'存在''生きてること'の価値/すばらしさ | 目覚めて生きる!喜び無限大∞

目覚めて生きる!喜び無限大∞

愛・自由・喜び・豊かさ・叡智
無限の可能性である自分の本質を知り
その自分を大いに発揮して生きましょう♪

一般的に、社会生活を営む上で、

わたしたちは、

 

二元的、相対的な見解をもって

物事を判断し、

さまざまな経験を生み出し、

 

いわゆる、ドラマ、ストーリーを

うみだしています

 

「正しい」「間違い」

「優れている」「劣っている」

「成功」「失敗」

「豊か」「貧しい」といった

 

相対的なものさしで、物事や人々を

表現したりするわけですが、

 

必ずしも、それぞれの人は、

その言葉で表現された通りの

経験をしているとは限らないものですよね

 

 

誰かから、「失敗だ」

と評価されたとしても、

その言葉がから受けがちな

「落ち込む、がっかりする」という

波動にアクセスするのではなく、

 

これも、かけがえない経験であり

さらなるすばらしい創造の

プロセスであるというポジティブな経験として

受け止めていたり、さらなるデータを受け取れた

というひとつの「成功」として受け止めていたり

する人もいるわけですよね

 

または、

 

貧しいと認識されても、その人にとっては

この上ない、豊かで自由な経験として

受け止めていたりすることもあるわけですよね

 

それは、単に、ポジティブ思考か

ネガティブ思考かといった二元的な

マインドのなすわざの問題ではなく

 

根本的には、

しあわせで深く充実している

素の自分であることを許している

 

本来の自分につながり、その

波動にフローさせる度合いで

あるかと思います

 

 

愛である自分につながっているからこそ

人生を愛し、楽しむことができ

 

言葉やさまざまな二元的な考えによって

ハートで知っていることから外れた波動を

寄せ付けたり、惑わされずに生きる

こともできるわけです

 

ハートで知っていることに

深く根付いていくことを通して、

 

ネガティブだと認識すること、

好ましくないと思うことが

起きたら落ち込むものだ、

 

失敗だとみなされたり

劣っている、よろしくないと判断されるなら

波動を落とすものだといった

 

一般的な見解を理解していたとしても

そのようにしなくていいこと

 

教えられたまま反応する代わりに

どう感じるか、どう経験したいか

選択があることに気づくことができます

 

 

二元的な見解をベースにした

言葉がもつ波動を理解し、

それを用いたとしても、

 

絶対的な、真実として

とらえる必要がないこと

 

特に、本来の自分という

在って在る平安、喜び、自由な

意識、とその動きから、自らを反らす

必要がないことを

 

思い起こすことは大切であるかと

思います。

 

何ももの、源から外れて、

喜びと前向きな創造の流れから外され、

ブロックさせる

きっかけにする必要はないからこそ、

 

誰のせいにも

何のせいにもできないということでも

あります

 

それらの相対的な見解やものさしを

浮き沈みの理由として、用いる代わりに

 

むしろ、拡大している本来の自分の

流れに沿わせていくこと、

 

つまり、状況や物事を

それぞれの気づきをひろげるために

用いていくこと

 

善し悪しに踊らされて

波動を、右往左往、アップダウンさせる

水平的な動きのかわりに、

 

より深い、無限に拡大していく

さらなる未知の、より大きな愛と叡智の

領域へ、垂直の動きへと意識を

働かせていくことができるわけです

 

その領域は、

物理現象にゆるがされる

ことない、

時空を超えた

在って在る、永遠の今であるからこそ

喜び、わくわくの経験は無限大に

広げていくことができ、

 

そこへ意識を向け

より、存在の本質のリアリティーに

気づいていくために、

 

さまざまな、教えられた

考え、概念、を用いていくことが

できるものです

 

 

マインドが、

状況や物事、さらには、自分を

けなしたり、または、ネガティブにとらえたり

低く評価したりして

 

それが、落ち込ませる気分に

させるなら、

 

(それは、他の人の言葉かもしれませんし、

頭の中の声かもしれませんが、

いずれにしろ、小さな自分のマインドの中で

起きていることで、

特に、自分に対しては

かなり厳しくなる傾向があるものですよね)

 

 

