断捨離しようとして候補をいろいろ吟味するのですが、戦前の両親の姿が写った写真を収めた古いアルバムだけはなかなか処分することができません。

 

それは家内殿の実家でも同じで、月一で兄弟姉妹が集まって実家の整理をしに行っているのですが、先日一枚の写真をawakinのためにと持って帰ってきてくれました。

 


こちらがその写真、ちどりのヘッドマークと宍道の駅名票が写っています。

撮影日は一緒に保管されていた切符に日付があるので知ることができます。


昭和29年(1954年)12月26日付の国鉄と一畑電車の切符、調べてみるとこの日は日曜日で出雲大社へお詣りしたときに撮られた写真のようです。

興味深いので、ちょっと調べてみました。

 

まず「ちどり」、当時は蒸気機関車で牽引されていた快速列車で、広島と米子の間を7時間30分で結んでいました。運行開始は昭和28年11月11日、当初は土曜日に広島⇒米子、日曜日に米子⇒広島と週末のみの運行でしたが、毎便混みあうため翌昭和29年10月から毎日運行されるようになり、さらに昭和34年にはキハ55系で気動車化されて準急行に昇格しています。

写真が撮られたのは「ちどり」が毎日運行されるようになってから約2か月後のことで、想像ですが写真は出雲大社から広島への帰るのに大社線から山陰線に乗り継いで来て、宍道で木次線に乗り換えたときに撮られたものでしょうか。時間を推定すると、当時の時刻表では宍道を15時07分に発車となっており、広島到着は当日の21時05分であったようです。

 

「ちどり」は芸備線、木次線、山陰本線を乗り継ぐ優等列車でした。今はそのいずれの路線も不採算のローカル線と化しています。

存続が心配されている状況ですが、これも世の流れというものなのか、今更ながら柳田國男さんの『何が新しく生まれた美しさで 何が失われた大切なものか ーいつも考えること』の一節が思い起されます。