このところ調べものがあり、何べんも市内の広島県立文書館に足を運びます。

 

文書館では興味のある資料や文献の本物を、実地に見せてもらえるのです。

館内では企画展をやっていて、昔の鉄道の写真が展示してあったりして静かで楽しい時間を過ごせるのです。

 

閲覧コーナー横の開架書棚には、大正時代からの新聞(縮刷版)がズラッと並んでいて、こちらも自由に見せてもらえます。

 

今日は自宅に残る旧い写真を元に時間旅行を愉しんでみました。

 


原爆ドームのすぐそばにあった市民球場の三塁側内野席で眩しそうにしているのは、齢2歳3か月のawakinであります。

 

アルバムには昭和36年4月2日撮影とあり、当然記憶はありませんが、この日は日曜日で父と矢野に住んでいた叔父に連れられ野球観戦に来たようです。

 

自宅にある『V1記念広島カープ球団史』には、この年の開幕戦は4月8日、前年の対阪神戦3連敗に続き今年も大洋に3連敗を喫してまたしてもスタートに躓いたとあるので、この日は何の試合を観に来ていたのだろうかと以前から気になっておりました。

 

文書館で該当の日付の新聞を探してみました。

 


昭和36年4月3日付の中国新聞スポーツ欄を見せていただくと疑問が氷解しました。

 

awakinが市民球場で観戦した2日には、オープン戦が対阪急のダブルヘッターで行われていたのです。

 

メンバー表を見ると懐かしい選手の名前が目白押しです。

 

対戦相手の阪急のことはわかりませんが、広島の選手では森永、興津、山本(一)、阿南、古葉、横溝…と、こどもの頃カープ少年友の会に入って応援していた選手が並んでいて、各選手の背番号を今でも覚えているので、子どものころからカープファンだったのだと今更ながら感慨深いものがあります。

 

それにしてもオープン戦をダブルヘッターでやり、2試合目などは延長11回までやって引き分けています。当時の監督は三代目の門前監督、1試合目に勝ちがついている大石投手はこの年27勝をあげたそうで、分業化が進んで100球がどうのこうの言っている今とは隔世の感がします。

 

ちなみに前述の『カープ球団史』によると、この年カープは58勝67敗5引き分けの5位でシーズンを終了しており、阪神に17勝8敗1引き分けと初めて勝ち越したのがわずかに慰めであったと書いてあります。