ヒト/世界/物理次元を動かす力/愛/アウェアネス | 目覚めて生きる!喜び無限大∞

目覚めて生きる!喜び無限大∞

愛・自由・喜び・豊かさ・叡智
無限の可能性である自分の本質を知り
その自分を大いに発揮して生きましょう♪

誰もが本質的には、しあわせ、喜びの

経験を望んでいて、

 

それが個人的に

何か望んでいるものを得るとか、

望んでいる状況になるとか

または、すべての生命体が喜びと調和のうちに

自由に喜びを経験するとか、

思い描くイメージや理想は

さまざまであっても、

 

本質的には、

存在の本質である純粋なポジティブエネルギーを

人生を通じてフルに経験していきたいわけです

 

その光のエネルギー、

愛と叡智の流れ、喜びとして経験される

エネルギーは、存在の本質であるからこそ

 

時間と空間の次元、マイナス、プラスの二極性を

経験する領域、物理次元で起こる現象がどうであっても

 

それを生み出している本質は

変わること無い、常に、在って在る光であり

 

無限の叡智と愛の内に、拡大と進化の

プロセスを起こし、さらなる創造を生み出し続けて

いるわけです

 

だからこそ、喜びという存在の本質は

物理次元の現象がどうであっても

また、その認識がネガティブであろうが

ポジティブであろうが、

 

常に、在って在り、それぞれが、

そこに意識をむけるなら

いつでも、経験できるものであり

 

かつ、そこに意識をむけるということは

その波動を全体に増し加えることになり

その波動が形となるのを促すことにも

なるわけです

 

別の表現をするなら

すべて、形として起きてきていることは

意識であるご自身の反映であり、

 

それは、個の意識の選択した波動と

そのとき選択されているパラレルワールドの

タイムライン上の集合意識からの情報も含まれた

物理次元、非物理次元の意識全体から、

起こされてきているものであり、

 

かつ、それは、

個の意識にとって、意味ある形で

起こってきている、

愛と叡智の創造であるわけです

 

いってみれば、

それぞれが世界と呼んでいるものは

それぞれのユニークな

物理現象に対する認識であり

 

それをもっと喜ばしいもの、

光あるものにしたいという願い、

または、もっとしあわせを感じたい

という願いを抱くなら

 

 

愛と叡智、純粋な光、純粋な意識

そのものであるご自身がインスパイアする

見解、エネルギーにもっとオープンに

なっていったらいいわけです

 

つまり、本来の自身に気づくこと、

その光、その愛、その知恵の動き

存在の本質に、もっと、意識を注ぐことで

その波動がマインドや身体を

フローすることを促すということです

 

まさに、Be the change

変化を望むなら、望む変化自体になれ

という有名な言葉にあらわされているように

シンプルなことであるわけですが

 

あまりにも,通常の意識のモードが

形の次元の現象、ヒトが生み出している考え

二極的な認識に大きな力を与えていたり

 

もしくは、絶対的な土台、前提として、

選択し、世界を経験していたりするために

 

源に意識を向けずに、

そのBEINGの力、

すべての源であるご自身の力

無条件の愛と叡智の創造エネルギーの力

を知らない、忘れてしまっている、

リアルに感じられなかったりするわけです

 

世界を変える力、ヒトを変える力

物理次元を動かす力は、

 

表層意識、ヒトの二極的な考えのみを

使うなら、

 

形あるものこそが

物事、人、世界を左右し

すべてを動かしているものだと認識し、

 

物理的に大きな影響力をもつこと、

金、地位、能力などを多く持つことで

より状況や人々、物事を変え、

コントロールできる、と考えます

 

そして、

それらに対する欲望、いわゆる

もっとそれがほしいから、

ゲットしたいという

不足意識が動機で、

選択や行動を起こしたり

 

もしくは、

その不足意識、欲望をあおることで

他の人の選択を、

特定の方向へ促したりします

 

もちろん、ヒトは、人生を通じて

そのような不足意識、

欲望(ここでは、純粋な願望を

ベースにインスパイアされて動くことと

欲望という不足意識からの動きと分けて

表現します)を通して、

 

愛、叡智、自由、豊かさ、

喜びそのもの、願望そのもの、

すべてである意識

本来の自分への、

 

