長梅雨でうんざりしていたのが嘘のような今日このごろです。

 

その後の猛暑の長いこと長いこと、連日の熱中症警戒アラートで自宅で逼塞する日々ですが、宅内ですることと言えば読書か時代劇が相場と言ってよいでしょうか。

 

今のマイブームは時代劇専門チャンネルで放映中の『木枯し紋次郎』ですが、値札がついたままツン読していた古本を引っ張り出して読んでみたりもしています。

 

そんな古本群の中で面白かったのが『がんす頑次郎』、昭和から平成にかけて広島ではタウン誌の草分けだった映画手帖(後に月間レジャー広島)に連載されていた辛口コラムを纏めた一冊です。

 


本棚の中に長年眠っていた『がんす頑次郎』、中身は昭和57年から平成8年までの15年間に、筆者が市井で見聞きした出来事が時系列で書かれています。

それは愛すべき広島人の喜怒哀楽がストレートに綴られた読み物と言い換えてもよいでしょうが、同時期を同じ広島に住み暮らしたawakinにとっては、忘れ去った記憶を呼び覚ましてくれるタイムトンネルのような一冊であります。

 

これは!と膝を打つ珠玉のコラムが満載で、その中の一編を紹介(引用)させていただきます。

 

『西ドイツから買いんさった三両編成の電車が走っとりまんが、車体はなかなかスマートでがんす。それにしても、横の腹に何やら横文字が書いてありまんが、さっぱり解かりめん。そこで知り合いの大学生に調べてもらいやんしたら、「茶色の方が”幸運への道標-宝くじ”、灰色のが”ビルゼン・ビールの王様”という意味。どっちも広告じゃ」と。広電さんは広告も一緒に輸入しんさったんの。』(昭和58年 1月号)

 


ひろでんが西ドイツから買いんさった灰色の方の電車(今は入れない江波車庫にて)

 

側面の文字の意味など今の今まで気がつかなかったというか、目から鱗、そこら中に話題の種がころがっていることを教えられたような気がします。

 

『がんす頑次郎』が書かれたのはバブル全盛から崩壊後しばらくのまだ景気の良かった頃で、わずか3~40年前のこととは言え、当時の世相は今とくらべるとずいぶん鷹揚であったように思います。

 

カープの監督は古葉さん、アジア大会が開催され、市内には映画館がいっぱいあって、本通りに本屋が何軒もありパチンコ屋は大繁盛、夜8時に入店しても座る台がなくて流川に流れていく。繁華街ではあちこちでドンパチがあり新聞を賑わせるような物騒な時代でもありましたが、今よりずっと楽しくて、活気があったように思うのはawakinが単に歳をとってしまったからだけでしょうか。

 

ただ、インターネットもAIもない時代に、楽しい時間を想う存分過ごせていたのは確かなことで、これからも「やりたいことを、やりたいときに、やりたいだけ」、旧き良き時代を懐かしみながら、自由な時間を満喫していきたいと思うところです。