72回目の原爆の日に平和記念公園で平和の祈りを捧げてまいりました。



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数多くの外国人を含む観光客たちの雑踏を離れ、相生橋の橋上から元安川。



先日、昭和三十年代の灯籠流しの様子を写した写真を見る機会がありましたが、元安川を埋め尽くすほどたくさん浮かべられた灯籠の数の多さに驚きました。



戦後十数年しか経っていない当時のことですから、原爆の被害を直接受け、肉親を亡くされた方、自身が怪我したり原爆症で苦しんでいる方たちが今よりもっと存命しておられ、その方たちの魂そのものが光っているような感じがしました。

それから約60年余経ち、灯籠流しの灯籠を購入する長い列が出来、平和公園を眺められるという展望台に上がるのに〇,〇〇〇円!の料金を取り、売上の目標未達が新聞に載るくらいですから、時の経過とともに人の心も変わっていくのかもしれません。



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2017年8月4日 岩国基地にて。



世界平和の願いを広島から発信し続けることは何を置いても続けていかなければならないと思います。



米国の核の傘に守られているのが現在の日本国の現実ではありますが、遠い遠い隣国が、開戦やむなしと核武装に走ったり、領土拡張に狂奔しているのも現実に起こっていることなのです。



 
本当は各国が保有する武器のすべてを廃棄して、何ごとも話し合いで解決できる世界が出来れば一番良いのでしょうが、それは他の動物や植物を殺して食べるのを止めようと言うのと同じことでしょうか。  



 
『このような地獄は、決して過去のものではありません。核兵器が存在し、その使用を仄めかす為政者がいる限り、いつ何時、遭遇するかもしれないものであり、惨たらしい目に遭うのは、あなたかもしれません。』(2017年 広島市・平和宣言から抜粋)
 
  
 
核ミサイルが自分が住んでいる町に向かって飛んで来ているときに、笑って死ぬことができますか?