネーミングです。

 

今でも瞼を閉じると浮かんでくる野球場、単に旧いもの好きというだけでなく影も形もなくなった今でも、甥っ子(少年野球)の応援や同級生が出ていた高校野球の決勝戦、前田選手の2000本安打など…、数々の想い出が残る「こころの風景」なのです。

 

療養中の身で時間だけはあり余るほどあるので、広島市民球場の記憶を辿ってみることにしました。

 

(略年表)

1957.7.22 完工式、照明点灯式(第1期工事完了)

1958.4.30 第2期工事完了 内野スタンドの増設

1977     外野スタンド増設

1987     内野スタンド2階席増設

2008.9.28 球場最後のセリーグ公式戦・対ヤクルト(通算3,782試合)

2009.3.22 球場最後のプロ野球オープン戦・対阪神

2012.2.28 ライトスタンドの一部を残して解体終了

 

完工式(1957.7.22)

広島市民球場が産声をあげた日の航空写真です。観客は満員御礼、このときは敗戦から12年しか経っていないのです。

awakinは広島市民球場は戦後復興の象徴だったと今でも思っています。

 

満2歳で市民球場デビューのawakin(1961.4.2)

この日はこの年(昭和36年)のオープン戦の最終日、対阪急のダブルヘッターであったようです。もちろん憶えておりませんが、第2期工事で増設された内野席、座席は足が届かないのでちょうどよい階段にちょこんと腰掛けているのがご愛敬でしょうか。

 


カープが初優勝した翌年の開幕戦開始時の航空写真(1976.4.4)

この頃awakinは高校生でしたが、学校帰りに友人たちと外野席からカープを応援しに行っておりました。ナイターだと学生服ではとても寒かったのを憶えておりますが、入場料はたぶん高校生は500円くらいだったでしょうか。

 


広島市民球場でのセリーグ最終戦の対ヤクルト戦(2008.9.28)

一昨日にタイガースへ移籍が決まったマエケンがマウンドに立っています。彼がルーキーのときに大竹ゆめタウンの牡蠣祭りで頑張っている姿が思い出されますが、彼ももうすぐ36歳、再び広島の地でマウンドを踏むことがあるでしょうか。

カープ初優勝のときにはなかった内野2階席が見えます。球場の最終形ですが、見ると照明の脚が観客席に掛からないようになっています。このようになる前は観客席に突っ立った鉄骨が観戦の邪魔になっていたことを思い出しました。

 


当時開放されていた内野2階席からの眺め(2009.2.17)

度重なる席の増設の歴史を振り返ることができるアングルでしょうか。

内野席1階の増設がされたのは1958年ですから、awakinが球場デビューした1961年には1階席の青色と黄色に塗られた部分はすでにあったはずです。

awakinがちょこなんと座っていた階段は、赤線で囲ったあたりでしょうか。

 

あれから60有余年が経過して球場はすでに跡形もありませんが、この地がawakinの心から離れることは、永久の眠りにつくまであり得ないと言ってよいでしょう。