気づきが

増し加わっていく経験をし、

さまざまな創造を生み出していくもので、

 

それを「悪いこと」と捉える必要は

ないわけですが、

 

あきらかに、表層意識だけに

とらわれて、欲望、不足意識への気づきが

ないままに生きるなら、

 

その反映である

苦しみ、ネガティブな経験、身体

精神、感情、あらゆる面での不調和を

生み出すものです

 

形にこそ、力があり

形の次元を主要なものだと

捉えているままであるなら

 

来ては去り

上げては下げるような、

形の現象のうちにはないもの

 

意識である自分の大部分の領域で

起きていること、

意識である自分のリアリティー、

その愛と叡智に気づかないばかりか、

 

在って在る、

満ち満ちた永遠の豊かさ

拡大し続ける喜びの、

本来の自分の経験に

意識がふさがれることになるわけです

 

つまり、世界、物理次元の現象という

マインドの生み出している映像、

 

意識である自分が、それ自身に気づく

ために生み出している、幻想のみに

とらわれてしまうなら

 

その幻想自体がとても大きなものとなり

それを起こしているリアルなもの、

深い部分で、本来知っている感覚が

鈍らされ、かすかな幻ように思えてしまう

わけです

 

結局、形の次元というマインドが

生み出したイメージを通して、

 

その源に気づく、

リアルなものに気づく

本来の自分に気づく

 

来ては去るようなことのない

永遠の在って在るもの、

真の愛、喜び、豊かさ、自由、

願望そのものに

気づくことがふさがれ

 

そこにインスパイアされて

物理次元に参加する喜びを

経験することを妨げてしまうばかりか、

 

今、今起きている、ダイナミックで

壮大な非物理次元の領域が起こしていること

 

そして、個の意識の部分に気づくように促して

いる愛と至福の意図、メッセージ、アイデア

インスピレーション、導きに気づくことができ

なかったりするわけです

 

すべて形在るものは、

意識である大部分の領域、いわゆる

非物理次元から起きてくるもので、

 

形そのものが、独立して

存在しているわけではないことは

誰もが、どこかで知っていることかと

思います

 

また、現在では、量子物理学などでも

意識が形を生み出していることや

ミクロの世界をさぐるほど、スペース

空間がひろがり、本質的には

すべては、スペース、であること

 

また、

ひとつの量子には、物質的な宇宙を

うみだせるほどのエネルギーに満ちていると

いうことさえいわれています

 

そんな観点も踏まえて、すこし

本当に、形の次元を動かし、

起こしているもの、

真に影響を与え、世界を動かす力に

ついて、思いをめぐらせてみることは

 

ご自身という満ち満ちたリアリティー

非物理次元という莫大な領域への気づき

 

さらには実際、すべては、

スペース、意識であるからこそ

 

その純粋な意識というすべて、

その、今 今起きている、

ダイナミックなリアリティーに

気づいていくたすけになるかと 

思います

 

 

ヒトを動かす力は、

愛だとよくいわれますよね

 

それは、まさに、意識である自分の本質であり、

無と認識されている 空っぽなスペース、

純粋な意識の性質は、

無条件の愛と呼ぶことができるかと思います

 

愛は、形あるもの、すべての存在の

本質であるからこそ

 

すべての生命体、世界、形あるもの

物理現象を生み出し、

司っている力でもあるわけです

 

それは、個の意識にとっては

内なる領域からインスパイアされる

エネルギーとしてセンスされ

 

喜び、情熱などの、純粋なポジティブな

エネルギーとして、感じられ、

 

パワフルな創造の原動力でもあり、

それにつながるとき、本来の自分を

生きていると感じるものです

 

そのエネルギーは、

それぞれの許可証に応じて、

特定の存在、

さまざまなスピリットの助け手

として認識されたり、

 

それぞれのエネルギーのシンボルとして

名前が示されたり、

もしくは、単に高次元の集合意識、

シンプルにハイヤーセルフなどなどと、

認識されたりしますが、

 

いずれにしろ、より大きな愛と叡智

調和と喜びの創造をもたらすエネルギーである

わけです

 

実際、すべては、そのエネルギーで満ち満ちて

いるわけで、形としてあらわれている、いわゆる

ほんの氷山の一角、0.000無限大1%ともいえる部分は、

 

