水晶谷(すいしょうだに)



子供ごころにも魅惑的に響きました。



  
「三滝の観音さん」の奥に、水晶がとれる谷があると、ともだちのお兄さんから初めて聞いたのは、awakinが、小学生の低学年のころ(昭和40年くらい)だったでしょうか?
そう言って、大人の小指くらいの水晶の結晶?を見せてくれました。



『そこへ連れてってーや!』と、みんなで頼んだのは、言うまでもありません。



『よっしゃ!』と一声、全員連れていってもらいましたが、帰りに可部線の鉄橋を歩いて渡ったりし、小さな子供にとってはちょっとした冒険でありました。



昨日も少し書きましたが、昭和40年代といえば、原爆の投下から20年余りしか経っていません。世間は高度経済成長のまっただ中だったかもしれませんが、われわれの周辺には塾もなく、子供は暗くなるまで外で遊んでいるのが、ふつうでした。



日曜の休みには、ほとんど地元で遊んでいましたが、夏休みや冬休みには、ちょっと遠征して、新庄橋を渡ったところにある『新庄のハゲ山』(三滝の話が載っている『がんす夜話』には新庄山または三滝山と紹介されています)で秘密基地を作ったり、「水晶谷」を探検したりしていました。



Mitaki003_2 三滝の山です。
一番左の山が『新庄のハゲ山』ですが、現在では宅地化され、マンションなどが建っています。秘密基地は鉄塔の下に作りました。
真ん中は大原山と宗箇山で、『水晶谷』は宗箇山の中腹にありました。一番右は武田山から鈴が峰に続く稜線の一部で『丸山』といいます。



  
現在の『水晶谷』は、こどものころの記憶とは、少し違ってはいますが、現存しています。



宗箇山への登山道(Aコース)の途中にある竹林の中になりますが、昔は竹が生えておらず、風化した花崗岩(まさつち)が、谷をおおっていました。
そこを掘ると、小さくて、細い水晶が出てくるのですが、見つけたときはもう鼻高々です。意気揚々とマッチ箱に入れて持ち帰っていました。



Mitaki001 『水晶谷』の一部です。
竹林になっています。
今でも水晶は見つかるでしょうか?



  





    





Mitaki002 横川へ向け走り去る可部線の車両です。
ハゲ山の麓がむこうに見えます。
当時は家もほとんどなくて、レールに耳をつけて、それを伝って近づいてくる列車の有無を確かめたりしていました。
これをすると、耳のまわりや服に錆がついて、線路で遊んだことがバレ、大怒られしたものです。