許可証/幻想/望むパラレルに生きる | 目覚めて生きる!喜び無限大∞

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愛・自由・喜び・豊かさ・叡智
無限の可能性である自分の本質を知り
その自分を大いに発揮して生きましょう♪

先日、世界情勢やオススメ情報などに

ついて、書きましたが、少し、そのことに

ついて、フォロアップしたいと思いました

 

具体的なサイトなり、物事というのは

確かに、助けになり

マインドにとって、

とても興味をそそられるものですが

 

陥りやすいのは、そのマインドの刺激に

とらわれて、善悪、正しい間違いの

考えが強く働き、それにとらわれてしまい

やすくなることです

 

つまり、特定の、人物、考え、物、事柄

などにあまりにも、力を与えすぎてしまうこと

 

別の言い方をすれば、何か、正しいと認識した

物、考え、人物、事柄、組織、なんであれ、

 

それを妄信することで、悪、誤りと

認識するものを、押しのける力を、

働かせてしまうことです

 

詳細情報、具体的なもの、事柄というのは

常に、何を望み、どこへ向かいたいのかに気づかせてくれ

 

深い意識、源の流れに沿うことを

より助けてくれる、触媒、標識、シンボルのような

ものであり、いわゆる、

 

バシャールがいう「許可証」のようなもの

 

ハートの導き、ハイヤーセルフの波動

源が、そのとき、それぞれが、意識を注いだらいい

波動にアクセスし、それに生きることを

助ける、「理由」「いいわけ」、であることを

思い起こすことができるわけです

 

わたしたちは、一般的に

 

●  ●だから、好きだ、いいと感じる、

〇〇がおきたから、~をする

 

いった、

 

物事、状況、人々の考え、行動など、

見たこと、聞いたことを、理由や根拠するような

表現をしているかと思います

 

 

つまり、意識の反映を、

自分の選択の「根拠」や「理由」、許可証として

自分が、望む波動にアクセスしたり、在り方を

決めたりしているわけです

 

 

もちろん、物理マインドは、そのように

物理次元での事柄を通して、さまざまな

コントラストの波動に気づいて、

どう在りたいかに気づいていっているわけですが

 

より、気づきを深めていったらいいのは

ご自身は、いつでも、それらの許可証を

もちいなかったとしても、

望む波動にアクセスできるということです

 

つまり、より深いリアリティーの観点から

するなら、

 

すべては、意識であるご自身が

それ自身の気づきのために、すべてを生み出していて

それ自身の波動を経験している、からこそ

 

シンプルに、源が、今、そうインスパイアして

いるから、ビンときたから、いいなと感じた、ただしいと感じた

行動した、というのは、より、本質的な、理由であるわけです

 

もちろん、源がインスパイアする

そのエネルギー情報というのは、

 

当然、

さまざまな集合意識からの情報なり、

個人がとりいれた情報なりも含まれた

複雑に入り組んだ統合された情報であり

 

そのときの、その個人にとっての、ベストであり

 

いってみれば、好きな理由や、

なぜそれをしたのかといった理由を挙げようとするなら

いくらでも挙げられるわけですが、

 

あえて、●●だから、という理由を語るのは

その個人にとっての、もっとも理にかなった考え

もっとも、抵抗の少ない道、いわゆる

その人が選んだ「許可証」であるわけです

 

もちろん、この物理次元で、

ポジティブな気持ちになれるさまざまな

物事、 いわゆる許可証を、

感謝し、大いに楽しんでいったら

いいわけですが、

 

いつでも、快い感情や気持ちの

源は、ご自身、そのものだと思い起こすことは

助けになるものですし、

 

何かの物事を待たなくても

何かが起こらなくても、何か特定の形をもたなくても

 

今、源の流れをセンスし、望む波動にアクセスし

インスパイアされた、行動なり、選択なりを

していくことができるわけです

 

 

また、そのように源をみとめていくことは

逆の感情を感じたときに、

それが、状況や物事、故ではなく、

むしろ、自らが、本来の望んでいる流れから外れているサインであり

さらなる、拡大にむかっていったらいいことに

気づくことができるわけです

 

