awakinは、横川にある職場と、自宅の間を毎日、歩いて通勤しています、



途中にある祠が、前から気になっていたのですが



きょう、帰り際に立ち寄ってみました。



Dousosin01 石仏地蔵菩薩様です。



夢にでてきたお告げにより、田の土中から掘り出されたそうです。



右手の石塔には、正面に『往来安全』と大書され、右側面に石工の名前、裏面に明治八年十一月、左側面には『可部町四里・石州濱田二十五里・出雲大社四十一里』とあります。



この祠は、明治十年を記念して建てられたと、立て札に書いてあります。



場所は、JR横川駅の北口から出ると、東側に約100メートルいったところです。
(awakinが、往年の石州街道と認識していた旧国道を横切って、1本目の道を左折するとすぐで、変哲のない市道に面しています。)

でも、よくよく考えてみると、山陽本線が開通したのが明治30年頃です。
当然、鉄道(高架の盛り土)はなく、当地(三篠地区)は、竹藪だらけで、太田川(安川)のほとりだったかもしれません。

おそらく、この地蔵さんの前には、石州まで続く細い道があったのでしょう。

道を通るのも、ほとんどが歩行者で、せいぜい馬か大八車だったと思います。



明治8~10年といえば、西南の役(日本国最後の内乱ですね)が起きたころで、歴史の教科書かテレビの特集番組にでてくる遠い昔のことのようです。



でも、ちょっと街を歩くと、そんな昔からひっそりとですが、残っているものがたくさんあります。

普段、なにげに通り過ぎている通勤路に、ほんの少しですがロマンを感じました。

Dousosin02 石塔を裏側から撮りました。

おそらく、ここには木陰があって、旅人はひと休みしたのではないでしょうか?



当時の旅人の目に映る景色はどんなだったでしょう。