広島市西区の横川は、awakinの地元です。



今、たまたま勤務先が横川なのですが、中広にある中学校に通っていたころと同じ道を歩いて毎日、職場に通っています。

昼食はほとんど毎日外食です。

それで、きょうは職場の窓からいつも看板が見えている「ちから」で
うどんでも食べようと歩いていったのですが
あるはずの場所にお店がありません。



横川の「ちから」といえば、awakinがまだ幼児の時分に、母親に連れられて、うどんやおはぎを食した記憶のある、歴史のあるお店です。(40年以上前ですが)

まさか、なくなっているとは…。



今は「本通り」と名前が変わっていますが、昔はたしか「銀宿街」と呼ばれていた商店街は中のお店の顔ぶれがずいぶん変わっているようです。
先の「ちから」は、昔広電の電停があった交差点から、銀宿街を南に下って、1本目の四つ角を右にまがったところにありました。
中学生だった35年前の記憶にある店は、何軒残っているのでしょう?
そのままの形で残っているお店はあるのでしょうか?

興味が沸いてきました。



一度、ゆっくり時間をかけ、通りを歩いて、記録に残そうと思います。



中学生のころの記憶をたどると



今の「カジル」の中心テナントであるフレスタは、当時は「主婦の店ムネカネ」という名前のスーパーで、場所も、駅前通りの南側にあり、今はサラ金がいっぱい入居しているビルが建っている場所にありました。



駅前には、ロータリーがあり、公園風にもみのきなどが数本植えられ、ベンチがおかれていました。
そして、このロータリーと昔のフレスタは、駅前の信号の横断歩道で結ばれていました。
今の場所でいうと、電車の線路とちょうどクロスする角度で、横断歩道が描かれており、十日市方面への車が左折しようと突っ込んでくるので、渡るのはひどく危なかったように思います。



カジルの場所には、横川ボウルといって7階建てのボウリング場がありました。



微かな記憶しかありませんが、1Fがゲームコーナーと雀球、2~4Fがボウリング、5Fには卓球場とサウナがあったように思います。
ここの卓球場は、規模が大きくて、卓球台が5~60台はありました。

ここで、カープのルーツ監督の隣の台で、卓球をしたことが思いだされます。
(昭和50年、初優勝の年です。awakinは高2でした)