通勤にも通学にも利用したことのない可部線ですが、20年前に廃線になった可部以北の非電化区間は、まだ加計までしか行けなかった頃から、行楽や学校の遠足で利用しておりました。

 

思い入れはあるかと問われても、想い出があるくらいですが、何とはなしに気になる存在、と言ってよいでしょうか。

 

節目の廃線後10年時、郵便局で記念の切手を購入したことがきっかけで、廃線跡を訪ね歩いたことがあります。あれからまた10年が経ち、今月末でちょうど廃線から20年になります。

 

10年前の風景を思い浮かべながら、再び廃線跡を歩いてみました。

 


堰堤に上がって初めて存在に気がついた廃トンネル(河戸~今井田)

 

柳瀬のキャンプ場手前にある太田川漁協の建物裏にあり、川に直角の方向に向いているので作業用のトンネルだったのでしょうか。

 


20年を経て未だホームと待合所が残っている旧今井田駅

 

『こころ旅』で正平さんが訪ねた場所、そしてもっと前にはおニャン子クラブの所属歌手のPVに使われた場所です。

それにしてもレールが外されてしまったのは残念。駅構内は雑草に覆われておりますが、むこうの方にはいい感じで雑木が生えており、あの木がレールと枕木の間から生えていて、周囲がきれいに整備されていたら、倉吉線の竹林のような風景が見られたかもしれないと想うのはawakinだけでしょうか。

 


この場所が鉄路であったことの証しがポツネンと…(安芸亀山~安芸飯室)

 

この区間に鉄路が敷かれたのは戦前の昭和11年のことでありました。

地形からして、おそらく山を削って路盤を整備したあと山側を補強したのでしょうがどうやって造ったのか?

 

山中に残る荒れ果てた棚田跡の石垣もそうですが、先人が苦労して遺した財の一切合切が。効率化の名の元に捨て去られている現実を見るにつけ、孫子の代の日本はどんな国になっているか予想もつかないことに慄然とする思いです。