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「私はいいですから、どうぞ、どうぞ」
譲り合いの心、心遣い。相手のことを思い、大切にするというのは
人間関係をより良くするためにいいことです。

ここで、思い出してみて下さい。
このとき、あなた自身は自分については
どんな風に扱っていますか?

・・・ここは我慢しておこう。
   相手のことを大切にするのは大切だからな。
・・・ここは自分さえ抑えれば
   全てが丸く収まるんだ。
・・・ここは自分を主張するのは、わがままに違いない。
   我慢すべきなんだ。

なにか、仮に自分の中に“主張する自分”がいたとしたら
その自分をなだめすかして、我慢させている
そう、まるで子どもに、親が我慢させるように。

このとき、我慢することについて、たとえば
「どうだ、こんなに慎み深いんだ。とか
 喜んでくれた、うれしい!!。とか
  自分を自分の行為、その結果を認めている」部分があれば
心のバランスはとれていますが、

「我慢すること、当然でしょ?
  むしろ、周りのみんなはわがまますぎる。」
というくらいに、自分の行為や行動を認めない。
さらに、そのことで周りを非難し始めている。

としたら、とても疲れませんか?

周りの関係を良くしようとしている想いや行動が
あなたの心を疲れさせているとしたら。

最終的には私たちは、「素の自分、今の状態の自分」で
相手と関わり、繋がりを作ります。

そしてそれは、あなたの言葉だけでなく
表情や姿勢、言葉や全体の雰囲気全てを通して
相手の方に伝わっています。

・・・つまり、もし相手のためを思って
   我慢し続けて、そのために疲れ切っていたとしたら
   そのことも、伝わっているかもしれません。

場合によっては、今接している人への“今ここ”での我慢だけでなく
それまでの我慢の蓄積が、その人に伝わっているかもしれません。

そして、少し厄介なことに、
いままでは、これを気付かずにしていた
その可能性が高いのです。

相手へ心遣いをすることは
少なくとも、親や学校の先生から
“知識”として教わっています。

ですから、意識、気付いている部分では
もちろん、“すばらしいこと”として
認めています。

一方、自分の中で「我慢」をため込むとき
抑え込んだ「我慢」は、気付いていない部分に
ため込むことになります。
つまり、「我慢している」について
忘れているのかもしれません。

物事の理屈として、存在した物は無くなることはありません。
形が変わるか、移動するかです。

そう、ため込んだ「我慢」は、「我慢」のままでしょう。
次のお休みにでも、この「我慢」がある自分に対して
わがままを聞くでもして、心遣いをしてあげませんか?

誰かに心遣いをしたいと思っている
あなた自身が、心遣いを
自分自身にできていなければ、
自分自身をぞんざいに扱っていたとしたら

それはそのまま、伝わっていくかもしれませんよ。

知識としていいことだと知っている「心遣い」を
まずは自分にも、どんな程度で、どんな風につかってみると
良いのかを試して見る視点でも

一番身近な“自分”への心遣い
・・・夏休みのどこかの時間を使って
   どんなに良いのか体験してみるのも良いですね。

では。

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稗島 正樹 まさき@活き生きトレーナー
NLPトレーナー 
国際ニューロセマンティック協会認定メタ・コーチ
コミュニケーションプロセスイノベーター