そして、より深く源の流れをセンスして

いく意識が高まることを通して、

 

これまで、使っていた、状況や物事、

形のあらわれという許可証を、用いずに

 

より無条件に、シンプルに、ハートの導き、

内なる意識、本来の自分のエネルギー

自体が、許可証となっていったり

するわけです

 

許可証、の本質的な役割である

源へ向かい、さらなる、つながり、愛と叡智のエネルギーに

深くアクセスし、そのとき、そのときを、フルに

生きることに向かっていくといった

 

許可証を用いて、エンパワーされていくかわりに

許可証、自体に、多大な力を与えてしまい

 

特定の、形、考え、団体、人物、状況

なんであれ

意識の反映を堅く固辞したり

主張したりし、それとは異なる考えなり、物事を

排除しようと、戦ってしまうことで

 

不足意識を活性化し、

望まないこと、ネガティブな経験、物事を

形にしていってしまうわけです

 

苦しみ、争い、ネガティブな経験

状況、物事を、真に変えたいからこそ、

 

善だと認識するものを、掲げるわけですが

その在り方、波動が、分裂であり、闘いであるなら

 

たとえ、「善」と認識している、考え、物事、人物が

いわゆる「勝利した」り、状況がかわったとしても

 

再び、「争い」闘い、が形となってくるわけです

 

歴史は繰りかえされるということを

よくいわれ

 

それを戦いの歴史のように

ネガティブにとらえられたりもしますが

 

別の側面から、観るなら、

拡大、変容、さらなる光をとりこむ

プロセスで在り、

 

そのプロセスは、

高まる波動の中で

 

苦しみを用いずにも、

経験していけるということに

気づいていっている存在が

増し加わっているわけです

 

常に、力、金、富、名声、なんであれ

形を追いかけ、ゲットしようとしつづける

不足意識のモードから、さまざまな

苦しみ、争い、ネガティブな経験が

 

個人レベルであれ、世界大であれ

意識の現われとして起きては、

 

さまざまな、

それらコントラストの経験を重ねるにつれて

 

意識である大部分の領域では

さらなる願い、光のエネルギーが

増し加わり、統合され、変容し、

拡大し続け、

 

それぞれの意識のテーマに応じて、

内なる意識のリアリティーへの気づきが

起きてきているわけです

 

誰かに、無理やり、

良かれと思うこと、善だと信じることを

おしつけたり、

 

むりに、目覚めさせようとしたりしても

それこそ、相手も、嫌がるばかりか、

自らにも、源の流れとの分離を起こさせるものとなる

からこそ、

 

それぞれの分は、ただ、

そのとき、そのとき、の

源からのインスピレーションに生きたら

いいだけ。

 

それこそが、

源、ひとつであり、すべてである意識の

無限の叡智と愛を深く知り、その信頼が

増し加わることにもつながることかと

思います

 

苦しみの根源は、それぞれの

分離、ネガティブなエゴ、不足意識であり

 

この人生を通して、

自分とは、何か、への気づき

より高い光の次元への気づき

ひとつであり、すべてである意識への気づきの

喜びへ向かっていくことで、

 

それら不足意識がシフトし、光になって

いくに任せていったらいいだけ

 

人生を通して、

もとめていた、愛、光、自由、喜び、豊かさ、力

なんであれ、それらは、すべて、

 

意識という自分であり

それらは、すべて、今、この次元で経験されるよう

気づかれるよう、

 

内なる意識から、起きてきていて、

それをセンスし、受け取るよう促されていることを

思い起こすことができます

 

この次元は、二極性を経験する

コントラストを経験する領域だからこそ

 

教科書やメディアで教えられてきた

ような、英雄と呼ばれる明治維新の

立役者ともてはやされるような人物たちも

別の側面から見るなら、売国者でもあり

民を欺き、闇の力の支配へ扇動したリーダーだとも

いえるわけです

 

 

どんな物事、人物にも、いつでも

多面的な要素があり、

 

この次元は、陰と陽、ネガティブとポジティブの

側面で、物事を認識することができるからこそ

 

