前回、気が散って、深い意識に
気を向けられない、集中できないことの
原因で、マインドの中の思考の流れなり
外側の動きに関心がとらわれることについて
書きました、
集中というと、がんばって何かの
事柄にメンタルの力でフォーカスするという
イメージがある人もいるかもしれませんが
実際は、意識である自分に意識を向ける
アウェアネスにアウェアする、
意識を広げ、そのスペースに在るということで
メンタル的にフォーカスを絞って
緊張した力がこもっている状態とは
むしろ、反対といってもいいかと思います
意識を広げ、関心をむしろ
身体や呼吸などの感覚に向けることを通して
より深い意識に自然にはいっていく、
より自然な状態につながっていくと
いったらいいでしょうか
身体はむしろ、ゆるみ、自然に
マインドは、静かになり、
それは、あたかも、マインドとハートが
ひとつになる、一本の軸が通るような
源、深い意識からの流れが物理次元に
流れ込む、光の柱がたつようなイメージでしょうか
つねに、在って在る純粋なエネルギーの流れ
いのちそのものの一つの流れが、マインドに
ゆがめられることなく、通っていく、
身体にフローして、それが、マインド、ハートを
使っていくに任せていくエネルギー回路を
築いていくような感じです
よく、フローするとか、ゾーンに入るといいますが、
まさに、ヒト意識が、深い意識に全開で
それと一つになっている状態、
その状態に、そのエネルギー
パターンをはぐくむうえで、瞑想が、もちいられたり
するわけですよね
ただ、瞑想というと、一般的に、坐って
マインドをしずめてそれを観察する
思考をしない、というようなイメージがあるかと
思いますが、
ある人は、感覚が敏感になって
もっと気が散って、落ち着かなくなったり
次々と思考がでてきて、とらわれてしまったり
できない、無理、とがっかりしたりするかもしれません
むしろ、適度に、音がある場所なり、カフェなりに
いったほうが、リラックスして、ぼ~~っとすることで
アイデアがわくなり、インスピレーションをうけとる
などして、ゾーンに入る感覚を知る人もいたり
身体を動かしたり、運動していて、ゾーンに入る
風呂に入って、ゾーンに入るなど、さまざまな
切り口から、思考の流れにとらわれていない
意識がひろがって、オープンな状態を経験しているかと
思います
要は、意識的に、そこに入って、その状態に
もっと自由にアクセスしていける力をはぐくんでいけば
いいわけで
それらの何かをする、特別な場所へ行くことを通して
アウェアネスにアウェアする、ビーイングに
つながる感覚をつかんできたなら、より、自由に、いつでも
そこにアクセスしていく意識の向け方を磨いていけば
いいものかと思います
そうであっても、そういった意識の向け方に慣れて
いくなら、坐って「在る」という状態に在る、瞑想も
苦はならなくなっていくかと思いますが
静まって、いろいろな思考の流れが
やまなくても、また、がっかりさせる考えが
でてきたり、モヤモヤしたり、
身体の感覚が過敏になったり、普段と異なる
現象がおきてきて、気を散らされても、
とにかく、それにとらわれて、
がっかりしたり、恐れたり、自分を責めたり
しないことは大切で、
こんなことが起こってる
こんなことを考えてるんだ、
こんなことを感じているんだ
と「気づく」「気づく」「気づく」という
態度を、持ち続けることが大切であるかと思います
気づいている意識は、常に明瞭で
「瞑想をうまくできない」と思っている自分に
気づいている意識は、
いつもいつでも常に、
確かで、うまくできてないと感じる経験も
すばらしい気づきと、新たな創造に変える力を持ち
常に、うまくいくことしか、しらない意識です
いつも、いつでも、あるがまま、愛と叡智の
うちに観ている、アウェアネス、純粋な意識に
関心を注いでいくことに、慣れていくこと
アウェアネスに気づくという動きに
在り続けることは、
ますます、その導き、インスピレーションの流れに
のっていくことにつながり
ハイヤーセルフとひとつになっていくことに
つながります
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