人の一生は短いもので、還暦を過ぎてしばらくになるawakinなど、これまでお世話になってきた方々がポツリポツリと亡くなられても、コロナの世で思うように動けないもどかしさと寂しさを感じる今日このごろです。

 

そんな短い人生よりさらに短いのは、市井にあまたある商売屋の寿命でしょうか。

 

中には江戸時代から続くと言われる老舗もありますが、そんな歴史のあるお店でも時代の波に翻弄され、いつのまにか不況業種になってそのまま店を畳んだというのはよくある話ですし、いっときの流行りで雨後の筍のように出現する飲食関連のお店に至っては、ブームが去るとあっという間にその姿を見なくなるというのは、昨今たびたび見かける光景です。

 

きのうは自分のこころの中にのみ残るお店などを、「想い出がいっぱい」と題して載せてみましたが、きょうは今はもう見ることが出来なくなった飛行機や電車などの乗り物たちを想い出を織り交ぜて載せてみたいと思います。

 


広島西飛行場の朝(撮影日:2010.10.30)

 

最後まで残った宮崎行と鹿児島行が飛ぶのを止めた日の朝です。運行最終日の計らいで空港ビル屋上の展望デッキが開放されると聞いたので上がってみたのです。awakinが広島西飛行場からの便を利用したのはただの一度切りでしたが、出張で行った鹿児島からの帰りは夜間飛行で窓の外は真っ暗、狭い機内で『宮島にぶつかったら死んでしまう。』とかつまらん事に怯えていたのが思い出されます。

 


JR広島駅の午後(撮影日:2015.3.13)

 

3月のダイヤ改正前日の広島駅です。翌日から新型の227系が運用されるというタイミングで、代わりに定期運行が廃止される103系が、4番ホームを呉方面に向け出発し、遠ざかっているのが画面左に小さく写っています。awakinが学生のころ新宿から高田馬場まで山手線でいつも利用していた103系との永久のお別れという一枚です。

 


MCAS IWAKUNI ハリアーⅡのタキシング(撮影日:2015.9.18)

 

垂直離陸と垂直着陸の両方が出来る戦闘機だったAV-8B(ハリアーⅡ)、かっこよくて好きな飛行機でした。上に載せた電車同様飛行機にも新陳代謝があり、このハリアーⅡも今では見ることができません。この頃はF-18(レガシーホーネット)の飛行隊が3つ、ハリアーⅡが1つ、ほかにも電子戦機のEA-6B(プラウラー)の部隊も岩国にいて、真に海兵隊の天下でした。着陸前のオーバーヘッドが極端に低かったり、芸北のスキー場でリフトぎりぎりを飛んで雪煙を巻き上げたりとまだワヤしよった時代ですが、今より断然楽しかった頃の一枚です。

 


道の駅からトワイライトエクスプレス(撮影日:2016.3.21)

 

家内殿と山陰をドライブ中に道の駅(さんさん三見)に立ち寄ると、駐車場で海に向けて三脚が林立しておりました。CMに話を聞くとトワイライトエクスプレスの最終便がもうすぐ通過するそうで、仲間に加えてもらって撮った一枚です。下関発大阪行で先頭で客車を牽引しているのはDD51 1186、これより以前は特急出雲やお召列車も牽引していたこともあるディーゼル機関車でした。

 


広島西飛行場を飛び立つマリーンワン(撮影日:2016.5.27)

 

オバマ米大統領の来広時に、広島からイワクニまで大統領を載せて飛行したマリーンワンが飛行場を飛び立った瞬間です。今回のバイデン大統領の来広時の護衛機は在韓米軍のCH-47(チヌーク)でしたが、このときは普天間のMV-22B(オスプレイ)でした。マリーンワンもこのときはVH-60N(プレジデントホーク)で、今回のVH-3D(シーキング)とは違う機種だったのは、変化があって興味深いところです。