コロナ禍になってからは人込みを嫌って野山で鳥さんばかり相手にしているawakinですが、それ以前は宮本常一さんに憧れて、フィールドに出ては県内の埋れた歴史をほじくったり現地を訪ねて住民の方のお話しを伺ったりして楽しんでおりました。

 

江戸時代の旅日記『都志見往来日記』の行程を歩いたり、中世に滅亡した豪族栗栖氏の居城跡や戦跡を訪ねたりしましたが、直近は湯来の水内川沿いに戦前戦後の約20年ほど存在した森林鉄道(水内林道)に興味を持って調べたり歩いたりしていました。

 

水内林道は昭和20年代に廃線になってしまった森林鉄道ですが、沿線を歩くと当時のことを憶えている方が何人もおられて興味深いお話しをしてくださいましたが、軌道跡のほとんどは県道化、あるいは度重なる水害により荒れ果ててしまい立ち入ることの出来ないところがほとんどです。それでも痕跡の一部が残っていないかと、しつこいくらいに訪ねて周辺を歩き回りましたが、これが軌道の痕跡だ!とはっきり指摘できる構造物は結局見つけることができませんでした。

 

つい先日のことですが、久しぶりに水内川沿いの国道をクルマで走る機会があり、見ると長らく工事中で入れなかった水内林道の支線のひとつ不明林道の軌道があった谷へ途中まで入れることがわかったので様子を見てまいりました。



20年前に鬼籍に入った父の遺品ですが、旧湯来町の地形図の一部分です。

水内川沿いの集落・門出口から谷に沿って「林用機関軌道」の文字が見え、こちらが今回訪ねた支線の不明林道です。因みに本線の水内林道は、太田川本流傍の土場から恵下谷合流点の終点まで9,234mの軌道でありました。

 


門出口から不明川上流を望む。(撮影日:2023.1.18)

川の上流には国有林があり、昭和の初めから昭和20年代中頃までの間、日々木材が伐り出されて薪を燃料とする内燃機関で動く汽車が材木を運び出していたのですが、新しくゴミ搬入用の道路ができて丸きり景色が変わってしまいました。

 




道路だけでなく、当然ですが川も改修されて様子が変わっています。

 

かろうじて一部ですが、旧県道が残っている場所があって撮影してみましたが、あの場所に軌道が敷かれていたのでしょうか。

 

何ぶん資料が少なくて難儀しておりますが、これまで収集した資料を少しずつですが整理して載せていければと思っています。