ヒト意識の部分の(個の意識、集合意識も含めた)

ネガティブもポジティブも含めた

さまざまなエネルギーを通して

生み出されているもので、

 

ネガティブに感じる創造、形の表れというのは

ヒト意識の部分が光を抑えて、ゆがんだ状態で

生み出された不調和の現われであるわけです

 

もちろん、そういった不調和、ゆがみでさえも

起こることを許し、それを使って、さらなる光を

もたらす創造を生み出すよう、

一瞬、一瞬、とりはからわれているわけですが、

 

その光を経験したり、

それが形の次元により現されていくには

それぞれの「気づき」が必要であるわけです

 

つまり、今、非物理次元という意識である自分の

大部分の領域で起きているリアリティーに

 

まず、関心を注ぐこと

より大きな愛と知恵のダイナミックな

いのちの創造の流れ、

 

それぞれが抱く願望、理想の

パラレルワールドのスライスが、

今、ここにあり

 

それが起こってくるように、

スピリットの領域が働いていて、

 

それを観たいという気持ちに

オープンになることが、

第一歩であるかと思います

 

 

現在、それぞれが認識する世界で

力あるように映っている

存在、物事、状況、があるかと思います

 

それは、政治家かもしれませんし

財閥、大手企業、マスコミ、もしくは

有名人かもしれません、

 

または

両親、親しい友人、尊敬する人物

もしくは、特定の環境やチャレンジに感じる

状況かもしれません

 

それぞれが関心あることは

大きくなるからこそ、

 

それに関する情報は

多く入ってくるもので、

 

それらが、それぞれの考え方、選択、

さらには人生を左右する

根本的な要因であるかのように

感じたりするかもしれません

 

そこで、いつでも、

思い起こしたらいいことは、

 

それらの物事や人々、状況という

形の現われは、すべて、ひとつの源

あらわれてきていない領域から起こってきていて

 

意識であるご自身の反映、鏡であり

満ち満ちたすべてである

ご自身へ気づかせるため

 

無限の叡智と

愛そのものであるリアリティーに

気づかせるために、

完璧なタイミングで、意味あることが

起こされているということです

 

 

またよく、●●をきっかけに、

何かすばらしいことに気づかされた、

誰かの言葉や、何かを見聞きしたときに

「そうだったのか」とひらめいた

 

その力にインスパイアされて

物事をするようになった、

人生がかわった、という経験をしたり

することがあるかもしれません

 

もちろん、それもひとつの役に立つ見解では

ありますが、何よりも、すべては、ご自身が

生み出しているものであり、ご自身の許可証のもとに

経験されていることを思い起こすことです

 

つまり

 

実際は、形として現われてきているもの、

特定の人物、特定の状況ゆえに

 

気づいたではなく、意識であるご自身が、それらを

すべてを生み出し、個の意識が、そのタイミングで

源のエネルギーにインスパイアされて、受け取った

ひらめき、気づき であり、

 

それらの物事、人物、形は、許可証として

つかっているだけであるということです

 

 

ご自身は、すべてであるからこそ、

形として現われてきている

どんなものを通してでも、

無限の叡智の源に

アクセスすることができるのであり、

 

当然、目の前に落ちている

道端の石ころからでも

木々がゆれる現象からでも

 

もしくは、何も無くても

ふとしたきっかけ、

思考と思考の隙間のような瞬間から、

 

悟り、気づきを得、

そのとき、そのときに

源が導いている、

 

ビジョン、インスピレーションを受け取り、

パワフルな形にしていくこともできるわけです

 

逆に、どんなに形の次元で、

すばらしいことや、大きな力を見聞きし、

奇跡と思えるようなことが

起きたとしても

 

あまりにも、

形の次元にフォーカスし、

論理的な考えや枠にとらわれ、

善悪、正誤の二極的な価値観に

とらわれているなら

 

 

形をこえたダイナミックな愛と叡智の

リアリティーの動きへの気づきが

妨げられるばかりか、

 

その奇跡と呼ぶような

理屈を超えた現象も、

受け入れることができないものです

 

 

ヒトの目から、

ネガティブと思えるものを通しても

反面教師として、

 

本来の自分、源のポジティブな

創造エネルギーの流れにアクセスする、

 

すばらしいきっかけに

なることもあるのと同時に、

 