当然、ハートが知っていること

意識の大部分の見解、

おおいなるすべてが知っていることとは

異なる見方だときづくことが大切で

あるわけです

 

ご自身という存在

意識は、まさに、満ち満ちて欠けることなど

ありえないエネルギーで

 

この物理次元の自分の意識の部分は

つねに、すばらしく、

非物理次元の領域と共同創造していて

 

 

いってみれば、何をしても

何をしなくても、

 

成功という言葉が陳腐に感じるほど

すばらしく、うまくいっている

 

拡大し、成長し、さらなる創造を増し加えて

いるということを、自らが、

 

思いを鎮めて、「感じ」「センスし」

知っていく、受け入れていく必要が

あるわけです

 

その深い意識のリアリティーに

気づき、それを認めていくこと

 

このすばらしくシフトし

創造を繰り返し続けている動きに

気づき、受け入れていくこと、

 

本来の自分のエネルギーのフローに

任せていくことこそ、

 

喜び、わくわくであり

 

気づこうが気づくまいが、

まさに、

 

一般的に、ヒトがしあわせと感じている

状態であるわけです

 

 

ただ、表層意識がすべてである

かのように考えてきたならば

 

自分が何をしても何をしなくても

存在していること自体がすでに、

すばらしく、つねにうまくいっている、

価値があると、考えることに

多大な、抵抗、反発を感じたり

するかもしれません

 

それこそ、常に、承認や賞賛を

勝ち取り、犠牲をはらい、苦しみに耐え

がんばっていきることを信じ、それに

慣れ親しんできたなら、

 

何をしようがしまいが、

存在しているだけで、成功、価値がある

など、ありえないと思うものです

 

赤ちゃんも、成人も、老人も、

同様に、同じ、すばらしい存在であり

 

誰もが、いのちが大切で

生きてること自体に価値があると

どこかで、知ってはいるかと思います

 

そうではあっても

これまで、生産的だと感じていたことが

できなくなった状態になったり、

病床に伏せたりするなら、その存在価値が

軽減したかのように考えたりするかもしれません

 

軽減しているように感じるのは

単に、それまでつかってきた

小さなマインドのものさしが、

 

無限の叡智とさらなる喜びの

創造の流れに合致していないことを

示しているのであり

 

単に、表面的な形のみに

フォーカスしているかわりに

本質に目を開くようにうながされて

いることを示されているのであり

 

存在そのものの真のすばらしさ、真の価値

拡大し続けていく本質の見解

気づくように、促されているんだということに

気づくことができるわけです

 

価値などという言葉が陳腐に

感じるぐらいの、

「かけがえない、すばらしさ」

いのち、魂、莫大なユニークな

無限の宇宙、意識、であるということ

 

そのすばらしさを、

ますます気づき、経験し

その気づきの喜びを味わっていくために、

この物理次元の経験があることを

思い起こすことができます

 

思考、言動、マインド

ボディの活動、

さまざまな、物理次元での

活動は、

 

喜びを増し加えるために

使っていったらいいように

自らが備えたツールであり

 

 

価値がない、うまくいっていない

ことを前提にして、それを獲得

するような、自らに反発や

戦い、葛藤、苦しみ、などを

もたらすような形で

用いなくていいことを

思い起こすことができます

 

 

一般的に、長い歴史を通じて

価値とか、すばらしさ

認められること、を、

行い、などを通して、勝ち取るように

教えられてきたことで、

 

すでに、そうである

すばらしさ、存在の本質の莫大な力

富、また、人生の目的、それぞれの

使命などにも気づけなかったり、混乱して

しまっている状態にあることが多々ある

かもしれません

 

存在しているだけ

生きているだけでは、不十分だと

いう前提、価値はないというような前提

ゆえに、

 

人生は、戦い、苦しみ、だからこそ

価値あるものを、戦いを通して

勝ち取らなくては、もしくは、常に

認められなくてはなどの考えが大きくなり

 

また、教えられてきたからこそ、

意識に、身体にしみこんでいるかもしれません

 

そうであっても、この時代に

起きている意識の拡大の流れに沿って、

 

源との見解との分離を起こしていることの

機能不全に気づき

より、マインドをリラックスさせて

素の自分を取り戻していくことを通して

 

