こんにちは、ひじままさきです。

 

そう、勘違いなんです。

不安というものは。

 

不安って明確に説明しにくい

“質感”がありますよね。

 

そう、ある感じに対する反応

その名前をつけているようなのです。

 

ですから、

“漠然とした・・・”

という表現は

 

言い得て妙で、

漠然としていなければ、

対策可能な問題

なっていますから

 

手が打てます…安心とまで

言えないまでも

光明や出口は見えてきます。

 

不安は、自分ができる対策や

そこへの糸口がないことで

身動きが取れなくなる

縛られてしまう

 

その結果、先が見通せなくなる

 

 

不安について、

不安に思い始めることになるでしょ?

 

すると、

不安について、

不安に思い始めたことに

不安を覚える…

 

これは、私達の望まない方向で

コトバが世界を創り始めた例。

 

何をしたら良いか分からないから

何かを買い占める

 とか

誰かに当たる

 とか

問題の解決や、課題の処理ではなく

 

後先考えずに気を紛らす

行動に出がちなのかもしれません。

 

結果、その行動が

状況を“安心できない”世界に

コトバと現実との

ミルフィーユを作ってしまう。

 

まずは、整頓するのが良さそうです。

何を勘違いしていたのか。

 

…何が起こることを

 困ると怖れていて

 そもそも、どんな結末

 なると良かったのか

 

漠然としたモノの

中身を確認すれば良い

 

というシンプルなこと

 

不安が、んでいることの

翻訳ミス勘違いだとしたら

 

その不安、どんな結末になったら

一番幸せですか?