こんにちは、ひじままさきです。

 

食事に誘ってもらって

今日のお昼、

「ノドグロの煮付け刺身とでは

 どちらが良いですか?」

と尋ねられる。

 

嫌いなのに…とも言えず

 

口ごもって、

「いやぁ…別の方がいいなぁ」

「そうですか、焼きがいいですね

 香ばしいですからね」

「は、はぁ・・・」

 

魚が嫌いと言えないと

こんな感じの会話に(苦笑)

 

それでも、この会話

嫌々ながらにも

選択した事になり

 

目の前には、

“焼いたノドグロ”

が出てくる。

 

自分が“選んだ(思った通りの)”結果が

ここに現れる。

 

魚嫌いなんだから

 “思った通り”じゃないっしょ

 

いえいえ

「相手に気をつかって

 “魚が嫌いって

 言えない(から言わない)”

 と思った通り」

の結果な訳です。

 

ノドグロが悪いわけではなく

相手の人が悪いわけでもない

 

確かに、選択肢は

 ノドグロの一択で

 調理法が三択

選びたいのは

そこではなかった

のでしょうが。

 

調理法の三択が

提示された時点では

選択肢が豊かではなかった

ということになります。

 

…人は、今気づいている

 選択肢の仲から

 何かを選んで未来に進みます。

 

つまり

 選択肢の豊かさ

  が

 人生の豊かさ

といっても過言ではないのです。

 

そこで、

後出しジャンケンをすれば、

 

---(プレイバック)---

食事に誘ってもらって

今日のお昼、

「ノドグロの煮付け刺身とでは

 どちらが良いですか?」

と尋ねられる。

 

嫌いなのに

…ノドグロを進めてくれるのは有り難ことだ

 

「あっ、ありがとうございます

 こちらノドグロがお薦めなんですね。

 ところが、恐縮なんですが

 私魚が得意ではないんです。

 もし、魚以外でお薦めのお料理が

 あれば教えて頂きたいです。」

 

とでも言うかもしれません。

 

大切な方であればあるほど

できたら、ウソなくつきあいたいですから

「心にもない“美味しいです”」

は言いたくはないですよね。

 

…そのままの自分を

 分かってもらうのも

 

思い通りの自分の表現の1つ

そう思いますがいかがでしょ?