それぞれが、それは、善だと判断しても

悪だと判断しても、それぞれの言い分、

見解は、それぞれにとって、正解であるわけです

 

マインドの表面的な、二極的な

認識にとらわれてしまうなら、いつでも

不足がおこります、

 

そこから、

互いをコントロールし

思い通りにしようとしたりするような

苦しみを生み出す

不足意識の具現、形となって

くるわけです

 

ファッション、食事の好み、などは

多様性を認められるけれど

 

宗教、政治的なことは、

とても不足意識の引き金となり、

繊細であり、互いを認められないとか

 

もしくは、逆に、食事に関してはゆずれないとか

または、他の事柄

セクシャリティーことのほうが、気になるとか

 

なんであれ、自分が、

大切だと感じていることに対する、

何か、反対の考え、意見に直面するとき

 

 

あたかも、自分を否定されるか、傷つけられるかの

ように感じて、対立心をあおがれたりするかもしれません

 

そんな感情なり、

意識が起こってくるときこそが気づきの機会であり

 

その大切だ、と思っている、

自分のものだ、ゆずれない、と信じていることや

その物事に対する考えこそが

 

 

意識の光が注がれ、本来の自分、源

無限そのものである意識のリアリティー

ノンデユアルな意識への気づき

 

自由な、ご自身へ向かう、機会であり

 

エンパワーされる機会だと

思い起こすことができます

 

物事、人物、事柄、状況

なんであれ、意識の反映として、あらわれて

きている形ある物事を、

 

絶対的なものとして、結論付けたり

レッテルを貼ったり、マインドの枠に

しばられてしまうかわりに、

 

むしろ、そのとき、そのときの

許可証として、認識していくこと

 

快く、いいな、すばらしいなと感じることは

ただ、そのとき、そのとき、ご自身が、

源の波動にインスパイアされていて、

 

まさに、外側の何かではなく、ご自身そのもの

ご自身がアクセスしているエネルギーを

経験しているのであることを思い起こし、

 

ご自身がエンパワーされ

堅く、ひとつであり、すべてである意識に

根ざしていくことです

 

誰かや、何かの出来事を、ほめたり

感謝したりしたとしても、

それが起こされてきている

リアリティーに気づいていること、

 

または、誰かにほめられたり、感謝されても

それを、あたかも、「個」である自分の手柄で

あるかのような、無意識の枠にとらわれて

すべてであり、ひとつである意識の、壮大な

愛と叡智のリアリティーを、忘れてしまわないことでも

あるわけです

 

まさに、すべては、

マインドのイメージであり

深い意識の観点からするなら

すべては、幻想、イリュージョンであり

 

日々の経験というのは、

それぞれが選ぶ波動の現れであるからこそ

 

分離の意識、不足の意識に

あおられて、

 

正しい、善だ、と考える「考え」で

「悪」を押しのけようと、闘うような

意識を活性化させてしまわないこと

 

その不足意識こそが

身体的、不健康、物理的な争い、不和

精神的な不具合、不調和を生み出すものであるからこそ

 

すべてを、源へ向かう機会にしていくこと

 

純粋なポジティブエネルギーである

本来の自分の波動、

愛と叡智のノンデユアルなエネルギー

 

ビーイング、プレゼンスの動きに沿い

その光にインスパイアされていくこと

 

日々、感謝と、熱意のうちに

物事、人々、形の現れ

意識の反映、幻想を楽しみつつ

 

さらなる、光の幻想、創造が

起こるに任せていったらいいだけ

 

 

何が正しいか、間違っているかではなく

今、何を感じ、もっと、どう在りたいかであり

 

そのコントラストの気づきから生まれる

さらなる光にフォーカスし、

 

今、それぞれのわくわくを、

それぞれの喜びを、情熱を生きること

 

今、それぞれが、生きたい波動

生きたいパラレルワールドの

ひとつのスライスを生きることで

 

それが、全体にひろがり、

その望むパラレルワールドの波動に

インスパイアされた世界が、現われてくるに

任せていったらいいことを

思い起こしていきましょう~