生まれてからずっとひとつ所に暮らしているawakinは、幼稚園から高校まですべて徒歩圏内のところに通っておりました。

 

一番遠かったのは中学校で、それでもわずか1.6㎞しかなく、かわいい女学生との出会いといった通学の楽しみがほとんどない、冴えない学園生活を送っておりました。

 

知人の中には安芸高田市出身の方でしたが、自分が卒業した小学校から高校まですべて廃校になってしまったと仰っておられましたし、広島市内の高校でもたった一人の弟が卒業した学校は近々廃校になるそうですから、少子化に場所の例外などないのかもしれません。

 

実際awakinが卒園した幼稚園も、一度は入園の募集を止めたことがあり、そのせいで孫たちは違う幼稚園に行くはめになったのですが、実際にはその後存続することになり、結果awakinが出た幼稚園から高校まですべて形は変われど昔の場所にそのまま残っているということです。

 

その中で一番縁が深いのは小学校でしょうか。小学校は地域とのふれあう行事を行っていることからより身近な存在なのですが、自分の母校はその後こどもたちが皆卒業した学校となり、今は孫が通っているので当然ときどき行事などで訪ねているのです。先日も親たちの都合がつかないと言うので、代わりに迎えに行ってきました。

 


「やなぎ会」のお迎えにやって来ました。(画像は一部加工しています)

校門すぐ左に二宮金次郎、そのむこうの金属製のポールに隠れているのは、awakin在校時に当小学校のシンボルだった柳の木のこどもです。

 


亡父が撮ってくれた旧い写真から小学校の柳(昭和39年9月撮影)

小学校に上がる前の幼稚園児のawakinが走っている写真です。

平成3年の台風19号で倒れた柳の木、手回し式の電話機が掛けてあった昔の講堂、マイクロウェーブが校庭からも見えた三滝の山々、どれも懐かしいこころの風景です。

 

二宮金次郎の像は昔は校門から入って右側に立っていた記憶がありますが、今はその場所には児童館の門扉が建っているので移されたのでしょう。こどもの頃には読んだことがなかった銘板を読んでみると、昭和10年4月に金太郎さんという人が寄付したとあり、この像も被爆しているのかと初めて知った次第です。