ハートの声/チューニングの力/心の眼を養う | 目覚めて生きる!喜び無限大∞

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愛・自由・喜び・豊かさ・叡智
無限の可能性である自分の本質を知り
その自分を大いに発揮して生きましょう♪

愛と知恵の見解というのは、

その時、その時の深い意識/ハイヤーセルフの

導きであり、

 

一刀両断で白黒と、線引きされて

定義づけられるものではなく

 

時間と空間の次元にフォーカスして

その経験を取り込んでいる

物理マインドとハイヤーセルフとの

共同創造であり

 

物理次元のさまざまな要素が

加味され、統合された、その時の

最善であるからこそ、

 

一瞬、一瞬、ハートを感じ

その導きをセンスし、見解を

受け取っていく必要があるものですよね

 

時間と空間の次元を通して

常に、拡大しつづけ、さらなる

進化の流れを促している、

 

純粋な意識、知っている意識

すべてである意識が、

 

その時、その時に、個人の意識を

通して起こそうとしていることに

敏感になっていくことは

 

まさに、より本来の自分に

オープンになっていくこと、

その心の願い、その意図を

深く知っていくことであるわけです

 

神の御心とか、宇宙の意図

本来の自分の願いというものを、

 

単にマインドの二元的な認識で

とらえようとすると、つい

何かかしこまった、

絶対的な正しさの概念があって

それに「がんばって」従う

犠牲をはらうようなアイデアを抱いたり

するかもしれませんが

 

本来の自分、源にオープンになる

ことは、人生を通じて、開かれ、学んで

いくプロセスであるからこそ

 

まさに、個人の意識として

何を望むか、何が好きか、といった

レベルから、正直になることは

とても大切であるかと思います

 

はじめは、形や物事、状況といた

意識の反映、イメージを用いて、

個人の夢や、願い、

望むこと、わくわく、好きなことを知り、

思い描いたとしても、

 

また、それを不足意識で

形を追いかけていく

モードであったとしても、

 

望み、喜び、わくわく、しあわせの

本質という、在って在る、存在の本質の波動

純粋な意識、すべての源を

より深く知るように、よりハートをセンスし

 

形を生み出している領域への気づきが

ひろがるように、人生は

導いていくことかと思います

 

喜び、わくわく、しあわせの本質は

まさに、本来の自分、すべての源に

つながり、その愛と叡智の流れ、

純粋な創造エネルギーのフローに在ること

であるからこそ、

 

まずは、こころに正直であること

何を望み、何が好きか、

気持ちがひろがり、身体に力が湧き

いいなと感じるかに気づくことは

とても大切であるかと思います

 

マインドや思考優先に

選択や行動をすることになれていると

まさに、ハートの声が麻痺すること

心の眼を曇らせることになるものです

 

何が好きか、というよりも

何が正しいか、何が損しないか

何が他の人に認められるか、などの

考えが、優先されるわけですよね

 

時に、それが「賢明さ」と一般的に

考えられるわけですが

ヒトの二元的な

考えが先走った考えよりも、

 

存在の本質、源をセンスする

ハートを第一に置くことで、

物理的な知識と高い意識が統合された

インスピレーションからくる、考え

アイデアのうちにこそ、叡智があり

それは、当然、愛であり、最善である

ものです

 

 

すばらしい○○さんがいったから

大衆が選んでいるから、ほめているから

 

すごいに違いない、正しいに違いない

うまくいくに違いない・・などなど

 

わたしたちは、証拠や根拠を

他の人や、状況、形に頼ることに

慣れていたり、それしかないように

信じ込んでしまって

 

自ら、確認すること、確かめること

ハートを感じ、センスすること、

 

それに対して、自分はどう

感じるか、感じたいか、反応したいかに

意識的になることをせずに、

 

表層意識が判断するままに

とらえることが癖になっている

かもしれません

 

つまり、

本来の自分、ハイヤーセルフ、は

どんな

さらなる愛と知恵の創造をもたらし

ユニークな経験、アイデア、見解を

与えようとしているかと、センスする

時を、もたないことで、

 

力の無さ、退屈さ、信頼や

自信の欠如、恐れ、苦悩など、さまざまな

ネガティブな経験を生み出したり

 

無限の可能性の満ち満ちた

創造エネルギーと、

豊かさそのものである、本来の自分を

自由に生きることを、妨げてしまったり

するものです

 

いつでも、深い意識は、

さまざまな人々の見解、言葉

状況、物事、に関する物理マインドの

認識をつかって、さらなる、ユニークな

経験、アイデアを生み出そうと、促している

からこそ、

 

ただ、これはこういうものだ、といった

表面的な見解、概念、結論にとどまるかわりに

 

無限の可能性は、何を観ていて

何を示そうとしているのか?

愛と叡智は、何をもたらそうとしているのか?

 

つねに、今、今、在って在る

フローし続ける流れにオープンになることは

 

本来の自分、満ち満ちた豊かな

創造エネルギーを活性化させていく

助けになるものです

 

はじめは、少し深呼吸して

 

「これらの状況、人々

意見、考えに対して、どう反応したいだろう?

どんな関係を望むだろう?

もっと、何を感じたいだろう?

