アウェアネス/真理に気づきつづける | 目覚めて生きる!喜び無限大∞

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愛・自由・喜び・豊かさ・叡智
無限の可能性である自分の本質を知り
その自分を大いに発揮して生きましょう♪

子供のころ、味わっていた

純粋な至福、存在していること

自体の喜び、そこからうまれる

創造性などを、誰もが、いくらかは

思い起こすことができるかと思います

 

もしくは、そんな純粋な光を

身の回りの赤ちゃんや子供たちに

観ることができるかと思います

 

それは、まさしく、意識が二元的な

見解やジャッジメントで条件づけられて

いなかったためであり、

 

だからこそ、もちろん、その喜びの感覚は

自然であり、それを存在の本質に

つながっている喜びだとか、

ひとつである意識、つながっている感覚

だとかなど、概念としては認識していなかった

わけですが、

 

たしかに、身体は、細胞は知っていて

かつ、深い意識、意識という自分の大部分の

領域は、今も、いつでも、それを知っている

気づいているわけです

 

真理は、ヒトを自由にするという

言葉があります

 

わたしたちが、単に、わたし=形

身体、つまり、条件づけられた認識や

考えと同一化して、自分を定義してしまうなら

いつでも、なんらかの機能不全を生み出すものです

 

たいてい、不十分さ、不足、などに

フォーカスするので、恐れや苦しみなどを

生み出します

 

いつでも、そんな思考、認識、考えに

はまっている自分に気づくとき、

それらの思いをリラックスして、

気づきである自分、アウェアネスである自分に

気づくとき

 

そこに、軽やかさ、広がり、自由が

生まれるのがわかるものです

 

アウェアネス、気づきは、いつでも

自由を与えます、

 

ただ、自分とはアウェアネスである

といった、概念や言葉で、定義するとき

そこに、また、枠がうまれるものです

 

アウェアネスは、気づくことであり

気づいている自分に気づくことであり

決して、何かの「もの」「対象物」「概念」として

とらえて、定義できるものではなく

 

すべて、言葉や認識というのは

その「真実」「真理」をを指し示す

だけのものであるからこそ

 

常に、自由であり、枠にはめられることはなく

定義されることもなく、

だからこそ、影響されることもないわけです

 

自分とは、定義できない、何か

無限、とかすべてのソース、源とか

いった言葉で指し示されるものであり

 

それは、この物理次元では

アウェアネスを通して

気づいていく、それ自身を知っていく

経験していくことができ、

自らが、わかっていくことしかできないことを

思い起こすことができます

 

誰にも、教えられることなく、

この時間と空間の経験、人生を通して

自らを知っていく、

自由そのものである自分

至福そのものである自分を

知っていく、広げていくことができるわけです

 

今、何にも影響されない

つまり、何にも束縛されたり

どんな経験も、思考も、認識にも

定義されることのない

 

自由そのものであるご自身

純粋な意識である自分へ関心を向け

それ自身に気づいていくことを

通して、

ますます、この形の次元を豊かに

喜びのうちに、楽しみ、ユニークにより大きな

愛と光の創造をもたらしていきましょう~