わたしたちは、それぞれ
ユニークな独特の存在で
同じスペースを共有している
ようでいて、異なる世界を経験して
いるもの
そして、意識しようがしまいた
自分が解釈したいように
物事を解釈し、経験をうみだしている
ことを思い起こすことができます
ただ、日々の生活で
人間関係、仕事、さまざまな状況
物事などとの関係において
表層意識で、分析、分別、判断
することのみにフォーカスして
生きていると
善悪、正誤、優劣などの
二元的な解釈に基づいた
大衆の基準、意見というものこそが
絶対的な基準で、それに
合致しなくてはならないかのような
錯覚にとらわれてしまうかもしれません
そこから外れるなら
愛という言葉で、象徴される
つながり、温かさ、安心
などの感覚が失われてしまう
と恐れたり
間違っている、劣っている
失敗などネガティブにジャッジされ
自尊心が傷つく、無価値観を感じる
自信を失うなど、何かを「損ねる」と
信じているためであったりするかも
しれません
本質は、誰もがユニークな存在
であるからこそ、違って当たり前で
多種多様性は、進化と創造に必須であり
自由に、自分の感じるままに
いきることを望むのは、自然な
性質であり
それぞれ、「同じ」「ありきたり」に
思われることを望なまいにも
かかわらず、
さまざまな「何かを損なう恐れ、
不足意識」によって、
自然な性質を抑えてしまったり
するかもしれません
そういった、恐れをとおして
本来のユニークな無限の可能性
創造性を発揮するという、元来の
自身の意図を、抑えることが
あらゆる不調和
混乱、問題といったものを
起こすものです
実際、つながりを得るために
自由を犠牲にする
自分さえ我慢すれば、
うまくまとまるなどなどの
自身に矛盾をきたす考えは
大いなる愛、叡智、源の
見解、意図、動きとは
合致しないもの、
理窟に合わないもの
視野の欠如であり
単に、小さな視野の物理マインドが
より大きな愛と叡智の見解を得
本来の創造性を発揮する機会である
わけです
調和、つながり、安心と同時に
自由、自身を生きる喜びといった
まったき善きもののうちに、拮抗したり
矛盾したりすることはなく
それぞれの存在の
本質、多種多様性と同時に
愛と叡智の源のうちに、ひとつで
あることを、深くみとめていくことを
通して、
つまり、無条件の愛である
本質につながることをとおして
調和の美しい、愛と叡智の
新たな創造が生み出されていくことを
思い起こすことができます
表層意識で
二元的にジャッジすること
評価することを、あたかも、それが
絶対的な「真実」「リアル」であるかのように
それを土台として、
ご自身や状況を決めつけ、定義し
結論付けるかわりに
それもひとつの
視点に過ぎず、
むしろ、もっと、豊かに
創造性を発揮する「二元性」を超えた
視点にアクセスする機会であることを
思い起こすことができます
つまり、シンプルに、「違い」
「多様性」を認めること
それは、自身が「ユニークであること」
「自由である」ことを、
深く許可することであり
それは、ご自身の本質に深く
つながることでもあるからこそ
そこに深い安心、つながり、
確信、充足、愛というものを感じ
その許可は、他を認めること
他を信頼することへとつながります
無条件の愛である
ご自身につながることは
充足、平安、であり、自由であり
同時に、活発な創造です
無条件の愛である
ご自身につながることは
ご自身をあるがまま
認めることであり
他を認めることでもあります
実際、混乱、葛藤は
自身を「認められない」こと
つまり、
「ジャッジ」することを常に
土台として思いをめぐらせている
癖が原因です
ひとつの源から生まれた
多様性、ユニークさというリアリティーを
楽しみ、感謝することを通して
センターへもどっていくことは
その、「ジャッジ」を真実とする
自虐的な癖を癒していくものかと
思います
無条件の愛は、
消極的、受身的にとらえられる
かもしれませんが、
それは、すべての本質であるかこそ
もっとも、パワフルな力であり
そこには、まさしく、
知恵、自由、無限の可能性
創造性があるわけです
ますます、ご自身という
そのユニークな独自性を楽しみ
大切にし、感謝することを通して
無条件の愛であるご自身の
性質を活性化し
周りの人々という自分をも
楽しみ、感謝し
豊かな創造性を培っていきましょう~