もっと、何を望むのか?」

 

といった、個人的なこんな問いかけも

助けになるかもしれません

 

そして、次第に、

それらの問いかけをしなくても

 

自然に、在って在る源との

つながりの感覚が活性化され

ハートの声、その促しを

素直に、明瞭に受け取っていく

ことかと思います。

 

 

ハートの声、深い意識、源、

本来の自分に意識をむける

ことは、

 

ヒト意識が、そうあるべき

ポジションに、それ自身を置くこと

センタリングされることであり

 

すべてであり、ひとつである意識

概念や定義を超えた、本来の自分と

ひとつになることからこそ

 

まさに、マインドも、身体も

最もその能力を最大限に用いることが

できることを思い起こすことができます

 

そんな心の眼を養う上で

意識的に、多次元的に

とらえてみることは、助けになるものです

 

わたしたちは、今、何をしているか

今、何が起きているか、というのを

 

見えたまま、聞こえたまま、

教えられた二元的な解釈で、

時間と空間の概念の枠をベースに

表現し、経験することになれきっている

かもしれませんが

 

深い意識にチューニングして

少し意識をひろげてみるなら、

単に、表面的な意識、形の三次元の認識だけでなく

時間と空間を超えた、次元の認識もできるわけです

 

目の前に映っているのは

単に、形として現れてきている

自分の手足だったり、部屋の空間、

外の建物だったりするかもしれませんが

 

他の生命体たちは、ヒトには嗅げないものを

嗅いだり、視覚で認識できないものを

認識できたりすることを、思い起こすなら、

 

 

たとえ、身体の意識は、

特定の場所に、特定の状況や

条件の内に現れてきているいかもしれませんが

 

同時に、明らかに、形としてあらわれてきていない

領域も、無限にひろがっていること

 

 

三次元の表面的な次元では五感で、

さまざまな情報を、

受け取っているものの、

 

同時に、それを超えた

次元のリアリティー

それを生み出している

意識の次元があることを

思い起こすことができます

 

量子のレベルでは

ひとつの原子の中には、現れてきている宇宙全体を

生み出すほどのエネルギーがあり、

 

今、目の前には、三次元、四次元を超えた、

無数のパラレル世界の五次元もあり、また、さらなる

パラレル宇宙、さらなる次元がひろがっている

わけです

 

そんなふうに、

すこし、イメージを使って

チューニングしてみたとしても、

 

ただ、五感にフォーカスしているときとは

異なる感覚が起こるものですね。

 

より広がり、静けさ、確かさ

快さが、感じられたりするかもしれませんし

さらなる、イメージやインスピレーションが

起こってくるかもしれません

 

そして、その感覚は

エネルギー、情報であることを

思い起こすことができます

 

単に、それが妄想やイメージに過ぎない

とか、心地よい感覚に過ぎないとか、考えて

ただ、状況や物事という、通常の二元的な

マインドの認識モードにフォーカスすることは、

 

無限の叡智の創造の流れ

形として起こってこようとしている

インスピレーションの流れをふさぐものとなり

まさに、自分自身をブロックすることに

なることを思い起こすことができます

 

それぞれは、それぞれが

「そうだ」と認識すること

思うことを経験するものです

 

誰もが、自分の意識のみを

経験しているからこそ、

 

その無限大に広がる意識の

本質への気づきは、まさしく

さらなる愛と叡智のエネルギーを

形にもたらすカギとなっていくわけですよね

 

そのように

マインドを鎮め、そこに強烈に

力を注がずに、深い意識にチューニングすると

いう意味では、瞑想状態ということが

できるかと思いますが、

 

瞑想を通して

もっとも、クリエイティブなアイデアを

受け取ったりすることが言われているように

 

そんな深い意識の意図にオープンになり、

チューニングしていくことで

 

より、無限にひろがりゆく

自由で、豊かな意識の領域

をとらえる感覚がよみがえり

 

見えるもの、聞こえるもの

五感の認識、さまざまな考え、概念、

記憶、セルフイメージなどの

マインドの枠にはまった認識を超えた

 

リアリティー、マジカルで

ダイナミックなご自身という本来の

自分の意識のリアリティーが、より

明瞭にリアルに、気づかれていくものかと

思います

 

だからこそ、文字通り、「わたし」とは

状況、物事、ヒトが生み出した考え、概念

には、とらわれない、制限されることないものであり

 

それを用いて、さらなるその

無限に広がる愛と知恵の創造を生み出し

楽しんでいくものであることを、より深く

知っていくわけです

 

状況や物事にフォーカスし

結論付け、定義づけ、制限と枠にはまることで

 

在って在るさらなる可能性のフローを

抑えつけなくていいこと

 

表面的には、さまざまな、制限、枠、

不足、不都合、不自由などのように

現れてきているように見えても、

 

ただ、マインドが提案するように

結論づけ、苦しみを生み出す代わりに、

 

その奥の知恵、意図、愛と知恵のエネルギー

意識のリアリティーにチューニングする

ように促していることを知り、

 

本来の自分の眼、心の眼が

明瞭に開かれていくように養っていくこと

ができるわけです

 

それは

自分は何ものか、この時間と空間の

次元で、もっと何を生み出そうと意図し、

どこへ向かっているのか、が、ますます

明瞭になっていくことにもつながります

 

状況や物事、人々を

思い煩い、勘ぐるといった

マインドがもたらす不純な

ミックスされたエネルギーを

生み出す代わりに、

 

ハートをセンスすること、それを

第一に置くこと、

深い意識にチューニングしていくことで

ますます、純粋な本来の自分の

波動を解き放っていきましょう