 

ヒトの目から、

どんなに快適で完璧な状況であろうと

また、どれだけすばらしいと

崇められる物事やヒトであっても

 

それが、かえって、形にとらわれて

それぞれが

無限の可能性であり、

さらなる光をもたらしつづける源に

意識を向けることを妨げ、

それぞれの光、力をフルに生きる

助けにならなかったりすることも

あるわけです

 

形として現われてきているものに

善/悪,良し悪しの結論をつけて

落ち着いてしまうことは、

 

意識の動きの流れ、拡大の流れをセンスして

柔軟に軽やかに生きるかわりに

自らの意図に拮抗する、ブロックすることに

なったりするものです

 

また

●●●が原因で、こうなった

といった、無数にあるシナリオのひとつの側面を

切り取った話は、マインドが好むものです

 

それが社会生活を成り立たせていたりするので、

確かに、意味ある見解であるわけですが

 

より深いリアリティーから観るなら、

すべて起きてきていることは、個の意識、集合意識

物理次元の意識、非物理次元の意識、全体を総括した

すべてであるものに因る、複雑に入り組んだ創造

であり、

 

深い領域から観るなら、そこには

原因も結果もなく、すべては、すべての創造であり

すべてに起因するからこそ、ただ、そうであるとのみ

表現できるわけです

 

そのことを思い起こすなら、

ヒトを動かし、世界を動かし、物理現象を

左右するのは、すべてである意識であり、

源のエネルギー意図、愛と叡智であり

 

個の意識ができること、より、個の意識が

また、集合意識が、つまり自分という意識全体が

その光を取り込んでいくうえで、ベストなことは

 

まさに、その光の純粋な経路となること

今、源をセンスして 生きること

今、をフルに生きる、今、命に在ることです

 

 

形の次元は、いつでも、それぞれの本質

リアルな力、すべての源、に気づかせるために

映し出されているものであるからこそ

 

何かを形に至らしめるもの

誰かに気づきを与えたり、意識の変化が起こったり

誰かが光の選択をしたり、創造をうみだしたり

力やインスピレーションを与えるものは

 

誰か、何か、物事、状況、個人の意識も

含めた、形、という意識の反映ではなく、

 

その源、であるということ

 

形は、その源が起こしているもので

形は、源に気づく許可証であり

個人の意識は、その経路であり、

その光の明暗を左右することができるわけです

 

個人の意識が、誇れるものがあるなら

光を抑える原因となっている

それ自身の考え、枠、マインドを手放し

源に向かう、光にオープンになる、という

 

愛に溶かされる

至福の選択をしたことであり

 

それすらも、本質的には

非物理次元の領域からの

促しや恵みに因って、

起こってきていることを知るなら

 

まさに、何も誇るものなどなく、

ただ、その愛の喜びにあづかるだけである

わけです

 

ヒトを動かし、世界を動かす力

すべてを司っている力の本質は

形にあらず、

 

さらには、

自分とは、形をさすものではなく

他の人も同様に、

単なる「ヒト」という身体とマインドを

さすのではなく、

満ち満ちてパワフルな創造の意識であり

壮大なスピリットが司っていることを

もっと、思い起こすことです

 

形は、アップダウンの経験を与え、

刺激的であり、魅了するもので、

 

そこに常に意識をむけ、

マインドの思考活動中心に

生きているなら、

 

形の次元がすべての土台であるかのように、

形=自分、形=しあわせ、

形が思い通りになること、

よりコントロールすることが

人生のゴールであるかのように

考えてしまったりするものです

 

物理次元は、意識の反映、

マインドが生み出したイメージであり

常に、来ては去るもの、影であり

 

リアルなもの、

常に在って在る、変わらない本質

永遠の意識の深いリアリティー、

に気づかせる、きっかけであり

 

形のうちに、力は無く、

形の内に、本質があるのではなく、

形の内に、もとめている幸せがあるのではなく

形こそが、自分なのではなく

形の内に、答え、解決策、ゴール、真実が

あるのではないわけです

 

すべては、波動からおこり

本質は、波動の動きであり、

それは、愛と叡智の満ち満ちた命の流れであり

 

そのうちに、過去、現在、未来、文字通り

すべての願い、理想、があり

自由、喜び、があり、

 

