なくなってしまって現在では見ることができないものや、なくなりつつあって現在では見づらくなっているものに興味が湧くawakinであります。

 

挙家離村してだれも住まなくなった集落跡を訪ねたり、かつてはヒョウモンモドキが優占種だった湿原を昔を想像しながら歩いたりしています。茅葺の民家もそうで、県内を走り回って写真を撮り歩いていた10年前と比べると、つぎつぎに取り壊されたりトタンを張られたりと本当に少なくなりました。

 

昔の街並みや架け替えられた橋などは、古い絵葉書の中にその姿を止めています。古本市が開かれると真っ先に物色するのはそんな絵葉書で、昔芸北八幡の樽床にあった「峡北館」が販売した三段峡の絵葉書があったりするとすぐに購入してしまいます。

 

ネットを眺めていても、これは貴重だなと思った画像はHDに保存して個人的に楽しんでいるのですが、単純にコピーするだけなので後で見ていつどこから持ってきたものかわからないのが殆どなのが残念なところです。今日はそんな一枚ですが、60年前の2月、三八豪雪真っただ中に撮られた写真を一葉載せてみたいと思います。

 


昭和38年2月に撮影された三江線船佐駅

 

三八豪雪、このとき降った雪のために挙家離村し、今は地形図に地名だけが残る旧加計町安中(あんじゅう)地区の住民が書き残した手記によると、同地では41日間連続して雪が降り続いたそうです。

 

写真は江の川沿いを走っていた旧国鉄三江線の駅の様子、駅構内を大人数で除雪している人びとと、驚くことにこの降り積もった雪の中蒸気機関車(C-11?)が煙を上げているのが見えています。

 

この情景からだと汽車が運行されているのか、立ち往生しているのかは判断できませんが、日本が今よりずっと元気で日本人も今よりずっと律儀で真面目で情熱を持って生きていた時代のことですから、おそらく線路上は夜なべして除雪し、きっちりと運行時間を守って汽車を走らせていたのではないでしょうか。

 

60年後の今ここ船佐では鉄路がなくなり、周囲に住む人も稀で、訪れても人影のない寂しい場所になっておりますが、一枚の写真からは当時の活気ある山里の様子と住んでいる人の息遣いまでが聞こえてくるような気がするのです。