 

満ち満ちた存在の本質のリアリティー

あふれる活気、愛、そのもの、全き善の流れ、創造

エネルギーに深くつながり、

 

その喜びのエネルギー

うまくいっている、快さ、

確信と確かさ、創造性の流れのわくわく感

活気に勢いを、

ますます増し加えていくいことが

できます

 

 

満ち満ちた源と分離していて、

自分は別物だという考えは、

 

本来の自分から離れている

満たされていない気持ち、

溝、ギャップを感じ

 

常に「無い」が前提となり

不十分さが埋められる必要がある

認められる必要がある

何ものかになる必要がある、

しあわせは、追いかけ、勝ち取られる

必要があると考え、

 

形、状況、物事、他の人などの

「何か」をもって、その溝をうめようと

するモードにつながり、

 

それこそ、それらは、

意識、波動の反映、映し出される影で

あることに気づかず、自らの波動に

無意識であることで、

 

不満、混乱、葛藤、争い

機能不全が起きてしまうわけです

 

時に、他に貢献したい、役に立ちたい

という意識ですら、単に、認められたいという

不足意識が引き金になっていたりします

 

 

形の現れ、状況、物事は、

それぞれがアクセスした波動と

大いなる意識との共同創造であり

 

つねに流動的であり、常に、

個としての自分だけではなく、

すべての存在の心の願いを生み出していく

愛と叡智の創造の流れであるからこそ

 

小さな思いの良し悪しの考えの

枠に、はまるかわりに

 

何を感じているか、より正直になり

その動きに敏感になり、

 

そのハートで知っている感覚に

ますます根差されていくことが大切

かと思います

 

 

この身体を持った自分は

おおいなるすべて、源の

かけがえないユニークな表現であり

 

一瞬、一瞬、身体をとおして

この時間と空間の次元を経験することで

あらたな創造を増し加えています

 

無限、源、純粋な意識である

ご自身は、この身体をうみだす

ことで、時間と空間の

次元を経験できること自体に、

 

わくわくし、感謝し、祝って

いることをセンスすることができます

 

すべてである意識が、その一部である

形の次元にフォーカスし、この身体に

フォーカスし、ユニークでかけがえない

エネルギー体として、存在している

 

存在しているだけで、今、

顕在意識が気づこうが気づくまいが

莫大な情報を、おおいなるすべてに

源に送り込み、創造に参加しています

 

そして、個としての意識は

この身体を通して、

 

マインドや五感の感覚などを

通して、その情報の一部を、経験として

味わい、楽しむこともでき

 

すばらしいことに

自由にその経験を生み出す

こともできます

 

また

一瞬、一瞬、この次元で

コントラストを知り、さらなる願望を抱き

それを、経験し、形の次元にもたらすことも

しています

 

 

一瞬、一瞬は、存在している、

身体を持っているというだけで、

かけがえない情報を、また、経験を

源にもたらし、あらたな創造を加えている

からこそ、

 

たしかに、存在している

だけで、すでに、すばらしく、成功していて

価値があり、

 

エネルギーは、失うことも

なくなることもなく、

これまで、生まれた考え、概念、

エネルギー、すべては、今、ここにあり

 

これまで存在したすべての存在

すべてであるものは、今、ここにあり

共に、創造と拡大にたずさわっており

 

そのすべてであるものの

ユニークな現れ、表現が、今、今

起こってきていて、この身体は、

 

今、このときという

満ち満ちたすばらしさに気づき

望むだけ味わうことができ、

かつ、さらなる新たな創造の最先端として

大いなるすべてにフォーカスされ

存在しているわけです

 

それぞれは、それぞれの意図に応じて

この次元での経験や情報をとりこんで

楽しんでいくように、ここにいるわけです

 

楽しむため、無限であるご自身への

気づきを通して、その喜びを増し加え

その愛と光の創造を増し加えていくためであり

 

恐れ、不安を抱き、防御し

自らへの戦いをいどんだり

葛藤や苦しみの経験をうみだしたり

する必要はないわけです、

 

すでに満ち満ちたすべてであることに

気づいていく、それが起こるに任せて

いくためであり、

不足をうめるためではないわけです

 

 