今、今、その大いなる力、

非物理次元の全総力が

すでに、いつも、

いつでも、その愛に気づかせ、

 

その快い、喜びの光に生きるよう、

すべての形を通じて語りかけ、

呼びかけ、壮大なリアリティーへの気づきに

招いているのであり

 

そのリアリティーを経験し、

形にもたらしていく程度は

まさに、それぞれの気づき次第、

その源の流れへのオープンさ、

受容性に因るわけです

 

それは、結局、感謝の内に、すべてを、

ネガティブであろうが、ポジティブであろうが

あるがままうけとめ

いまを生きることに

つながっていくかと思います

 

 

わたしたちは、

通常、五感を通して、マインドが

刺激を生み出すことに

なれているので、

 

愛の力、意識である自分の本質は、

快く、やさしく、穏やかで

ありつつも、とてもかすかなものとして、

認識されているかもしれません

 

たとえば、

自然、赤ちゃん、ペットなどを通じて、

感じるような無条件の愛、

 

一見、形の上では、

無力で、柔和で、抵抗することが

ないからこそ、弱い、と認識するかもしれません

 

でも、それらの本質を映し出す光、愛の力は

マインドの抵抗、分離、

戦いを生み出す認識を超えてしまう、

さらには、溶かして光へと変えてしまう

 

内側からの、

アンダーグラウンドの力、

ひとつにつながっているフィールドから

放たれ、動かされる力

 

いわゆる、形を生み出し、形を変える

パワフルな愛のエネルギーです

 

 

また呼吸を意識してみることから

センスできる、

わたしは、「在る」「生きている」という

確かさ、安心感

当たり前すぎる「在る」という土台

 

それは、マインドのイメージ

思考、概念、出来事といったストーリーなどを

超えた、「リアル」なものであり

 

そのエネルギーは、すべての存在の根底に

流れていても、普段、関心をむけたり

意識されることがないがゆえに、はじめはかすかなもの

かもしれません

 

その快い、本質のエネルギーにより関心を注ぎ

センスしたり、瞑想などを通して、慣れ親しんだり、

 

または、そのエネルギーの現われである

ハートの導きなり喜び、促しにインスパイアされて

生きることを通じて、

 

確かに、それは、抗しがたい情熱や、

わくわく、喜び、至福、愛の力と呼ぶ、

リアルなエネルギーとして感じられ、

喜びと調和の創造をもたらすものだと

気づくことができるかと思います

 

時々、誰かに何か、ピンと来ることを

いわれても、エゴが抵抗し

うけいれることができなくても、

 

内側に意識をむけ、我にかえるとき

 

つまり、源につながるなら

素直に、自分の深い部分からの促しとして、

自分のものとして、受け入れることができたり

するものですし、

 

よく、ヒトが、ひらめいたり、アイデアや解決策、

理解や洞察、ビジョンを得たりするのは、

 

ドライブしたり、シャワーをあびたり

自然のなかでくつろいだり、など、

マインドがリラックスすることで、

源にオープンになる瞬間だったりしますよね

 

 

自分という(個と他を含めたすべての)意識に

光をもたらし、喜び、の前向きな経験、

創造、行動をもたらす、きっかけとなるのは、

 

マインドの強烈なフォーカスを

ゆるめ、手放すことが、個の意識としての

主要な動きであったりします

 

意識であるご自身の大部分の領域は

絶え間なく、それ自身の愛、光、さらなる知恵

アイデア、解決策、なんでも、望んでいる波動が

気づかれ、形となっていくよう、すべてを通じて

働きかけているからこそ、

 

普段、あまりにも偏って、形の次元に

フォーカスしている状態をリラックスさせ

深い意識にオープンになるとき、その光が

流入して、ひらめき、直観という形で

受け取られたりするわけです

 

 

何かに気づく、そうだったのか、

とひらめくといった形を超えた、

時空を超えた、ご自身という意識の領域を

ふと、垣間見る、センスするということは

 

決して、特別なことではなく、むしろ、

自然なこと、つまり、俗に言うスピリチャルは

呼吸のようにナチュラルな、存在のあり方であって

いいわけです

 

本来は、呼吸のように、

また、陰と陽の動きのように

 

自然に

 

深い意識にオープンになるときと

深い意識からインスパイアされて

形の次元に参加するときが繰り返される

ような、

 