このマインド、身体は、

物理次元の経験をとりこむツールであり

 

その経験は、無限であるご自身

より大きな愛と知恵の光の本質に

気づくことを通して、それにつながり

それにオープンになることを通して

 

喜び、しあわせ、快い、自由な

わくわくの経験となり

 

まさに、考えること、行動することは

そんな、喜びをましくわえていく手段、

気づきを深めていく手段であり

 

形の現れ、形としての創造は

そんな気づきと、喜びのフロー

愛と叡智の流れの副産物であるわけです

 

身体、マインド、行動、考えること

形の次元のアクティビティは

すでにそうである自分に気づく

喜びをひろげる、増し加えていく手段であり

 

何か、無い、不足している、と

思っている物を、勝ち取る、ゲットする

ための手段ではないことを思い起こすことです

 

たとえば、認められたい

愛、つながりがほしいといった、

 

一般的な

ヒト意識の不足の見解は、

源であるご自身、満ち満ちたすべて

いってみれば、

内なる領域の圧倒的大多数の存在との

つながり、コネクションをないがしろに

していることからくる、「不足感」

 

今、ここの、大いなるすべて、

非物理次元の大部分の領域は、

いつも、いつでも、今、今、

強烈な関心を注ぎ、圧倒される愛をもって

すべてを起こしていることに気づいてみること

 

ただ、それを認め、

その愛、承認、称賛、感謝を

受け取り、満ち満ちた愛と喜びに満たされて

 

今、今、その促しからうまれる、行動、考え

創造をしていったらいいだけです

 

前提は、「無い」「制限」「不足」

ではなく、「在って在る」「無限」

「さらなるすばらしさ、豊かさ、喜び」で

あるわけです

 

すべては、まさしくギフトであり

すでに、備わっていて、すでに、いつも

いつでも、満ち満ちている

 

何も、勝ち取る必要はないこと

 

喜び、愛、叡智、わくわくは

今、ここ、

 

存在しているすばらしさ

自分の本質に気づくことは、喜びであり

 

その気づき、拡大のプロセスを

経験できるのは、

 

まさに、身体があるからこそであり

すべてのアクティビティ

観たり聞いたり、五感を用いたり

考えたり、行動することといった

 

物理次元での動きは、喜び

そのもの、かつ、さらなる創造を

くわえているのであり

 

それは、今、今、今

起きているわけです

 

 

状況や物事の現れを根拠にして

善し悪しを推し量ったり

自分を定義したり、反応していくモードから

 

もっと、ハートで知っていること

さらなるすばらしい創造を生み出し

心の願いを形にしていく

インパルスを感じ、それを土台にして

反応していくことです

 

 

純粋に、存在していること自体を

誇らしく感じ、感謝を感じ、

 

起こってくることに

人生に、生きていることに、

ユニークな個としての自分のエネルギーに

 

一瞬、一瞬、わくわくしていくことは

その個がもつ最高の可能性を発揮していく

ことにつながっていくかと思います

 

これまでのように、もちろん

追いかけて、勝ち取るためといった

不足意識を原動力として、抵抗の刺激を

楽しむこともできますが、

 

波動が高まり、意識の進化が

うながされている現代、

 

それ以上に

 

満ち満ちたわくわく、拡大し続ける

愛と光があふれるにまかせ、その無限である

自身への気づきの喜びをひろげていく

創造もできることを、大いに受け入れて

いきましょう~

 

ひとつ、そんな意識を高めるために

こんな自問をしてみるのも

面白いかもしれません

 

存在している、身体をいま、もって

この次元を経験しているというだけで

どれだけ、誇らしさを感じ、グットフィーリングを感じ

喜びを感じることがを許可できるだろう?

 

 

どれだけ、今、源からの愛

意識の大部分の領域からの愛、感謝、承認を

うけとることができるだろう?

 

どれだけ、この身体に、ヒト意識に

存在していることの喜びを味わうことを

許せるだろう?

 

 

そんな自問をナビゲーションとして

イマジネーションにインスパイアされて

 

今、今、すでにそうである、、満ち満ちた

ご自身、愛、豊かさ、活気、無尽蔵の宝庫である

源への気づきをふかめ、

 

その性質、その波動を

この身体に落とし込んでいきましょう