 

調和のうちに意識が動いていくことを

通して、人生という

意識の拡大、進化の動きの経験を、

喜びの内に味わっていっていいわけです

 

源をセンスして生きるという

自然な流れに沿うか否か、つまり、

 

個の意識の気づきの程度、

光を取り込む程度に応じて

それぞれの経験は変わるものですが、

 

それぞれの意識の大部分の領域は、

個人の選択にかかわらず、

願い、光をとりこんでいて、

拡大進化の流れに勢いを増し加えています

 

だからこそ、

個人の闇(源への抵抗)がふかまるほど

光、源のエネルギーが、個の意識に働きかける

エネルギーは強烈になるものであり、

 

抵抗し続けるほど、耐え難い苦しみとなり

身体を脱ぐという形の恵みを持って、それを

終わらせることもあるように、

 

光、愛、源の力、自分の本質には、

抗しつづけることはできないものであり、

いずれにしろ、源に、愛にもどって

いくものです

 

逆に、愛の力、自然ないのちの流れは

やさしく、おだやかなアプローチでありつつも

それにオープンになり、より意識を注いでいくなら

喜び、情熱、の快い熱いエネルギーにもなり、

喜ばしい経験を増し加え、

形にも反映されていくわけです

 

 

また、もうひとつ別の観点から、

非物理次元の抗しがたい愛の力を

表現してみるなら、眠りという現象も

そのひとつであるかと思います

 

現在の地球に存在するヒトの誰もが、

睡眠を必要としていることかと思います。

 

どんなにマインドが抵抗しても、

意識である自分の大部分の領域に、

一定の時間、もどっていくわけです

 

その心地よい、非物理次元の誘いに

抵抗できるものはなく、

 

睡眠を通して、物理次元の意識は

最小限にとどめられ、

 

非物理次元の源の力、

いのちそのものである、

純粋なポジティブエネルギー

に充電されているわけです

 

源のエネルギー、愛と呼んでいる

本来の自分のエネルギーは、自然のように

穏やかで、やさしく、かすかなエネルギーのようで

ありながらも、

 

すべてに満ち満ちていて、

絶対的な力をもって、

力強く、流れ、動き続けています

 

それは、

どんなものも、どんなマインドの考えも、

溶かし、さらなる光へと変える、

万能、全知全能の力であり

 

その無条件の愛と叡智を持って、今、今、

それぞれの個の意識が、そのテーマに沿って

この形の次元を通して、気づいていくように

動いています

 

それは、意識の大部分の全勢力、

圧倒的な光のエネルギーであり

それは、すべての生命体の根底に脈々と流れ

 

すべてのヒトのハートを通して導き、

そこに意識を向けるなら、

そのエネルギーを、力強く受け取り

その声を聞き、そのビジョン、見解を観ることが

できます

 

その愛の力、源のエネルギーが

個の意識にフローすることで、気づきの喜びがうまれ

全体としての意識に光がもたらされていくわけです

 

 

一瞬、一瞬、それぞれは、さらなる

喜び、しあわせ、光の創造を望むという

願望をときはなっているからこそ、

 

ますます

それはすでに、非物理次元の領域に

知られていて、それは、すでに

今、ここにあり、

 

そして、それは最善の形で現われて

こようと、愛と叡智の内にすべてを治め、

すべてを起こし、すばらしく完璧に動いている

ことに気づいていきましょう

 

そのリアリティーへの気づきを

覆っている物理マインドの認識を鎮め

 

もともと備わっている、知っている感覚

源をセンスする感覚、

 

つまり、五感を超えた感覚をもって

観、聞き、センスし、

 

非物理次元のリアリティーにより気づき

それを深く知り、そのエネルギーが現われるに

任せていきましょう~

 

より光をもたらし、物事を変えたい、

人々や世界のために尽くしたいといった願望が

起こるなら、

 

自動的に形に取り組もうとする代わりに

願望を起こしている源、それを形にしようと

今、今、働きかけている源の動きに意識をむけ

気づきを広げていきましょう

 

すでに起きて、動いているその愛の動きの

リアリティーに眼が開かれ、それを

センスし、その動きの優れた経路となれるよう

 

今、今、愛にやすらぎ、

愛にゆだね、愛に動かされていきましょう